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« TVアニメ「響け!! ユーフォニアム」第12話の感想 | トップページ | TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」第13話あるいは原作11巻の感想 その2 比企谷八幡の本物 »

2015年7月16日 (木)

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」第13話あるいは原作11巻の感想 その1 由比ヶ浜結衣の孤独

ユーフォニアムロス及びUBWロスと、二重の喪失で呆然としているうちに、7月も早第三週になっちゃった。今更だけど、感想の続き。

 

これはネタバレじゃないと思うからここで書いちゃうけど、「続」12話13話は、原作11巻相当の内容だったみたいに感じました。

その「続」12話13話オンエアと、原作11巻発売がほとんど同時期だったのが大変興味深い。

無論タイアップ効果というか、お金儲けへの動機がとても強いのだと思っています。俺ガイルは、その商売っ気も魅力だと思います。

でも、それだけでもないかもしれない。

合わせて一本、「藪の中」的な? こういうのもシナジー効果と言っていいのかな? 

と、おれは独り合点しています。

 

というわけで、原作11巻までのネタバレありで、「続」13話「春は、降り積もる雪の下にて結われ、芽吹き始める。」の感想です。

 

 

 

 

 

 

「あたしが勝ったら、全部貰う」

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ

背景の描き文字を幻視させる由比ヶ浜さんの微笑み。

「ゆきのん、それでいい?」

手を取られ、逃げ出すこともできず、目を泳がせまくる雪乃さん。黙ってその陥落を見守る、由比ヶ浜さんの視線の優しくも哀しげな微笑み。

しかし、その時。

「いやッ!」

ジャキィ〜ンッ‼︎

「その提案には乗れないッッ‼︎」

立ち塞がるのは我らが比企谷八幡!

ぶつかり合う視線、息苦しいほどの沈黙。由比ヶ浜の頬に一粒の涙滴が引く、ひかりのすじ。

それでも、由比ヶ浜結衣は瞳を揺らすことさえなく、静かに言い放つ。

「……ヒッキーならそう言うと思った……」

┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨

 

熱い展開ではないか、なにこれ超燃える。完全に荒木飛呂彦の絵柄で脳内再生しています。

13話最高かよ。

唐突なバトル展開に突入した上、全編中でも最強の引きで引いて、しかも最終回。これで続き放映しないとか、なに考えてんだ、バカなんじゃないの。

これだよ。この展開を待っていた。この、ぶっ壊す感じが、おれの愛する俺ガイル。

常識的に考えれば、二期のアニメ化は原作9巻までの映像化で決まりだと思うの。キリはいいし、人気も高いところだし、何より期待を裏切らない安定のラブコメ展開のピークじゃないか。

それを大胆に省略して慌てに慌ててストーリーを先に進めて、わけのわからないしり切れとんぼで視聴者を放り出すのだ。こんなまちがったラブコメ、見たことない。

 

この最後のシーンの直前の場面。由比ヶ浜さんが震える手でクッキーを差し出す。

この手の震えが切なくて、なぁ。

原作では全く触れられていない。この繊細な緊張は、比企谷くんの目に全く入ってないのだ。それどころか、原作の地の文は、八幡の視界の端で雪ノ下さんが息を飲み、ぐっとカバンを握りしめ、かすかに頭を振る様子を丁寧に描写するのに一所懸命だ。

いや、見ろよ、八幡。由比ヶ浜さんをよ。

原作11巻は、アニメ二期の製作とほぼ同時期に書かれ、12話、13話の放映と刊行のタイミングもほぼ同時だ。おれはこれまでずっと、小説が原作で、アニメ化はそこから派生、という見方をしていた。でも、もはやそう考えるべきではないとおれは感じる。小説とアニメは相補的で協調しあう、両方合わせて一つの作品。そういう形式、そういうジャンルを、今、俺ガイルは提案しているのだ、とおれはここに誤解する。

だから、ここのギャップはとても大事だとおれは思う。由比ヶ浜さんの手の震えは、アニメスタッフの勝手な解釈で余計に足されたものではない。由比ヶ浜さんは、確かに手を震わせてクッキーを差し出したのだ。

そして、八幡は、それを見ないのだ。

 

クッキーを受け取って、比企谷くんは彼女の最初の依頼の回想する。

おれも誘導されるままに、原作1巻のやりとりを思い出していた。

 

「……その周囲に合わせようとするのやめてくれるかしら。ひどく不愉快だわ。自分の不器用さ、無様さ、愚かしさの遠因を他人に求めるなんて恥ずかしくないの?」

「か……かっこいい……」

 

このシーン、今から思えば、雪乃さんが罵っているのは自分自身。人の顔色を伺うような由比ヶ浜さんの態度に、自分の中の嫌な部分を思い出させられて、八つ当たりしているところだと思った。自己嫌悪を投影するばかりで依頼者の実態を見ようとしない、雪乃さんの視野狭窄のあらわれなんだと見える。その芯には、自分の虚勢を見破られはしないかと怯える不安感しかない。

そんな雪乃さんの不安感を刺激しない形で受け止めてみせる由比ヶ浜さん、ひょっとしたらこの時点で、雪乃さんの怯えを、つまり自信のなさを見抜いていたのかもしれない。指を噛ませたまま「怖くない怖くない」とキツネリスに言い聞かせるナウシカに似ている。

自分の読解力のなさが恨めしい。おれは1巻のこのくだりを読んだ時点で、雪乃さんのハリボテぶりと由比ヶ浜さんの実力に気づくべきだった。

おれは思うのだが、すごいのは、由比ヶ浜さんの洞察力だけではない。むしろその柔らかいハンドリングこそ、真骨頂だろう。見抜いた相手の本質を不用意に抉ったりしない。例えば5話で「罪悪感は消えないよ」と囁いたように、あるいは上述の1巻のシーンで「かっこいい」と感激するようなふりをしたように、由比ヶ浜さんがイニシアチブを取っていることに誰にも気づかれない形のまま、ひっそりと自分の存在感を重くし、場の空気を支配していくのだ。

 

そして、今ここでも。

「何一つ、具体的なことは言わなかった。口に出してしまえば、確定してしまうから。それを避けてきたのだ」

曖昧模糊とした由比ヶ浜さんの語り方のわけを、比企谷くんは、彼自身がその話題に触れなかった理由と同じ、と思ったようだ。直面化して逃げ場のない状態に追い込まれたくなかったのだ、と。

いやいや甘い。甘すぎる。由比ヶ浜さんを舐めすぎだろ。

ラストシーンの、クリスタルビューの屋外テラス。ここに導く由比ヶ浜さんはデート中も頻りに時間を気にしていた。おれの想像だが、おそらく、このシーンで自分が夕陽を背負うことを計算していたのではないか。自分を眩しく見せる演出効果を狙ってのことだ。

そこまで周到な由比ヶ浜さんの、隙のない攻勢の組み立て。明らかに由比ヶ浜さんは追い込みに来てる。今更、直面化を恐れる理由があるとは思えない。その言いまわしが具体性を欠くことには、もっと積極的な意味があるはずだ。

おれは想像する。

曖昧で意味深な言葉を重ねれば、聞く方が勝手に願望を投影して理解できたつもりになる。そして、そういう理解の上でのリアクションを取る。そのリアクションを観察すれば、相手の願望が推察できる。コールドリーディングの基本的なテクニックだ。

おれは由比ヶ浜さんのコミュニケーションスキルを、詐欺師やメンタリストの水準で考えている。コールドリーディングは単に読み取るだけの技術ではない。相手の連想を誘導し、感情や行動を無言のうちに使嗾する使い方もできる。

 

例えば「ゆきのんの今抱えてる問題、あたし、答えわかってるの」と言うのも、カマかけだ、とおれは思う。

この時点で由比ヶ浜さんが本気で雪乃さんを理解したつもりになっているとは、おれには信じられないからだ。そんな思い込みで硬直した外交をするような愚かな子ではないと思う。

しかし、雪ノ下雪乃はそれを聞いて、惨めにも喜色を浮かべてしまう。まぁ、おれにはそういう表情に見えた、というだけの話なんだけど。少なくとも、当惑とか、困ったとか、あるいは怒りとか悲しみとかにも、おれには見えなかった。

驚きの中にも隠しきれないほどの喜び、この表情を見て、雪乃さんの「答え」を由比ヶ浜さんは読み取るんだと思う。

 

由比ヶ浜さんがここで読み取ることは二つ。

まず、雪乃さんが由比ヶ浜さんに分かってもらいたい、と思っていること。許してもらいたい、認めてもらいたい、協力してほしい、ということかもしれない。とにかく「ゆきのんの今抱えてる問題」は由比ヶ浜さんに密接に関係があるということだろう。

次に、雪乃さん自身、答えを自覚している、ということ。 

彼女の姉は「今の雪ノ下雪乃は、どうしたらいいか、わからないのだ」と明言した。その言及自体は実は陽乃さんの自分語りにすぎないだろうけど、まるっきり見当はずれというわけでもなく。確かに、雪乃さんにはどうしていいかわからないと表現していい気持ちがあるみたい。

でも、もし本当に文字通り「どうしたらいいかわからない」なら、この時もっと困惑した表情になっただろうとおれは思う。でも、13話の作画では、そうではなかった。雪乃さんは実は内心でははっきり、どうしたらいいか、自分がどうしたいのか、わかっていたのではないか。

しかし、それを言えない。わかっていると認められない。

おれは想像する。雪乃さんは「わからない」というより「自信がない」とか「勇気がない」とか表現すべき状態なんじゃないか。

 

ここまで絞り込めば、由比ヶ浜さんの目的のためには、もう十分だろうと想像する。

由比ヶ浜さんの目的。

そもそも、この海辺のテラスでの会話は何のためか?

八幡の前で、雪乃さんをへし折るためだ。単に雪乃さんと話をつけるだけなら、他にチャンスはいくらもあった。昨夜も二人きりだったのだし。言うまでもなく、おれの想像にすぎない。

「あたしが勝ったら、全部貰う。ゆきのん、それでいい?」

今ここでそう問いかけて、うなずかせる。八幡の前で、雪乃さんが自ら屈するざまを曝すためだ。

由比ヶ浜さんの凄まじさは、雪乃さんを恐怖や悲嘆に屈伏させるのではないこと。雪乃さんは彼女自身の欲望に屈するのだ。そのためには、雪乃さんを誘惑すれば良い。ここで敗北を飲めば雪乃さん自身も念願が叶う、と雪乃さんに思わせれば良い。

 

雪乃さんが何を答えと思っていたかはわからない。

でも想像は容易だ。

前日、陽乃さんの現れる直前、雪乃さんは何かを八幡に渡そうとした。その包みを見た由比ヶ浜さんは察して、だから気を利かせて、先に帰ろうとした。それをキャラ崩壊も辞さぬ変顔になって引き止めたのは雪乃さんだった。

フンボルトペンギンの展示のシーンは印象的だ。原作小説の描写と、アニメのそれがはっきり違うところだけど。

アニメ版では、由比ヶ浜さんは、比企谷くんと二人して前に出て、並んではしゃいでいるところを雪乃さんの視界の中にしっかり見せておいて。それから由比ヶ浜さんが「あ」と声をあげて「同じパートナーと死に別れるまで連れ添う」と書いてある説明プレートに雪乃さんの視線を誘導する。これを比企谷くんには気づかれないようにやってのけている。彼は雪乃さんが立ち去って後、初めてその文章に気づくのだ。

小説では最初に比企谷くんが説明プレートを読みだして、残りの二人がそれに気づいて読もうと近寄ってくるから、彼は一歩下がって場所をゆずる、という描写である。

その違いの意味についてはいろいろ言いたいこともあるけど、とりあえず今おれが注目しているのは、雪乃さんは自分が八幡と二人きりになるのを恐れている、という点。そして、二人きりになるならむしろ、由比ヶ浜さんと彼がそうなるべきだ、と思っているらしい点。

その一方で、バレンタインデーの前日、彼に贈り物を持ってきている。

由比ヶ浜さんに贈ったクッキーは、同じふた袋のうちの一つだった。皿にあけたのもピンクに白いドットの紙袋に入ってて、由比ヶ浜さんに贈ったのと同じラッピング。本当は比企谷くんの分だったのだろう。

でも、それとは全く別のラッピングを施された何かが、彼女のカバンに忍ばされている。チョコレートを連想させる渋いブラウンの袋に金色のリボンをかけた、手の込んだラッピング。

おれは想像する。多分、雪乃さんは本当はブラウンの包みを彼に贈りたくて。でも、自分にそんな勇気がないだろうこともわかっていた。だから、無難に由比ヶ浜さんと全く同じものを用意して、あくまで同じ部活仲間として贈れるようにした。でも、だからと言って、そのチョコレートブラウンのプレゼントを家に置いてきてしまうこともできなかったのだ。

 

この辺りは、当然、由比ヶ浜さんも感じ取っていたんだよ、とおれは空想している。フンボルトペンギンでの誘導は、その確認じゃないか。

だから由比ヶ浜さんは言うのだ。

「あたしは全部欲しい。今も、これからも。あたし、ずるいんだ。卑怯な子なんだ」

無論、このセリフは雪乃さん攻略の一手なのだろう。由比ヶ浜さんが欲しいのが、全部だとは思えない。むしろ、たった一つ、その一つだけを鋭く追求して、他の全ては全く欲しがってないんじゃないかと、おれには思える。

全部欲しがっているのは、実は、雪乃さんだ。今も、これからも、何もかも。そうと察すればこその、由比ヶ浜さんのこの一手だろう。

由比ヶ浜さんは、雪乃さんのその気持ちを肯定する。ずるいのも卑怯なのも分かっているけど、それでも、全部欲しいし、もうそれでもいいんじゃないかと思っているんだ、と。雪乃さんの思いを代弁して見せた上で、開き直って見せる。

実は、雪乃さんがなにより欲しいのは、その開き直りだろう。その願い自体の成就以上に、このずるさも卑怯も私のものだと、はっきり自分の思いを表明できる勇気こそ、彼女が一番強く望むものなんじゃないか。

その願いは確かに、ずるくて、卑怯で。姉さんが聞いたら、なんと言うだろう。まして……母さんは。

そう思うと縮み上がるようになって、雪乃さんは顔を強張らせて動けなくなってしまう。そんな自分が情けなくて、惨めで、ますます落ち込む。こんな自信のない自分が、勇気のない自分が、いやでいやでたまらない。なんで自分はそれを持ってないんだろうって、持ってない自分に失望する。

その失望につけこんで、由比ヶ浜さんは囁く。

でも、あたしは味方だよ。ゆきのんの気持ち、すごくわかるよ。だってあたしの気持ちも、ゆきのんと同じなんだ。だからこっちにおいでよ、あたしのとなりに。あたしの勇気を分けてあげるよ。そして二人で一緒に叶えよう?

ラブコメ的に翻訳するなら「仲良くハーレムエンドにしよう?」という提案なんだとおれは思った。自分を勝たしてくれるなら、つまり正妻格として認めるのなら、勝利者権限を使って雪乃さんの第二夫人の立場も保障しよう、という交渉だと思った。

もちろん、そんなことは由比ヶ浜さんの真の目的ではない。

 

そして、ここで、あっさりと折れちゃうんだよ。雪乃さんが。

すごい。すごいぞ俺ガイル。

「わた……しは……」と即答をためらって目を泳がせる雪乃さんのアップがすごい。

ものすごい嬉しそう。おれにはそう見えたというだけの話だけど。

くっ殺な女騎士が、ついに「やっぱり勝てなかったよ……」と快楽堕ちしてダブルピースのアヘ顏に浮かぶ喜悦の表情と、そっくりだと思った。

おいおい、これ深夜アニメとはいえ本来中高生向きラノベのアニメ化だろうが。無論、全年齢版だ。いいのか、こんな猥褻なマゾヒズム表現しちゃって。

ときどき二次創作で、ステキふしぎ催淫ドラッグとか、無敵最強催眠術とかを使われて、雪乃さんが人格を捻じ曲げられて淫乱な性的奴隷に改造されたりするストーリーを見かけたりする。けど、それは所詮二次創作だし、そういう不思議道具や厨二能力が出てくる時点ですごく嘘っぽいから、かえって原作作品世界での雪乃さんの神聖を強調する役割を果たす。

しかし、これは本編も本編。ド公式だぞ。特に作品世界設定に改変を加えるわけでもなく、丹念な日常の描写の積み重ねの末に、ヒロインの堕落を描き出した。表面的な特徴に何も手を加えず、ただその信念と矜恃のみ、粉々に砕いてみせた。

素晴らしい。

 

これを八幡は見ていられない。

アニメでは雪乃さんは「私はそれでもかまわな……」まで言っちゃってる。小説版には「私はそれでも……」までしか書いてない。八幡は、それ以上聞きたくなかったんだと思った。

しかし、否認の悲鳴を上げたにすぎないにしても、「いや、その提案には乗れない」と由比ヶ浜さんの攻勢をぶった切る八幡は、久々にかっこよかった。

 

言って欲しかったんだ、と思う。

「由比ヶ浜は固く口を引き結び、いつになく凛とした眼差しで俺を見つめていた」

このシーンがぞくぞくするほど好きだ。

この時の由比ヶ浜さんのまっすぐな立ち姿。

八幡をじっと見つめる冷たい視線。

このシーンがぞくぞくするほど好きだ。おそらく全編で初めて、由比ヶ浜さんが素顔に近い表情を見せたのではないか。

「……ヒッキーならそう言うと思った……」

次の瞬間、涙ひとつ分だけ、彼女は泣く。

おれは想像する。それはきっと、安堵の涙。なんとか間に合った、ぎりぎりの所で彼の視野に自分を押し込むことが出来た。彼が、初めて、自分を見てくれた。そのことにホッと息を吐く。

そしてきっと失望の涙でもある。

由比ヶ浜さんだって、わかるものだとばかり、思っていたんじゃないか。

あるいは比企谷くんなら。邪悪に人一倍敏感な彼なら、もしかすると自分のことを見つけてくれるのではないかと。見抜いてくれるのではないかと。

だというのに、あれほど近いところまで見られるのに、ほかごとはなんでも見通しているかのようなのに、自分のことだけは見てもらえない。

結局、今こうして自分から示すしかなかった。雪ノ下雪乃を巻き込んで人質にとるようにして、そこまでしてようやく彼は「いや」と言ってくれる。的を射た否定だけが、きっと本当の理解で、冷たい無関心こそは優しさなのだとしたら、今、たった今、初めて、彼は本当の意味で彼女を見たのだ。

それは詰られるより貶められるより、なにより辛いことなのかもしれなかった。

 

無理に笑って 忘れるよりも

静けさへと仕舞いこんで

止まったまま 傷つきたい

 

一期EDの「Hello Alone」が、最終話に流れた。それも由比ヶ浜ソロver.。

結局、この歌のソロver.は由比ヶ浜さんの分しか作られなかったな。二期のED「エブリデイワールド」が由比ヶ浜さんと雪乃さんと、それぞれソロver.があるのに。そういうこともあって、「Hello Alone」って由比ヶ浜さんのテーマソングだよなとおれは思っている。

ちょうどフンボルトペンギンの展示前のシーンから 「Hello Alone」が流れ始める。由比ヶ浜さんが仕掛けるシーンだから流れるのか、「Hello Alone」が流れたから由比ヶ浜さんが動き出したシーンに見えるのか。

「Hello Alone」では、上に引用したところの歌詞が好きだ。

この歌詞が、おれの空想する由比ヶ浜さんの土台になっている気がする。比企谷くんにしても、雪乃さんにしても、本当はもろくて傷つきやすくて、傷つけられる痛みに怯えて戦々恐々としているのに対して。由比ヶ浜さんの政治力の優越は、強すぎて誰にも傷つけられないほどで、無敵無双の孤独に陥っている。物語開始当初、雪ノ下がそこにいるかに見えた孤高の座、じつは由比ヶ浜さんこそが占めていたのだ。

そうだ、奉仕部3人は、3人がとも「ぼっち」だったのだ。

だから平塚先生も由比ヶ浜さんの入部を許したんだ。あの先生、見る目は確かだったということだ。

その中でも由比ヶ浜さんは、ぼっちであると気づかれたことさえなかった。もっとも深刻な孤独を患っていると思った。

13話を見ていて、由比ヶ浜さんは以前おれが夢見たような合格人間ではないらしいと分かってきて、そこは残念だった。

じゃあどんな人なのかっていうと、以前も書いたけど、自身の圧倒的な政治力で身を守っている一方、分厚い城壁に閉じ込められたような孤独にあえいでいて、むしろ傷つけられたい、自分と対等以上の強敵とわたりあった末に打ち破られたい、敗北を知りたいと冀う邪知暴虐の王なんじゃないか、と。

さっきも書いた。由比ヶ浜さんのたったひとつの願い。おれは想像する。

出会いたいのだ。見抜かれたいのだ。知って欲しいのだ、自分自身の、自分ですら目をそむけたくなるようなおぞましい性根を。

比企谷八幡。見も知らない犬一匹のために足を折ってしまう優しさを内心に秘めながら、学校では不用意にそれを見せない政治的センスと聡明さを併せ持っている。にもかかわらず、その能力を教室内政治で自身の価値を重くする目的に使わない。どころか、可能な限り自分の存在を卑小に見せる立ち回りをしている。

一年余に渡りずっと観察を続けて、由比ヶ浜さんは比企谷くんを発見したのだろう。能力においておそらく自分に匹敵する、しかし、その方針も心根も大きく異なっているらしい、その少年は、彼女の待ち望んだ強敵たりうるかもしれない。

そのときの由比ヶ浜さんの気持ちを思うとなぁ。

 

13話は、由比ヶ浜さんがわなわなと身体を震わせる描写が多いんだけど、わけても印象的だったのは、「例の勝負の件ってまだ続いているよね」と雪乃さんに尋ねた後のシーン。

由比ヶ浜さんの、ガクガクと震える足元だけが映される。

おれは由比ヶ浜さんの言動には、なぜかいつもなにか裏の企みの存在を感じてしまうんだけど、この震えは信じていいと思っている。11巻、比企谷くんの独白であるところの地の文に描かれていないからだ。

 

10巻の第三の手記を思い出す。

「自身の悪性に気づけばこそ、それを必死で糊塗しようとする。覆い隠した結果が他人には真実の姿として映り、やがてそれが当たり前になって、真実の姿になっている」

 

サメの体調を気遣う由比ヶ浜さん。

「そうか、由比ヶ浜らしいな」

「……あたしらしいって、なんだろね?」

あたしは信頼されている。あたしは信頼されている。その信頼が自分を信頼の魔物に変えていく。裏切ることは許さないと心中で嘯くのだ。

でも。

「あたし、ヒッキーが思っているほど優しくないんだけどな」

試しても信じきれず、まざまざと見せつけられても信用ならず、だから内側に入り込んでまた試したいと、壊してみたいと思っているのではないだろうか。

そして、ついに今、彼女は踏み出したのだ。試そうと。

壊してしまおう、と。

 

しかし、それはやはり恐ろしいのだ。

壊れてしまうかもしれないそれは、本物だのなんだの、考えてみれば、くだらない。何もかもがばかばかしい。

でも、それでもやっぱり、それらが由比ヶ浜さんは好きだった。

「……あたし、この部活、好きなの」

そうだった。

それが擬態なのか、それとも自分の心底の思いなのか、自分ではとうに判断がつかない。でも。

「……好き、なの」

自分らしくもない。でも、手が、足が、わななくのだ。

 

どうして、見抜いてやらないのだ、と思う。

岡目八目とはいえおれにもわかるこの由比ヶ浜さんの孤独を、なぜ汲もうとしないのだ、八幡。それどころか「優しい女の子」「素敵な女の子」と愚にもつかないレッテルをはりつけて、無視してきた。

確かに、由比ヶ浜さんが何を望もうと八幡に答えてやる義理はない。八幡も自分のことで精一杯だってのはよくわかるし。由比ヶ浜さんの孤独は、やっぱりどこまでいっても由比ヶ浜さんの問題だ。気づいたところで、何をしてやることができるわけでもない。

それは分かっている。

それでもなぁ。

 

BD/DVDの特典で書き下ろし小説が付いてくる。

まだ序盤でどんな話なのかさっぱり掴めないけど、おれは期待している。

今度こそ、由比ヶ浜さんが八幡に見てもらえる話になるんじゃないか、って。

原作11巻みたいに、由比ヶ浜さんが挑発しなくても、八幡の方から注意を向けてくれるのではないか。

すでに、折本に対して微妙に距離をとりにくそうな由比ヶ浜さんに八幡は違和感を感じている。

 

などという由比ヶ浜さんは、言うまでもなくおれの想像の中にしかいない。アニメも原作小説も全く無関係なのでご安心ください。

この前「総武高校奉仕部ラジオ続」の第6回の放送を聞いてたら、東山奈央さんが「続」11話の保健室で日企谷くんと雪乃さんが見つめあうシーンが「長くない?」と怒りだして、すごく面白かった。

早見さんや江口さんがあくまで声優さん本人のキャラで放送しているのに、東山さんはスルッと由比ヶ浜さんになる時があって、それが本当に自然で滑らかで、ずるいというか卑怯というか、天晴れ見事と思う。

東山さんは前期の「奉仕部ラジオ」でも、第1回放送から、奉仕部ラジオのメインパーソナリティーを務めながら「ぼっちラジオ」にもメールを送って、ぼっちエピソード披露しつつ「ぼっち党総裁の座を狙う」と宣言したり。

第2回放送でそのことが話題になった時も「そっちに行っても……いいかな?」って思いっきり商売用の声出して江口さんタジタジにさせて、ぼっち党副総裁の座を公認させたし。

前期最終放送でも「江口さんはビジネスぼっちだ!」の名言を残したり。

すばらしい。

この営業力。自分の仕事を理解しておられる。東山さんはもともとかのんちゃんやってる時から好きだったけど、奉仕部ラジオでのしたたかさというか、回転の速さがカッコよくて、ますますファンになった。

おれが由比ヶ浜さんに、ただ素朴に可愛いだけの、男に都合のいいヒロインだとは思えない、という印象を持ったのは、中の人の影響が大きいと思う。

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コメント

こんばんは。お久しぶりです。
少し経ったあとですが、感想を書きます。
13話と小説も読んだり、観たりしましたね。
悶絶必須なラストでしたね。ここまでやったら最後までアニメにしてほしいですよね。
あなたの文をよんで、由比ヶ浜結衣に対する強い想いが伝わりました。結衣は可愛いし、八幡に対する強い愛情があるからこそ、彼女に共感したくなりますね。僕も彼女の恋に応援したくなりますね。
でも、雪乃の存在があるがために、それは難しくなった・・・。
八幡が幸せになるのなら、彼女らのどちらかでも構わないと思わずにいられません。

最後の依頼・八幡の心。
雪乃は初めての恋に戸惑いどうすればいいかわからないのが、顔に出ていてわかりやすいですね。彼女のはかない想いに涙なしでは見れないでしょう。あなたもそう思わずにいられなかったと思います。ゆきのんも、八幡に対する気持ちは本物だと感じるからこそ、心から伝えてほしいですね。
八幡も雪乃に対する意識を感じずにいられません。
ペンギンの説明なんて、意地悪すぎでしょう。どっちらかと一緒にしかいられないんて、片方のうちとしかなれないとか悲しすぎる。
ペンギンの説明をした後ですが、ラストに思えたことがあります。
絆は欺瞞かも知れません。それでも彼と彼女らの絆だけであるのならそれでもいいと思えました。
最後の依頼でこの物語は終えてしまうんでしょうが、最後くらいアニメで観たいですね。
今年で「俺がいる」のアニメを観て知れてよかったです。この作品を、今年初めて知ってからは、小説や漫画のほうにも読んだりしています。
あなたもきっと、八幡と出会えて人生観が変わったと思います。
私の感想も心からありがとうございます。

だいぶ前に「道化は彼女だと思いますか?」とたずねたことがありましたが、その時感じていた疑念がこの記事で形になったようで少しすっきりした気分です。
(今になってそんなこと言うのは後だしっぽくてズルいですが)ありがとうございます。

再び感想を書かせて頂きます。(長いです)
思うに八幡は「由比ヶ浜さんは素敵な女の子」という見方に、本心では懐疑的なんだと思います。だからこそ「ハニトーデート」という話題になると急に口ごもる。
なぜならデートにいけば、その後も「恋人」としてそばにいるかただの知り合いに終わりいなくなるかのどちらかにしかならない。
「素敵な女の子だから、デートはいわば「おねだり」であり、早く済ませてしまえば、それまで通りの関係に戻るだけだ」とは考えていない。
しかし疑っているからこそ信じたい、上述の反応をしてくれると。なぜなら失望したくないから、自分の拠り所の「素敵な女の子」を殺されたくないから。
それを未だに求め続ける自分を否定したくないから。
宗教で言う「盲信状態」だと思います。つまり神をどうにかこうにか「正しい存在」として解釈しようとする。「神も過ちを犯すこともある」と認めることはできない。神とはすなわち自分の拠り所だから、そこが穢れれば自分の存在意義を喪失するから。
要は「自己防衛」の一種だと思いますね。
「少しの意思の不疎通で感情的に引き籠る」雪乃さんを認めようとしないのと同じかもしれません。
ですからもしここから八幡を「恋愛」として落そうとするならば二人の欠点をいかに早く認めるかにかかっているかだと思います。由比ヶ浜さんは「狡猾さ」つまり「(由比ヶ浜さんにとって)報酬がなければ、動かない」、雪乃さんは「狭量さ」つまり「不都合な現実から目を逸らす」、そう見ると由比ヶ浜さんは劣勢だと思います。八幡には「狡猾さ」はありません、ただ手段が狡猾なだけですから。
とはいえ私は由比ヶ浜さんに惹かれますね。彼女は八幡のやり方を非難しますが、最終的には「ヒッキーは頑張った!」と言いますから。なぜなら由比ヶ浜さんは本当に好きだから、八幡が。その卑屈でありながら理想のために身を投げられるそのあり方が。由比ヶ浜さんは「やりたくないこと」はできないから。いわゆる「憧れ」ですね。
で、私はその「好きな人のすべての面を受け入れる」ということができないから由比ヶ浜さんに「憧れる」と。

ところでまとめスレでは「コピペのん」だの「依存のん」だの呼ばれていて、他の二人も気にしていた「雪ノ下姉妹の電話」ですが私にはさほど変なものには見えませんでした。
あれは単に雪乃さんが全身で八幡に寄りかかっている・・・・・・と見えるだけで、それが「歪」とか「おぞましい」とは感じません。あえて言うなら「そもそも誰かを手に入れようとかいう恋愛感情自体がおぞましいものでもあり尊いものじゃないか」と思うだけです。と言っても「大変そうだな、雪ノ下家の婿は」とも思いましたが。
最後にこんなに長くなってしまって本当にすみません。管理人さんの新しい見方についつい舞い上がってしまいました。申し訳ございません。

竹丸さん、いつもコメントありがとうございます。
そうですね、アニメ3期欲しいですよね。BD/DVD買わないと……。

葵さんですよね? コメントありがとうございます。
そうだったんですね。遅ればせながらお答えできてよかったです。

みそピーさん、コメントありがとうございます。
八幡がなぜ由比ヶ浜さんの正体から目をそらしてしまうのか、というのは今後の展開の大きなカギになると私も思います。これまでの描写では、無意識のように思えましたが、どこかで意識して考えまいとしている部分もあって、読者にもそれを隠しているのかもしれません。
BD/DVD特典小説の展開も、そのあたりのことを考える上で面白い材料になるんじゃないかと期待しています

京都水族館のペンギン相関図であったなら、どうなったかなと

あなたの考えをもっと知りたくて、登録など避けてる私がピクシブの登録をしてしまいました。
出来たら最終巻までの考えを読ませてほしい。
待つのは平気です、何回でも読むページがありますから。
これまでの事だけでも、本当に
ありがとう。

この記事へのコメントは終了しました。

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