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2019年5月 9日 (木)

映画「恋は雨上がりのように」感想

奥さんが大泉洋の夢を見たというので、amazon primeでレンタルした。

以下、ネタバレしまくりの感想です。

 

 

 

 

 

ラブストーリーかと思っていたのだが、典型的なホラーをパロディ化した話だった。非常に良質なパロディで、もちろん笑えるんだけど、恐怖とは何か、というテーマが深く掘り下げられていて、高度に知的な印象だった。原作もこうなんだろうか。読んでないので知らんけど。

 

当然、おれも奥さんも世代的に近いから、大泉洋演じるファミレス店長に肩入れして見た。そのくらいの世代が、最早、恋に恋したりしないの、よく分かるしね。

恋愛というのは、アイデンティティ確立の過程、自己愛の表現の一つなんだと思う。例えば中学生が髪形にこだわったりファッションに目覚めたりするみたいな、自分が何者かを追求し、表現しようという試みの一つなんでしょう。人によってはそれに加えて、学歴とか、職歴とか、資格とか、受賞経験とか、まあ「勲章」というか「トークン」というかさ、そういうレンガを積んで外壁を固めることで、その内側にあるものの値打ちを証明しようという試み。おれはそんな風に思っている。

で、恋愛は、他人をレンガとして利用する、という行為だろう。

 

おれは、他の人の気持ちが分かった試しがない。おれの他に、おれと同じようにものを感じ、心を動かす存在がいるかどうか、実感を持って確認したことなどない。いや、普通、人間同士というのは心が通じ合って、お互いの存在を実感しあうものなのかもしれないね、そういうウワサを聞いたことがある。でも、おれは違う。

だから、おれは、他人の存在など信じていないし、他人を食い物にしてなんとも思わない。

しかし、それでも、五感を通じて得られる僅かな実感からだけでも、どうもこのヒトガタを象って蠢き、言葉にも聞こえる音を出す生き物が、なんらかの内的な動機を持っていることを推定することはできる。

いやむしろ、そこに、おれと同等以上に複雑で精妙な、知性、心理、感情、魂と言っていいような何かが、存在すると推測する方が妥当性が高いとすら、おれは考えている。特に合理的な理由はないけど。

万が一の可能性を考えて、だから今日もおれは、存在するとさえ信じてない他人の人格を、あたかもそこにいますが如く、尊び重んじて、言葉を選び、行いを正して接するように努めている。

圧倒的に未知なる宇宙に対する、おれの畏敬の念のなせる、儀式である。

 

もしもひょっとして、おれの空想が正しくて、ヒトが自由な感情と意志を持つとしたら、他者がそれをコントロールしようとするのは不可能だ。大人しく、この自我を囲うレンガ塀のひとかけらとして鎮座してくださるものか、全く当てになりはしない。

にも関わらず、彼に独立した魂であることを捨て、我が自己愛を飾れと強要するのであれば、恐ろしく不遜な侵略行為ではないか。殺害と同列の人格否定、恋愛とはその典型の一つである。おれがそう思っているだけですが。

ストーキング行為と同じ暴力的な強要。というか、現実に存在するのはストーキング行為であり、ハッピーな恋愛というのはそれを美化するストーカーの空想の中にしかないんじゃないか。あくまでおれの偏見です。

だから大人は恋愛しない。恋愛みたいな他人を食い物にするような真似を愧じて身を慎むことができるのが、大人であるための最低条件だとおれは思っている。

 

で、この作品は、おれのそういう恋愛観によく合致して、その点ではストレスをあまり感じなかった。おれはそう思った。

この映画には、ロマンティックな恋愛感情は全く登場しない。描かれるのはバイト少女の未熟で暑苦しい執着心とストーカー行為だ。特に何の因果もなく、通りすがっただけの大泉洋がそれに巻き込まれてしまう様は、たまたまクリスタルレイクにキャンプに来ただけで殺人鬼に追い回されるのと、ほぼ同列の理不尽さである。

バイト少女は、これっぽっちも大泉洋の都合も心理も忖度しない。彼を独立した人格として見ようとしない。自分の盲目的な欲望しか考えてない、いや、そのことだって真剣に向き合っているのかどうか。結局、短距離の高校レコードホルダーだった自分、というアイデンティティのレンガが砕けてしまったことから、目を逸らそうとしているだけなんだけど。そのことさえ認められない。妄執と言って良い。

嫌悪と恐怖以外の感情を、この少女に対して抱くのは難しい。

良い兆候だ。ヒロインが嫌なやつだ、というのはおれにとってはいい作品になる可能性が高い気がする。「ズートピア」とか「リーガル・ハイ」とかな。

 

而して、この恐ろしい悪霊に対して、取り憑かれた側の大泉洋の対応が、じつにユニークで。颯々爽快だった。

恐がって、困惑して、しかし、彼はそれ以上に、バイト少女の人格を尊重しようとする。

いや、これは出来ないよ。さきほどおれは偉そうに、他人の人格の独立を尊重しようと努めている、とか書いちゃったけど、いやできるもんじゃない。布団の中に引き摺り込もうとする伽倻子と、目と目が合ったその瞬間、伽倻子の苦痛や恐怖を思いやってやれるものだろうか? いや、少なくともおれは出来ない、おれ自身の恐怖だけで頭真っ白になって、ひたすら絶叫する以外なにもできまい。他者への尊敬、試みてはいるつもりだが、うまくはいかない。だって、本当に、他人の心ってさっぱり分からんしな。結局、どうあがいても、おれは、他人をモノとしてしか扱えない。

しかし、この作品の大泉洋は、敢えて尊重を以ってその怪物と対峙する。彼は安珍のように尻に帆かけて逃げ出しても良かった。しかし、ナウシカが怯えるキツネリスに指をかませたように、彼は自分に何の責任もない少女の不安と恐怖を受け止めて、その破壊的な波濤に何度も飲み込まれつつ、それでも沈むことなく立ち続ける。

そして、やがて、辛抱強い彼の尊重が、ついに貪婪なだけだった少女の妄執に一穴を穿つ。ヘレン=ケラーが水を認めるようにして、バイト少女は、互いを尊重し合う人間関係の存在を認識する。

「友達」。

そう、友情にはそんな意味がある。

一度気付けば、世界は広がる。少女は、例えば自身の母親、例えばかつての部活の仲間、例えば彼女に憧れてその記録を越えようとするランナー、彼女を認め、尊重しようとする人々が周囲にいたことに、ようやく気がつき始める。勿論、彼女らは所詮、別の人間。思いは通じない。身勝手で、一方的で、噛み合わなくて。なにひとつ欠損が埋まるわけではない。

でも結局、恋愛だってその欠損を埋めたりはしないんだよね、リアル世界では。比翼の鳥は想像上の怪鳥だ。そんなフィクションが何度でも語り直されることこそ、現実にはそれが叶うことはないという証拠だと思う。おれはそう想像している。

違いがあるとすれば、潔くそういう自分の限界を認めるかどうか、だと思う。身の程知らずにも、いつか運命のベターハーフと再会し完全な自分を回復できる、という御伽噺を信じて、不可能の壁を叩き続けて自分の拳を割ってしまうのか。それとも、自分には限界があるんだと、決して自分が支配し得ない不可能が、つまり他者が、自分とは無関係に昂然と立っていることを主体的に認め、謙虚にその意思と感情を尊重するか。

おれは、自分の限界を自分で弁えたい。とくに合理的な理由はない。

バイト少女は、やがて、再び走り出す。雨の日になれば痛む右踵の腱。彼女の失った可能性。取り戻せない時間。果たして再び走れるのか、走ったとしても以前のタイムに届くのか、またも負傷を繰り返すんじゃないか。誰も知らない、彼女のためだけの痛みと不安と心細さの一切合切を、しかし、彼女は弁えようと思ったのだ。

  

先述のように、大人は恋愛しない。しかし、この映画の大泉洋はそれだけにとどまらず、自分に向けられた恋愛感情をさえ超克していくんだ。穏やかで風通しのいい友情が、ぬめぬめした寄生虫みたいな、隙あらば相手の五穴をえぐって侵入し、内臓を食い荒らそうとする厭らしい恋愛感情を、駆逐していく。

カッコいい。

大げさではなく、おれはこの作品を人類賛歌だと思っている。ヒトは、ヒトを所有しなくても、支配しなくても、自分だけの孤独に耐えられる。生きていける。そんな希望を謳った作品なんだ。

本当に優れた恋愛映画って、大抵は反恋愛的だよね、っておれは思っている。「カサブランカ」とか「ローマの休日」みたいにさ。この作品もその列に連なると思っている。

誰でもない小市民、しょぼくれたファミレスの雇われ店長が、しかし、自由と独立を手放さない。そして、バイトの小さな女の子が矜持を取り戻す一助となる。英雄的な偉業だけど、それは誰にでもできるのだ。ただ、他者を自分のものではない他者として尊重しぬく、それだけなのだから。

 

と、超かっこいいクライマックスの後、「友達ならメールのやり取りくらいしますよね」とバイト少女が言い出して、向かい合う大泉洋の笑顔が強張るのが良かった。

そうそう、ホラームービーのお約束、クレジットロールの後で、湖底に沈んでいるジェイソンの遺骸がカッと目を見開いたりとかして、恐怖はまだ終わらない!みたいなエンディング。

最後までホラーの文脈に忠実な、秀逸なパロディだった。こんなに壮大で、かっこよくて、なおかつ抱腹絶倒なんだぜ。

いい映画だ。おれは好きだ。

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