TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」第10話の感想 その2
これから、おれは。
10話をほめます。
原作10.5巻までのネタバレありで、「続」10話「それぞれの、掌の中の灯が照らすものは。」の感想を、どしても腹の虫が収まらないのでもう一回だ。
こんなのイヤだと書きたい。
おもしろくない、気にいらない、と言いたい。
おれはここに悪口を書かないと誓ったけど、単に自分の美意識だけに基づくルールで、何のペナルティもない。言いたいなら言うだけだ。
だって「ユキトキ」流れるんだぜ。
「ユキトキ」が。
よりにもよって、「ユキトキ」が、だ。
それがおれにどう聞こえたかは、前回書いたから省く。
おれは俺ガイルを7巻から好きになった。8巻が一番好きだ。9巻のハッピーエンドに見えて皮肉な結末も好きだ。もちろん1〜6巻も悪くない、とても面白い、だけど。
その7〜9巻をまるでなかったかのように。爽やかに「ユキトキ」を流して、あたかも、それでめでたしめでたしみたいに。
じゃあ一体、何のために二期を作ったんだと思った。おれの思いを踏みにじられたように感じたし、許せないと思った。こんなのまちがっていると思った。
そうだ。
おれは、こんなのまちがっていると思ってしまった。
「俺は、本物がほしい」
このセリフが嫌いだと、このまえ書いた。
「本物」。
真理、正義、本質。おれにはそういう言葉の仲間に聞こえる。
つまり、差別と迫害への意志。
おれは、そう理解している。
他の何かを偽物、虚偽、邪悪、現象と決めつけ、それらを攻撃し誹謗し侮辱して、おのれのみを尊しとする、「本物」ってそういうことでしょう、って理解である。
おれもいい大人である。生計のために「本物」だの「真理」だの使いこなして、自分の価値を重く見せるような手管はよく使う。しょっちゅう使う。今日も使った。明日もきっと使うだろう。慈悲はない。
大人がみんな知ってて、子供には黙っているいじめへの対処方がある。先手必勝。いじめられっ子にされる前にいじめっ子になれ、だ。相手が「本物」と自称するより早く、こっちが主張しなければ、ずっと偽物の役割を負わされることになる。それが嫌だから、おれも自分こそ「本物」だと主張する。
でも、それと好き嫌いは全く別だ。
ほんとはいじめっ子になんかなりたくない。「本物」がきらいだ。「正義」がきらいだ。きらいなもんはきらいだ。
だから、おれはまちがっていると、まちがいなくまちがっていると、言いたかった。
この作品が「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」と否定的な自己言及をタイトルにしているのも、無論偶然ではないとおれは考えている。作者はごまかそうとでまかせの理由を説明しているようだが。
このブログで、おれの理解はまちがっている、誤読だ、誤解だ、といつも強調するのは、謙遜じゃない。ただの自慢だ。
なのにおれは今、こんなのまちがっている、と。
おれは正しくて、おまえらまちがっていると、おれは思ってしまった。
結局、おれだって。
あんなに「おれはまちがっている」「おれの想像に過ぎない」と偉そうに自分の誤謬を誇りながら、所詮、本物が欲しいのだ。自分を正当化するためなら平然と犠牲者を出す。みんなを踏み台にして、自分だけ助かりたい。
うん。知ってた。
おれは知ってた。自分がそういう奴だってことを。
だから、俺ガイルをこんなに好きなんじゃないか。本物なんか死ぬほど大っ嫌いだが、本物が欲しくて死んでしまいそうなんだ。
「ひどく独善的で、独裁的で、傲慢な願いだ。本当に浅ましくておぞましい。そんな願望を抱いている自分が気持ち悪くて仕方がない」
ああ、比企谷八幡よ。我が友と呼ばせて欲しい。
……すっごく、気持ち悪がられそうだ。
10話最後の11話の予告は、原作10巻第三の手記の「本物なんて、あるのだろうか」という問いかけが朗読されて、開かれたままに終わる。
当然の問いだとは思うが、それはこの作品がほんとうに問うているのは、この問いだとはおれは思わない。
俺ガイルは、きっとこう問うている。
「偽物なんてあるのだろうか」
だって、そうだろう。原作1巻「青春とは嘘であり、悪である」と八幡の作文の一行からスタートする物語は、一歩一歩、何を見つめて、ここまで来たのか。
八幡がリア充ども爆発してしまえと呪った人々の、欺瞞に満ちた、嘘ばかりの、うわべを装うにすぎない姑息な日常が、それは間違いなくその通りで、しかし、それでも、うわべだけとは言い切れない思いをはらみ、重く鼓動を刻んでいる、それを確かに八幡は聞いたのではないか。
八幡がその重みを無視して、ただ繕われる表面だけを見て虚偽だニセモノだと甘ったれた非難を叫ぶのは、ただ、八幡が相手の自由を許容せず、自分の理想を強要しているだけのことじゃないか。
八幡がそれに気付く道のりこそ、俺ガイルなのだ、とおれは思う。
「俺だけは否定しないと。期待を押し付けないやつがいると思い知らせてやらないと」
10巻に至って、八幡は、かつてはリア充の極北と看做した葉山に対してさえ、そう思う。強要しまい、と。「冷たい無関心こそ優しさなのだ」と。
「俺は笑えなかった。
葉山隼人の出した答えを不誠実だと詰るのなら、その者はさぞや納得のいく答えを出すのだろう」
そこに、八幡から葉山への敬意を、おれは読み取る。
偽物なんてあるのだろうか。
その問いに、俺ガイルがこたえつつある回答は、明らかだ、とおれは思う。
ない。
純然たる偽物なんかない。嘘には嘘の、欺瞞には欺瞞の理由がある。思いがある。切ない、無言の祈りがある。
何かを偽物だと蔑むことは、それ自体が卑劣極まる欺瞞なのではないか。
それだって卑劣極まる欺瞞であるならば、やはりそこに痛切な祈りがあるのだろう。欺瞞を憎むという欺瞞、私は虚言を吐かないという虚言にこそ、むしろなによりも痛切な祈りが込められているのかもしれない。
おれは以前、俺ガイルの堂々たるニセモノっぷりが好きだと書いたことがある。
八幡が「本物が欲しい」と言い出してくれた時、過去のおれ超GJと思ってしばらく一人で密かに得意がっていた。
本物はほしい。おれはその気持ちものすごく良くわかると思う、それはここまで書いた通りだ、その薄汚い欲望はまさしくおれのものだ。
でも、小汚ない言い訳を恥ずかしげもなくするけど、それってそんなに変な欲望ではないんじゃないか、人情として。自分は本物だ、おれじゃなくて奴らがニセモノで悪者なんだと、ヤラレ役をでっち上げて安心したい、それって普通のことだろう?
だから、たとえばラノベとか、ほら結構アレだろう? 転生はともかく無双チーレムは標準装備だろう? おれが劣等生だなんて制度の方がまちがっている、おれこそが本物だ、さすがですとCV早見沙織で称えられるべきはおれなのだ、みたいな欲望を甘やかすのが、その主な存在意義なのではないか。
しかし、俺ガイルの斯くも自覚的なブレないニセモノぶりが、そのまま素朴におれの「本物」志向におもねってくれるとは、信じられない。
「本物」という概念自体の矛盾と、それを求める品性の陋劣さを暴き、なおかつそれを隠そうとする狡さを鋭く描き出していくはずだと、おれは思っているんだ。
だが、それも、やはり、おれの強要なのだ、と。
この「続」10話に、そう突きつけられたように、おれは思った。
おれは、原作7〜9巻を読む間、彼らがある種の「成長」をするんだと、思いこんでいた。
「一人で歩けるからいい」
「俺のほうがもっと一人でできる」
「一人でやっていいし、一人で出来なきゃいけない」
きっと八幡は、雪乃は、そんな「一人」になっていくんだろう、と。決して、よく見たら片方楽してる、みたいな関係ではない、独立自尊の個々人が、ただ並んで立っている。そうして初めて、誰かと歩いて行く資格をえられる。手をつなぐのはその時だ。そんな関係になっていくんだ、と。
それが「正しい」成長なんだとおれは思ってしまった。進むべき「前」だと、目指すべき「先」だと。
期待した。そうなってほしかった。おれは、おれの価値観を、この作品に押し付けた。おれはこの物語に、強要したかったのだ。
しかし、10話は「ユキトキ」を流した。
これまでの屈託も鬱勃も、すべて洗い流すかのように「ユキトキ」を。
何も変わらない。何もかも、元どおりなのだ。
だから、きっとまた「続」2話みたいなすれ違いは起こるのだろう。そしてまた、部室に紅茶が香らなくなるのだろう。でも、一方、また8話や9話みたいなことがあって、みんなして感情が盛り上がって涙流して、なんとなく気分で仲直りするんだろう。そうやって、また、朗らかに「ユキトキ」が流れるふりだしへ、戻っていくのだ。
永劫に。
ここから1ミリもズレることなく、ただ独楽みたいにくるくると循環するだけ。
どの方向も前なんかじゃない。どこにも向かう先なんかない。意味も目的もない、磨り減って年老いて力尽きるまで、ただ一点を虚しく回転し続けて終わる、それが人間なのだ、と。
それが「続」の回答なんだと思った。
痛烈だ。原作をはるかに超えて辛口だ。しかし、それは納得のいくものだと思った。
おれの「本物」が世界を動かすはずがない。甘ったれんなということだ。
ほんっと、そうっすね。
すんませんでした。
だからおれは、強要しまい。
他の番組とは違う、俺ガイルだ。作者も大いに協力している公式のアニメ化だ。「続」を見続ける。そして、ほめる。肯定する。何があっても、だ。
つまんないのって、結構見る側が悪いのかもね、と折本さんが言ってた。その通りなんだと思う。
または如何にしておれは強要するのを止めてアニガイルを愛するようになったか。
これはそういう話なんだと、覚悟を決めた。
そうして、おれは再び取り戻すのだ。おれはまちがっている、と誇り高く一人称単数でまちがうことができる、そんな愚劣蒙昧な自分を。
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