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2017年10月26日 (木)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。12巻 感想 その1 八幡と小町

11巻発売から2年と3ヶ月、ついに12巻が発売されました。

面白かった。実に面白かった。これが全く実に不思議なことなんだけど、本当に面白かった。

以来、1ヶ月あまり経ちました。みんな忘れ去った頃だと思うので、そろそろネタバレの感想を書き出してみよう。

以下いつものようにネタバレに配慮していません。ご注意のほどを。

 

 

 

 

 

 

 

おれが物語を気に入るとき、好きが嵩じて、自分の中の解釈と、原作の展開が食い違ってしまうことが少なくない。原作と解釈違いになると、原作が最大地雷になってしまう。今「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」はまっしぐらにその道をたどりつつあって、それは今巻でもしみじみ感じた。噂によれば、13巻、14巻を以って最終巻となすという。いずれその完結の暁は、おれが「俺ガイル」という作品そのものを呪い、罵る日となるのだろう。そして二度と口の端に上す事も無くなるんだろう。その予感は強まるばかりだ。

だというのに、今巻はそれでも面白いのだ。

母乳じみた甘い匂い。馥郁のあまり骨髄が腐りそうだ。耐え難いなまぬるさに眠くて読み進めないかと思うような行りを何回も超えた。

しかしやっぱり、自由と、孤独と、尊敬を。比企谷八幡はどうしても投げうつことができない。彼はどうしても帰ってこないではいられない、自分の原点へと。自分たった一人しかいない、他者など存在することさえ疑わしい境地へと。

 

 

ついに雪ノ下母が学校にまで乗り込んで来て、雪乃さんの行く手を阻む!

二次創作で、親の顔より見た展開。そこで颯爽、比企谷八幡がヒーロー然とラスボス雪ノ下母を倒し雪乃姫を救い出し、トロフィーのごとく抱きしめたヒロインに幸せなキスをして終了。二次創作の黄金パターンでは? っていうかむしろラノベって大体そうじゃね? ヒロインってヒーローの見せ場のために窮状に陥る係のことでしょ? いやすみませんおれ個人の偏見です。根拠なし。実例を挙げよと言われても出せません。

この展開自体は全くヒネリのないところが俺ガイルの凄みだよな、って、おれ個人の感想です。雪ノ下母が着物の似合う笑顔の優しい、でもそういう穏やかさがむしろおっかないという美人だったり、由比ヶ浜母が結衣さんそっくりの若々しいキャピっとした感じの美人だったりするみたいな、定番をあえてやってみせる。そういうところでは奇をてらわない。

だからこそ、定番からのわずかなズレが刺さってくる。と、おれは思っている。

 

例えば二次創作だと、雪ノ下母が持ち込んでくるのは雪乃さんの見合い話だとか、留学だとか、雪乃さんの人生で結構な重さになりそうな変化だったりしたように思う。ごめん、本当に偏見だけで書いているんで、気にしないでください。そもそもおれが二次創作読んでたのって二年以上前だし。やばい無責任すぎる。

それに対して、この12巻だと、問題はプロムやるかどうか程度の話なわけ。ほんっとにどうでもいい。八幡だって最初からピンとこない様子。

この問題の軽さが、実にうまい。軽すぎて大義名分が見つからない。みんなのためにプロムが必要だ、なんてお為ごかしは全然通らないでしょ。この件に関わるに当たって、建前みたいな言い訳が物凄くしづらい。

要するに、八幡、お前は雪乃さんをどうしたいんだ、お前個人は雪乃さんに何を望むんだ。実際、平塚先生が作中、そう問いかけた。

「そのうえで聞くが、それでもまだ君がプロムを手伝う理由があるか?」

八幡の内面に焦点を当てる問いだ。この問いのするどさを際立たせるために、わざわざ懸案をちっぽけにしたんだと思う。

 

そこで八幡が答えるんだけど、直前に陽乃さんから「共依存」という言葉を突きつけられたばかりだというのに、平塚先生に褒められたい一心で「……いつか、助けるって約束したから」って言っちゃう、卑劣さと惨めさが、もう最高です。このシーン大好き。

ここに至って、なお、八幡が一人称単数で自分の決断を宣言できない。へー、雪乃さんのせいにしちゃうんだ。

大体、約束もしてないからね。雪乃さんが搾り出した「いつか私を助けてね」ってセリフ、八幡は卑劣にもまるで聞こえなかったかのように聞き流してノーコメントなんだよ。「え、なんだって?」と聞き返す所謂難聴ヒーローの所業の方が、まだ「なかったことにしたい」という主体性を示していて、まだ卑怯ではないと思えるくらいだ。

かつて孤高のぼっちを誇った男の、かくもいたましい凋落。情けなくて胸が痛む。

 

「共依存だからなんて最高にわかりやすい。頼られて俺の存在意義を確かめることができるなんて 言いやすい。俺自身簡単に納得できる。だが、それが答えではない。共依存は仕組みだ。気持ちじゃない。言い訳にはなっても、理由にはなってくれない」

 

そう「共依存」なんて言葉はどうでもいい。それは所詮システムの呼び名であって、問題なのは、その気持ち。その通り、八幡、おれも賛成する。お前が平塚先生の説教の言葉を剽窃しつつ考える通りだ。

作中で何度も「お兄ちゃんする」と表現された、その心根。

これこそが、重大事だと思う。

 

しかし、ほんと八幡と小町の兄妹関係って気持ち悪いよね。以前から胸糞悪くなる感じはしばしばあったけど、ネタっぽい感じでテンポよく流してくれたからさほど喉につまらなかった。しかし、この12巻。こってりたっぷり、三つ指ついて「ありがとうございました」からの涙々の幕。

……いやぁ……

……うわぁ……

っていうか、これって「お兄ちゃん」か? これ、兄として普通なの? 標準なの? 小町も「妹」なの? これが妹の当たり前なの?

件のシーンは、「なんか嫁に行くみたいじゃねぇかなんだそれ」と八幡が言うのがほんとその通りで、お嫁に行く娘が父親に挨拶するみたいだったよ、それも昭和のコテコテのホームドラマとかの。

いや、おかしいだろ。あくまでおれ個人の偏った感想ですけど、この兄妹のテンション、変だろ。気持ち悪いよ。

此の期に及んで、この兄妹のおぞましいほどの歪んだ愛憎関係を描いてくるところが、「俺ガイル」の素晴らしさだとおれは思った。全身鳥肌が立つくらい好き。「少女革命ウテナ」の鳳暁生と姫宮アンシーのインセストな関係を思い出したけど、正直、八幡と小町の関係の方がさらに気色悪いからね。穏やかな日常を表現するためのコメディパート、ほんわか要素だと思ってた兄と妹の関係が、実は底知れない空虚の顕れだったのか、という。そういう意味ではFate/stay nightの桜さんのシナリオの不安感とも似て、しかしさらにそれをも凌ぐ、とおれは感じている。

 

八幡の「お兄ちゃん」らしさというのは、一色さんが芝居めかして「先輩って、なんかお父さんみたいですね」と揶揄したように、むしろ父親っぽいという方が適切な印象だ。だからファザコンの雪ノ下雪乃さんがほだされるわけじゃない?

「やだなにそれバブみを感じて最高におぎゃれる、最の高……完全優勝した。小町ママ……」って照れ隠しのインターネットミームまみれの表現で語られる小町の母親くささ。おれも以前指摘したことがある。

お互いが、お互いにとっての父と母を演じあっているという、屈折した精神的近親相姦に陥って入るというわけでしょ、この兄妹。どうしてこうなった。

 

比企谷家についてのおれの空想は以前も書いたけど、12巻読んで、ますますその思いを深くした。めんどくさいからこの言葉使っちゃうけど、ネグレクトだと思っているのよ、おれは。インパクトありすぎる言葉だから言わない方がいいのかもだけどさ。

「小町でもできることがあるっていうか、ちゃんと役に立ってるっていうか……」

家事が好きな理由を、小町はそんな風に説明する。ずっと、自分は何もできず、役に立たない存在なんだと思い悩んできた子のセリフだと思った。

たった15歳、自分が世界の主役だと思ってても誰もが大目に見てくれる年齢のはずだ。遊び呆けたり悪事を働いたって、社会の迷惑よりはその子自身の将来を心配してもらって当然で、自身のための勉学や訓練でさえ、恩着せがましい態度でこなしたとしても許される。そういう年齢だ。

なのに、彼女は自分が役立たずではないと、兄に世話をかけてばかりの妹ではないのだ、と、証明することができるから家事が好きなのだと言うのだ。

自分の将来のために高校受験勉強を頑張った。まるでそれが恥ずべきことだったかのように、自分自身にかまけたことを償おうとするかのように、合格後に真っ先に望むのが「お家帰って、家事とかしたーい!」なのよ。

深刻な空虚さだと思うんだ。自分がただ自分であるだけで、愛され、許されるべき存在なんだと、彼女はまるで知らぬかのようだ。いや、たぶん、本当に知らないのではないか。おれはそんな風に想像している。

件のシーンは、また、河原の洞穴で暮らす清太と節子みたいだとも思った。まあ八幡と小町は、17歳と15歳で生きていこうと思った、だからさ、生きてはいけるよ、余裕で。経済的には結構裕福な家庭のようだし。

でも見捨てられて、この夜空の下、二人っきりの兄妹なんだよな。

だから、兄は父がわりになり、妹は母代わりになって。お互いを甘やかし合って、なんとか寂しさを慰めてきた。それは子供たちだけで生き延びるために仕方がなかったのかもしれない。でも、それって、結局、その場しのぎの偽りの解決、という意味でそれこそ「共依存」関係なんじゃない?

 

以前おれは、八幡は雪ノ下家の事情に首をつっこむべきだと思わない、みたいなこと書いた。え、そうだっけ? まあいい。

とにかく、他人の家のことより自分の頭の上のハエはどうなってんだよ、っておれは思ってた。

お兄ちゃんするのが得意なフレンズなんだね!ってただ名付けるだけで安心しちまうのか。仕組みの名前より気持ちなんだろ。「お兄ちゃんする」って気持ち、それってどんな心理なんだ。その欲求はどこから生まれてきたんだ。どうやったらそれは満たされるんだ。それこそ八幡、お前自身の、そしてお前だけしか立ち向かえない問題なんじゃないのか。

この問いを此の期に及んで設けて来たのが、本当に素晴らしい。

一方、まだ、お兄ちゃんぶってドヤろうとする八幡という危うさの要素もたっぷり残ってて、本当ハラハラさせられる。

 

この吐き気を催すような兄と妹の二人きりのシーンが、おれには本当にキモくて辛かったんだけど、しかし、同時におれはこのシーンが大好きなのよ。この気持ち悪い近親相姦的な兄妹関係から、いよいよ立ち上がっていく第一歩のシーンだと思うから。

「俺ガイル」はいつだってそうなのさ。おれはくわしいんだ。これまでも、最悪に愚劣で稚拙な腐りきった恥ずかしい悪臭を放つ膿み病んだ欲望がはしたなくも漏れ出す描写を通じて、しかし、それでも、そこにとどまらず進み続ける人間の生きる力を力強く描いてきた。おれはそう思っている。

例えば「本物が欲しい」。

例えば「いつか私を助けてね」。

「本物」なんぞを欲しがるヒーローはウンコだし、「助けて」もらいたいヒロインなんかゲロだ。

 

八幡の云う「本物」とは、彼が個人的に気にくわないものを「欺瞞」と断罪し、駆除排斥する凶暴な攻撃性を正当化するためだけの旗印だ。実際、以前も書いたように、八幡は「青春」を「欺瞞」と決めつけ、11巻の由比ヶ浜さんの依頼も「欺瞞だろ」と退けた。作中で唱えられる「本物」は結局、常に否定的な機能しか果たしていない。おれにはそう見えている。

 

そして、「助ける」とか「救い」とか。しばしば雪乃さんとか平塚先生が口にする、鼻持ちならない概念。まあいい、世の中は広い。おれの預かり知らぬところで救済というのはあるのかもな。言葉の定義を限定すれば、例えば「人命を救助」みたいな助け方は現実に可能なのだとも思うし。なんにしろ、おれに直接の利害関係が生じなければ、個々人の心情についてつべこべ口を出すほど、いかなおれとて下品ではない。しかし、それはそれとして、人間が人間を救済しうるという傲慢な発想に、嫌悪と軽蔑以外の感想を持つのはむずかしい。

 

正直「本物」のウンコと「救済」のゲロをおれは愛している。おれはウンコの一言だけで一日笑っていられる小学生よりもガキだから、ウンコネタもゲロネタも大好きさ、ウンコ見つけたら枝キレの先っぽに突きさして「うんち!うんち!」と小山茉美のけたたましい高音で叫びながら歓喜のハイテンションでキィーンッ!と走りだすのを躊躇わない。おれが未だに子供騙しの漫画やラノベに耽溺して飽きぬ理由である。

しかし一方で、おれには自分の幼稚さにうんざりしている一面もあるんだ。いや幼稚だからこそ、成長への欲求が強いのかもしれない。王様は裸だと叫びたくなったのは幼児だった、おれもまた叫びたい。

「本物」なんぞ欲しがるヒーローなんか、クソだ。

 

これがアンデルセンのご都合主義の童話なら、この叫びは八幡に届くんだけど。

おれは期待している。届くのではないか、と。

「──本当は。冷たくて残酷な、悲しいだけの本物なんて、欲しくはないのだから。」

はっきりと、脱「本物」の眼差しが提示されている。

「私は、ちゃんと自分の力でできるって証明したいの。だから、……比企谷くん、あなたの力はもう借りないわ」

そう、以前書いたように、雪乃さんが「いつか助けてね」と口にしたときには、すでに、彼女は助けられるのを待っているだけの自分を克服しようと決意していたのだと思う。

ウンコとゲロに首まで沈んだドロ沼の中で、おい待てよ、これやっぱりウンコとゲロじゃねーか、って。気がつく。くっさくて、きったなくって、やりきれねー、じゃあ立ち上がろうぜ、って。そして歩き出そう。自分の足で、どこへでも歩み去っていけばいいのだ。自分の体は、自分の力で支えられる。歩き出す方角は、自分で決められる。

その発見を謳歌する、それがこの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」という物語の主旋律となるのではないか。

 

雪乃さんが、頼むからほっといてくれ、お願いだから手を出さないで、本当にどうか自分の力だけでやらせてほしい、と何度も真剣に懇願しても、なおも未練がましく「助けなくっちゃ」とゾンビみたいな思い込みで、この案件に手を出してかえって雪乃さんの足を引っ張ってしまう八幡だといいと思う。

せっかく雪乃さんの機転で、うまいこと雪ノ下母の裏をかけそうだったのに、八幡の余計な動きのせいでそれが潰れたりしたらいい。それで本気で心底「マジやめてくれる?」って一級拒絶鑑定士も顔色なからしめる冷酷さで、雪乃さんからガチ否定される八幡が見たい。

それで落ち込んだ八幡が「あんたが踏み込めとか言ったせいだ」って平塚先生に八つ当たりとかして、それに平塚先生も感情的に言い返したりして、この二人が醜く責任のなすりつけあいをするといいと思う。

平塚先生って大人玉縄だよ、という話は何回も書いているんだけど、おれはくどいのでなお書き連ねます。この人、自己陶酔と勢いだけで、明らかに一教師の分限では責任取りきれないようなことまで使嗾してて、教師としてと言う以前に大人として無責任すぎる。よいこのみんなはこんな大人になっちゃダメですよ。そろそろ馬脚を顕して、八幡に幻滅を体験させてあげてほしい。

その幻滅の中で、八幡が、自分を教え導いてくれる存在に切実に餓えていたことを自覚すればいいと思う。だから平塚先生の中身のないカッコつけばかりの説教を過度に美化し、そそのかされるままに醜態を晒してしまった。

でも、そんな理想的な指導者なんかいないのだ。それは、八幡の、まぶたの母への渇愛に過ぎぬ。実の母親からはついぞ与えられなかった

導きを、そして、よしよしと抱きしめて抱擁してくれる温もりを、諦めきれず求めてしまっているのだ。いい子でお兄ちゃんにしていれば、きっとお母さんがよしよししてくれる。振り向いてもらえなかった子供のそんな悲しい空想が、未だに後を引いている。八幡が「お兄ちゃんする」とは、要するにそれだけのことなのだ。

八幡がそうやって自身の内面の迷宮から、ちっぽけな傷ついた自尊心を拾い上げるあいだに、雪乃さんは着々と計略を巡らし、確かに自身の力で、と胸を張って言える形でプロムの開催を実現できているといい。

12巻で八幡と由比ヶ浜さんのダンスが描かれたのは、いずれ本番で八幡と雪ノ下さんが踊るという事なんだろうと想像している。プロム当日、賑やかし要員で参加した二人。その幼稚な自己愛の歪みから、役立たずを通り越して雪乃さんの邪魔になるばかりだった自分を恥じる八幡に、雪乃さんがため息交じりに言うといい。

「もう気にしなくていいわ。あなたにわかるものだとは期待していなかったし。だって、あなたは私のことを知らないし、私もあなたのことを知らないのだもの」

そして、彼に向かって、手を差し出す。

「だから、初めまして、ね。比企谷くん」

彼は、ぼんやりとその手を見つめて、そして、軽く咳払いしてからその手をとる。

「ああ。初めまして、だ。雪ノ下」

そんなラストだと、いいな、って思いました。

 

でもおれも本当はわかってはいるんだ。これは童話「裸の王様」じゃないから、おれの叫びは届かない。現実らしい情け容赦なさで「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」はおめでたい願望充足的な結末を迎えるのだろう。きっと、八幡が雪乃を窮地から「助けて」、イチャイチャラブラブのハッピーエンドを迎えて、これこそ「本物」でございと締めくくられるのだ。

今から最終巻の落胆に備えて、おれは受け身の練習に余念がない。

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コメント

凄く良いです。最終巻まで考察を教えてほしいのですが落胆してしまって無理になったのでしょうか。途中まででも教えてほしいです。自分は全然考察する能力がありません。

初めまして。にぽぽだいです。コメントありがとうございました。
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』については、残念ながら今のところ感想を更新する予定が立ちません。
実はまだ14巻を読んでおりません。購入して手元に置いてはあるのですが、1ページも開いてないのです。13巻で受けたダメージを回復できてないのです。
不用意に感想を書き出せば、悪口ばかり書いてしまいそうで。しかし、それは、5巻で八幡が自分を許せなかった、他者を許容できず自分の理想を強要してしまうあり方そのものです。
私は、そんな八幡を好きになったから、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を推していたのです。だとしたら、この作品自体がどんな正体を顕したのだとしても、私は強要ではなく、許容したい。
しかし、まだ、それだけの寛容を私は持ちえない。修行が足らんのです。お恥ずかしい。
いつか、続きを書くのだとしたら、私がそれでもこの物語を褒める時です。必ずや「この物語は素晴らしい」との一文を以て結ばなくては。
それを皮肉や嫌味でなく言えないなら、私は沈黙を守るべきなのだと思っています。

初めまして。俺ガイルの感想の中で1番好きです。
アニメの最終回を見ましたが、やっぱりどうしてもこちらのブログを読んで完全に終わりたいです。
悪口だけの感想でも大歓迎です。好きだからこその悪口は悪口じゃないと思います。
悪口を全て吐き出せば、好きなところがポロッと出てくるかもしれませんし。
ご負担に思われたらすみません。でもわがままなので、いつか書いてくれることを願っています。

はじめまして。にぽぽだいです。コメント誠にありがとうございます。
ご期待に沿えずごめんなさい。

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