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2015年6月 8日 (月)

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」9巻の感想 その3

そんなことより原作の話しようZE!

 

以下、例によって「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」10.5巻までのネタバレ全開なので、ご注意のほど。

  

 

 

 

 

9巻の381ページ

「まぁ、大丈夫だろ。通らなくても無理矢理通すさ。もういい加減早く終わらせたい」

に続くやりとり。

由比ヶ浜さんが「……それってさ、ヒッキーがなんか、やるの?」と心配してくれて、

それに八幡が「……俺が嫌なのは、ああいう上っ面の話し合いに屈することだ。それが一番嫌なんだよ」と答える。

そのやりとりを黙って聞いていた雪乃は「あなたの好きにしたらいいわ」と微笑む。

これは、おれの脳内では、とても重要なシーンだったんだ。

 

7巻249ページ、竹林の小径で戸部くんが告白する直前のシーン。

「一応、丸く収める方法はある」からのやりとり。

 

8巻62ページの

「応援演説が原因で不信任になるなら、誰も一色のことは気にしないだろ」

からのやりとり。

 

この三つのシーンが、ある種の継時的定点観測みたいな機能を果たしているとおれは思っていた。

7巻、8巻、9巻と、比較しろと言わんばかりに、わざとパラメータを揃えて似たような状況を繰り返すのは、八幡のやり方に対する雪乃と由比ヶ浜さんの態度の変化を明晰に描くためだと。さすが、若年者向けのエンターテインメントはわかりやすいものだ、と。

 

この三点をつなぐ文脈が7〜9巻を真っ直ぐ貫くから、

「……あなたのやり方、嫌いだわ」

「わかるものだとばかり、思っていたのね……」

「私には、……わからないわ」

「いつか、私を助けてね」

「……ただの偽物」

などなど、曖昧な言葉で話をした気になって、わかった気になって、なに一つ行動を起こさない、そんなめんどくさいメインヒロインの心情もわかりやすい。見事な構成だと思う。

だから、おれは、この三点は絶対削るべきではないと考えていた。もし一つでもカットされたら、糸を抜かれた数珠も同じ。てんでんばらばらで意味をなさない。そんな構成、前に進むわけがない。何も生み出さない、何も得られない、何も与えない。あくまでおれの個人的な意見だけど、おれはそう思っている。

 

「ごっこ遊びがしたければ余所でやってもらえるかしら」から「……ただの偽物」までの、早見さんの解釈と演技が、素晴らしかった。

ここは、雪乃さんが以前の快刀乱麻を断つ舌鋒をふり回し、八幡に集中しそうだったヘイトを自身の上に引き寄せようとする場面。少なくとも、雪乃さん自身はそれを狙ってかつての毒舌家の姿を演じるつもり、とおれは想像する。

でも、いろいろあった……本当にいろいろあった今となっては、もう以前のように呑気なサティズムは発揮できない。

例えば南ちゃんを侮辱して文実を解体の危機に追い込んだ時のように、あるいは三浦さんに「類人猿の威嚇」と決めつけて悦に入っていた時みたいに、幼児が癇癪起こしたような無垢な怒りをぶちまけるような真似は、もう恥ずかしくってできない。あんな言動を当時はかっこいいと思っていたのだ。顔から火が出るような思いだろう。

だから、たとえ演技と割り切っても、どこか歯切れ悪く、声に力なく、うつむいてしまう。ついつい内省的になって、沈んでしまう。それでも初めて聞く海浜総合の人たちには、十分畏怖されるに足る威力を示したようだけれど。

 

でも、そのセリフ本当は、その前の9巻382ページ、微笑を湛えながら「あなたの好きにしたらいいわ」と八幡に告げるシーンがあって、初めて生きるのだ、とおれは思った。

その声は常よりも柔らかで、澱みない言葉はまっすぐだった。と地の文にある。

「ごっこ遊び」云々のセリフをこんな風に解釈する女優さんが、そのシーンをもし演じたとしたら、どうなったんだろう、とおれは想像を巡らさないではいられない。

2話「……まぁ、あなたに任せるわ」と僅かに微笑みを湛えながらいうシーンとの、早見さんの演じ分けを見たかった。9話まで、丹念に雪乃さんの表情の微妙な変化を追ってきたスタッフが、原作では同じ「微笑」の一語で表された表情を、どんな風に描きわけるのだろうか、と楽しみにしていたんだ。

 

そうだ。その微笑みは、違っていたはずだ。

おれは想像する。

「あたし、今のままじゃやだよ……」

と目の前で由比ヶ浜さんに泣かれて。雪乃さんの心は悲鳴をあげたに違いない。

そう。

嫌だった。

こんな風に彼を拒んで離れなければならないのが、嫌で嫌で、どうしようもなく本当に嫌で。「いやなんだ!」と心の底から叫び出したい、子供のようにひっくり返ってイヤイヤと駄々をこねたい。

それが自分なんだ。

彼にもうこれ以上ウソをつきたくなかった。彼を騙したくなくて、守ろうと思って、必死で突っぱねて、走って逃げて、それが彼への誠実な態度だと思っていた。

でも、それさえも、やっぱりウソなんだ。

本当は泣き叫んで、すがりついて、助けてって。私を助けて、って。今すぐ救って欲しいのだと、言いたかった。

それは、ひどく独善的で、独裁的で、傲慢な願いだ。本当に浅ましくておぞましい。そんな願望を抱いている自分が気持ち悪くて仕方がない。

それでも。

それでも、私は。

泣き続ける由比ヶ浜さんの肩を抱いて、茫然とする。泣きたいのはこっちだった。結局、彼をもう騙したくないとか、言い訳に過ぎないのだ。この幼くて惨めな自分を見られたくなかっただけ。逃げただけだ、自分と彼の現実から。

彼と。あの、あらゆる光をのみ込む恐るべき深淵のごとき彼の瞳と、真摯に向かい合うなら、私は自分自身とも、向き合わねばならないのだ。その最も醜い部分を、覗き込まなければならない。

だから、決めた。彼に告白するのだ。自分の弱さ、理不尽な甘え、いやらしい依存心を。そのこと自体が押し付けがましい、彼がそんなことを押し付けられるいわれは全くない。彼はきっと、うっとおしく思うだろう。幻滅するだろう。あの面倒臭がりの彼だもの。私を蔑んで、うんざりして、迷惑がって。

わかっているけど、けれど、もしも、もしもお互いがそう思えるのなら。

その醜い自己満足を押しつけ合うことができて、その傲慢さを許容できる関係性が存在するのなら。

 

そして、雪乃は彼にささやく。

「いつか、私を助けてね」

それでも、彼に出会うことを、諦めない。だから、誰にも打ち明けたことのない自分の情けない部分を、初めての願いを口にする。

勿論、言うまでもなく全部おれの空想で、現在ガガガ文庫より好評刊行中の「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」とは一切関係ありません。いつも通りですな。

でも、おれはとにかくそう読んでいる。

これは、雪乃の、全編で最も凛々しく気高い言葉なんだ、と。

切ない勇気をふりしぼって、誇り高く自分を開示した。それなのに、そのセリフが「いつか、私を助けてね」と、俺ガイル全編で誰のセリフよりも一番情けなくて依存的なものになっているあたりが、実に俺ガイル的皮肉が効いてると思った。最高だ。個人の感想です。

この辺が、多分、陽乃さんの「あれは信頼とかじゃないの。……もっとひどい何か」って10巻でのセリフと相まって、きっと読者をミスディレクションに誘うのだと思う。

 

そういう過程を経ての「あなたの好きにしたらいいわ」なんだよ。同じ微笑みであるはずがない。

実際、10巻の解決パート、いよいよクリスマスイベント始動に向けての奉仕部の活動はこれまでと全然違う。これまでは主に八幡の個性のせいで、基本的に解決より問題の解消の方向を向きがちだったのに、今回だけは真っ向正面、正々堂々、イベントの実施に向かって力強く進む。それも、奉仕部が肩代わりするのではない、生徒会にそのノウハウを指導するやり方だ。魚を与えるのではなく、魚を獲る方法を教える、という、俺ガイルのストーリー史上初めて、奉仕部のモットーが尊重される形でだ。

ここが丁寧に描かれるのは当然だ。というのも、「魚の獲り方を教える」と言っても、初めてのことだ。比企谷くんと雪乃さんが会議で発言したり、雪乃さんがケーキ作りしたりとか、結構手を出しちゃっているから、下手に端折ると、生徒会じゃなくて奉仕部がみんなやっちゃったみたいに見えちゃうからね。

そんな風になったら、7〜9巻、奉仕部の三人の懊悩と彷徨の紆余曲折はなんだったんだよ、ってことになっちゃう。

 

これはあくまで原作の感想だから、BGMの話をするのは馬鹿げているけど、もしこの9巻のこのクリスマスイベントのあたりを読み返す時にBGMをかけるなら、注意したほうがいい。

決して「ユキトキ」はかけないことをお勧めする。

いや「ユキトキ」は名曲だとも、おれも大好きさ。

でも、あれは前期無印の時のオープニングテーマだ。せいぜい6巻の、お互いをまだ知らず、わだかまりのなかった頃までの。だから、修学旅行の前半、奉仕部の三人が京都の街を買い食いしながら歩いている時にピアノバージョンの「ユキトキ」が流れたりするのは、バッチリだと思う。

でも、このクリスマスイベントの時は、一見お互いの距離が縮まって、笑顔がかわされるようになって、6巻以前の仲が取り戻されたように見えるかもしれないけど、おれはちがうんだと言いたい。ちがうさ、取り戻したんじゃない。

乗り越えたんだ。その先に、進んだんだ。

ま、おれは一人でそう思ってますというだけのことだから、いつもどおりおれが間違っているだけのことなんだけど。

でも、この7巻を、8巻を、9巻を、もう一度読み返してみれば、おれはやはり同じ誤解をあえて再び、しようと思った。この三巻を、その断絶、葛藤、幻滅、苦悩を経て、それでも立ち上がり、なお手を伸ばそうとして、そして今、ここまで来たんじゃないか。6巻までの彼らを、微笑ましく思い返す、可愛くて仕方ない。でも、草原の輝きは二度と戻らないのだ。そりゃなつかしいよ、惜しんで振り返るよ。でも、それでもさらに前に進もう。

それを「ユキトキ」で塗りつぶすなんて。おれは、彼らのこの三巻を全面的に否定されたように感じる。おれは、ね。

せっかく発売されたんだ。「春擬き」をかけよう。後半の歌詞良いじゃない?

「ありがとう 小さな芽 見つけてくれたこと。」

君はつぶやいた

 

 

話は変わる。

平塚静先生の「……破調の美か」もおれは大事だと思う。

 

おれの理解では、平塚先生って、大人玉縄だと思っている。

どっかで聞いたような無駄に抽象的で空疎なセリフをならべて、学園ドラマごっこしているように、おれには見えている。

たとえば、

「この時間がすべてじゃない。……でも、今しかできないこと、ここにしかないものもある。今だよ、比企谷。……今なんだ」

いいセリフだ。感動的だな。だが、無意味だ。

PHP研究所あたりが粗製乱造するハウツー本に書いてありそうな、誰にでも当てはまりそうだけど具体性のないご高説。雑誌の星座占いか、っつーの。

この時、この場で、こんな状態の比企谷くんに、その介入が本当に必要か?

「今なんだ」とか、お前、「dead poets society」の名台詞言いたいだけなんじゃないの、と。ドヤ顔で学園ドラマごっこしたいだけだろ。

型破りで不良っぽいけど、生徒思いの熱血教師がいい話をして、生徒が「ぜんぜぇ゛〜〜」って泣き出して、涙涙のうちに幕。やっすい青春ドラマだな。金八以前だろそれ、何が丘の総理大臣だよ。70年代か。中村雅俊か。

「ごっこ遊びがしたければ余所でやってもらえるかしら」

と言ってやりたい。

 

だから、おれは平塚先生の話している内容には賛成しない。

それでもとても大事だと思うのは、6巻でも、そうだったじゃない、南ちゃんを泣かせた八幡に、閉会式の後も城廻先輩、雪乃、陽乃、平塚先生が入れ替わり立ち替わり現れて、比企谷くんについてそれぞれが勝手な論評をするシーン。

群盲象をなでる、の伝にならって、各自間違ってはいないんだけど、やっぱり何かずれてて違和感ばかり気になるようなことを言って、結局、じゃあ比企谷くんって本当のところどんな人だったの、ってなると釈然としない、みたいな。そういう描写だとおれは読んだよ、って昔書いた。

で、今回もそれだと思っている。巻をまたぐけど、10巻では、葉山くんが「もう陽乃さんの影は追ってないように見える。……けどそれだけのことでしかない」とか、陽乃さんが「あれは信頼とかじゃないの。……もっとひどい何か」とか、好き勝手に雪乃のことを評する。

平塚先生の「……破調の美か」も、そのうちの一部だと思うんだ。

結局、平塚先生も、葉山も、陽乃さんも、それなりに当たったことを言っている部分もありつつ、やっぱり何か違う。じゃあ、比企谷八幡は、雪ノ下雪乃をどう思っているのか、と。

5巻で考えたことを、もう一回、八幡が考え直すはずだと、まあおれの脳内ではそういうことになっている。その時のために重要な伏線になるはず……だと思っていたんだけどなぁ。

 

ま、別に正解出そうと思って観ているわけじゃないんだからね! と謎のツンデレ風味で拗ねつつ、テレビ版の方もいよいよ終盤、楽しみですな。

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コメント

こんにちは。この前の二つの感想ありがとうございます。
こっちの感想をみて、雪乃が彼に対する態度が変わっているのがわかります。
あなたのすきにすればいいという発言は、八幡に対して心を許しているとわかりますね。
いつか私を助けての言葉が、彼を動かすきっかけになってくれるといいですね。
奉仕部が初めて他人を助けるだけでなく、グループを動かす事で、まさに魚のとり方を教えていたんですね。

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