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2015年5月29日 (金)

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 続」第8話の感想

やはり雪ノ下雪乃さんは、おれの希望だと思った。

 

というわけで、原作10.5巻までのネタバレありで、「続」8話「それでも、比企谷八幡は。」の今回も誤解満載の感想です。

 

 

 

 

 

 

この回がアニメ化されて、本当に良かった。

原作は八幡一人称の縛りを禁欲的に守っていて、八幡が、八幡の視点で見たものを、八幡が選んで記述するわけで、読者は広漠な暗闇を、ロウソク一本の光で覗き込むようなじつに心細い読書を強いられる。まぁそこが面白いんだけど。

でも、ラノベ一般の一人称の書き方だと、例えば主人公が聞き逃したはずのヒロインの独り言が当たり前みたいに記載されていたり、そこまで厳密に適用されていないことが多い。

ひょっとしたら後者のラノベ一人称に慣れた読者の中には、俺ガイルは難解と思う人もいたかもしれないとか、いや、それはないか。

しかし、万が一そんな人がいたとしても朗報だ。アニメになって100倍はわかりやすくなったぞ。

それだけ、雪乃さんの表情が描かれる、というのは凄まじいことですな。

原作読んでわからなかった人も、アニメ見ればすっきりするんじゃないか。

 

小町、由比ヶ浜さん、そして平塚先生。

原作8巻9巻と、察しが良い、面倒見が良い、男にとって都合が良い、の三拍子揃った、理想のお母さんキャラたちが真綿の包囲網。

手取り足取りで甘やかされて手懐けられ導かれ、絡め取られて乳ばなれを邪魔されて、さすがの比企谷八幡も、骨を抜かれ牙抜かれ、ついに母乳の底なし沼に沈むのか。

追い詰められて、赤んぼうがえりして「本物が欲しい」と駄々っ子のように泣きわめくしかない八幡に、うっとりと頬を赤らめて、いわゆるメスの顔の喜悦を浮かべて「ヒッキー……」とささやきかける、由比ヶ浜結衣の吐き気を催すほどの邪悪。

おれが初めて原作のこのくだりを読んでいた時に感じた、閉塞感を思い出す。

これが世界の選択か。所詮、ラノベは思春期童貞少年の妄想におもねるだけなのか、セックスが暗喩の中に秘匿されただけのポルノグラフィなのか。まごころをあらわにわんわん泣けば、それで許してもらえた乳児期への懐古、赤ん坊の万能感の復古を渇望する、世代のアナクロニズムに過ぎぬのか。

まぁ、おれ自身そういうのが好きだ。だから、いい歳をして、ラノベ読んだりアニメ見たりするんじゃないか。

でも、自分の性的嗜好をこうもあからさまに明確化されると、恥ずかしくて仕方ない。「おーよちよちとあまやかされたいんですね」と真顔で分析されているようでいたたまれない。

おれがそんな羞恥にうちのめされて、面を上げられなかった時。

物語を救ったのは、雪ノ下雪乃だった。

 

千人でも万人でもラノベヒロインを連れてくるがいい。

誰が一体、この空気の中で「私には、……わからないわ」と、言えるだろうか。

誰だって、由比ヶ浜さんみたいに真っ赤になってうれしがってみせるだろう、それが約束された予定調和というものだ。とっさに、個性と無縁の求められる理想のメインヒロイン像を過不足なく完璧に演じてのける、由比ヶ浜さんの機械のような冷徹さはさすがだが、しかし彼女ならずとも大抵のヒロインも同様の反応をしたに違いない。いや、むしろ逆らえない。それほど、このシーンの同調圧力は高いと思う。

しかし、雪乃さんは言う。二度も言った。「私にはわからない」と。

 

わからないのだ。

そうだ、当然だ、わかるはずがない。八幡と雪乃さんは別の人間なのだから、どうしようもない。絶対に分かり合えたりなどしない。

「私には、……わからないわ」

歯を食いしばって絞り出す、その瞬間の雪乃さんの顔は描かれない。いい演出だと思う。その言葉にギョッとして振り返る八幡と由比ヶ浜さんの姿で描かれる。

 

この直前の「本物が欲しい」と八幡が泣くシーンがまた猛烈に美しくって。

正直、おれはこのセリフが苦手だ。「本物」なんて……なぁ。自称「本物」とか胡散臭さ抜群。やばすぎんだろ。いらねぇ〜↑としか言いようがない。

だから、いずれ八幡は、自身のこのセリフを克服していくのだと思っている。今回はそこへの過程を描くための第一歩に過ぎぬシーンとは思っているが、しかし現時点では圧倒的な迫真力をもって視聴者の共感を獲得せねばならないシーンである。

素晴らしかった。

歪み、崩れ、引き攣ってガチガチと歯を鳴らすその泣き顔は、決していわゆる美形じゃない。でも、おれは好きだ。きたよ、がつんと。男臭くて、情熱的で、とても魅力的でセクシーで、おれの架空の子宮にきゅんきゅんときた。

「本物が欲しいっ」と江口さんの演技も素晴らしくて、何か子供が駄々をこねるような、拗ねるような。

あのね、もうね。

かわいいんだよ。

今季随一萌えるシーンだった。

比企谷くんと向き合って座る由比ヶ浜さんと雪ノ下さん。まったく対照的な態度。由比ヶ浜さんがぐすぐすと泣きじゃくる一方、雪ノ下さんは両手で自分の体を抱きしめるようにして、うつむいて頑なに黙り込んでいる。

この二人が、比企谷くんが泣きだすと、同時に顔を上げて、まったく同じ表情へと、ぽやーんってなっていくシーンがすごく好き。小澤亜李なら絶対「ふおおおおおおおおっ」って言ってる。「比企谷くんが弱ってる〜!!」っきゅ〜ん!みたいな。

すっごいわかる、って思った。心の中で由比ヶ浜さんとがっつり握手。ヒロインと心が一つになった瞬間だと思った。あの比企谷くんはかわいいよ。反則。

 

だから、その直後の、由比ヶ浜さんが「ヒッキー……」って、ぽわんぽわんしながら、まだ涙目のまま八幡を見つめるカットはすごくわかる。

でも、ここで、直前までまったく同じ表情をしていたはずの雪乃は、うつむいて言うんだ。

「私には、……わからないわ」

 

おれは想像する。

彼女は誓ったのだ。わかったふりを二度としまい、と。

おそらく、あのマリンピア東口のクリスマスイルミネーションの林の中で。

彼に二度と嘘をつかぬ、と。そして、もう決して、彼の重荷にならない、と。彼を守り抜こうと、自分自身に誓ったのにちがいない。

そのために、彼に憎まれても、恨まれても構わなかった。二度と会わない、忘れられる、どころか、生涯最悪の女と蔑まれ呪われることになっても。

 

生徒会選挙の時だって、ほんとうは守りたかった。守れると、思った。

でも、結局は彼にすべての尻拭いをさせてしまった。

そして、すべてが、彼の責任ということになった。

自分は何もやらなかった。だって、彼が、全てやってくれるんだもの。私は……結果として、彼に何もかも押し付け、やらせただけだ。「お母さんそっくり」と姉さんが嘲笑ったように。

そう、まるっきり、お母さんのように。「結果として」なんて嘘だ。私は、わかっていた。彼がそうとわかって、何もかも私のために計らってくれると。

彼がわかるものだとばかり、私は思っていた。お母さんのやり口と、まったく同じなんだ。

 

私はきっとどこまでも同じだ。振り返れば、これまでだって、最後はいつも彼に頼った。文化祭の時も。私のために彼は泥をかぶり、人に非難されて。

私なんかのために。

彼がそうしてくれていなければ、私は確かに壊れてしまったかもしれない。でも、それで壊れてしまうようなら、それまでのものじゃない。

あなたが、そう言ったのではなかった?

それなのにどうして、私なんかのためにそこまでしてくれるの?

 

おれは想像する。

雪乃さんは、きっと誤解したくなっている。ひょっとして彼が自分のことを、特別に思ってくれているのではないか。

いや、ちがう、目の当たりにしたじゃないか、修学旅行の最後の夜。ほとんど話したこともない海老名さんのために、衆人のなか恥をかいてみせた彼の姿を。

彼は優しいだけ。ただ、誰にでも優しいだけ。

でも、自分は必ずその優しさにつけ込むだろう。お母さんのように。

自分の傍にいる限り、彼はずっと、信念を捻じ曲げられ、不当に踏みにじられ、傷つけられていくのだ。

だから、彼はもう、自分と関わるべきではないのだ。

続7話のマリンピアでの別れのシーンで雪乃さんが言っているのはそういうことだと、おれは思っている。

 

だから、8話でも、八幡が入ってきた時から、絶対に彼を突っぱねて追い返す、と覚悟をしている。 

「あなたのせい、と、そう言うわけね」

くっと唇噛みしめる。原作にも書かれているこの芝居がすごくいい。今にも泣き出しそうな目をして。両の拳を震えながら握りしめて。

それでも一歩も退かない。これは戦いなのだ。

今だって、彼は、全て彼一人の責任だと言った。全然そんなことはないのに。

そもそも、彼が関わっているのにクリスマスイベントの準備がうまくいってない、などということも考えられない(雪乃さんヴィジョン)。

すべて、私を、私たちを、全て許し、受け止め、支えるためにそう言っているのは明らかだった。

ならば絶対に全てが彼の責任だと認めるわけにはいかない。

「そんなことない」と私たちが上から彼を許すような形になってもダメだ。彼を責める資格も、許す資格も私たちにはないのだから。

……ただ突き放すしかない。

「……あなた一人の責任でそうなっているなら、あなた一人で解決するべき問題でしょう」

 

おれが原作を読んだ時は、雪乃さんの覚悟を一番感じたのは、このセリフだった。

自分の気持ちの、一番大切な、やわらかいところ。風に当てるだけでもヒリヒリ痛みそうな、敏感なその部分に、自らおろし金あてて削り落とすかのような。

でも「私には、……わからないわ」のセリフの前後のアニメの演出がものすごく良くて、アニメ版はこっちが圧倒的に好きになった。

 

あの「本物が欲しい」の泣き顔を真近に見せられて、江口ボイスで囁かれて、それでも、雪乃さんはなお、拒む。

だって、彼女は本物ではないのだから。八幡の望む、本物ではないのだから。

ほっとけば、壊れてしまうようなまがい物。できているつもり、わかっているつもりでいただけの。何も生み出さない、何も得られない、何も与えない。……ただの偽物。

それが雪ノ下雪乃。

比企谷くんに、自分は相応しくない。

そのことが、耐え難くて、いたたまれなくて、部室を逃げ出す。

ッピシャーン!!

ドアの音が実にいい。雪乃さんの走り去り方の余裕のなさ。

 

と、おれは想像しています、というだけのことだけども。

おれには、このやり取りの背後に、雪ノ下雪乃さんが八幡を傷つけたくない、と泣くほど頑張っている感じがひしひし感じられて、もう、バカだよなぁ、と。

健気で、誠実で、高潔。

すっごいバカだけど。

俺ガイルの素晴らしさは、それらが、八幡には全く通じてないところ。

7話のマリンピアで雪乃が言った言葉も、八幡には、彼の変節を罵り、もうあなたなんかいらないわ、って言っているように聞こえている。

八幡から見た雪乃さんって、「生徒会長になりたい」などといった八幡とは何の関係もない自己中心的な動機で動くくせに、八幡の方は何も言わなくても自分の意を汲んでくれるものと思い込んで恥じず、期待に添えない八幡の醜態に落胆を隠さない。そのくせ、八幡の頼みごとは「自分のことは自分でやりなさい」と素気無く断る。

なにこのやな女。でも、そういうことだよね、八幡視点からの描写まとめると、そんなものすごいエゴイストとして見えているってことだよね。

なんと素晴らしいディスコミュニケーションだろう。おれこういうの大好き。

 

いや、ちがうな。

確かに伝わらない。でも、全然なにも伝わらないわけじゃない。

子供のように泣きじゃくった八幡が、それでも、由比ヶ浜さんが手を取るのを、振り払う。

「……一人で歩けるからいい」

そうだ。

一人で歩ける。

おれたちは、一人で歩けるんだ。いや、歩くってのは、ひとりでやるもんだ。

 

では、じゃあなぜ、八幡は、そんな嫌な女にこうまでこだわるのか。

おれの想像だけど、原作5巻の「勝手に期待して勝手に理想を押し付けて勝手に理解した気になって、そして勝手に失望する」という気持ちのためなんだと思う。

それは5巻で気づき、反省して改めたはずだった。

「知ってるものを知らないっつったって、別にいいんだ。許容しないで、強要するほうがおかしい 」

でも4話、葉山とのデートの帰り、倒れた自転車を引き起こしながら思う。

「俺には確かな信念があったのだ。誰かとたった一つ共有していて。今はもう失くしてしまった信念が」

自分は失くしてしまった。でも、その「誰か」はまだその信念を持っている、と。

そんな「勝手な期待と理想」を押し付けたままだから、7話のマリンピアで

「それで壊れてしまうのなら、それまでのものでしかない……」

と言われた時、変節を咎められたように感じてしまう。

実際は、雪乃さんはこの直前「私は違う」って、「いつも、できているつもりで……、わかっているつもりでいただけだもの」って、言ったばかりなのに。むしろ、雪乃さんは、自分の方が変節したんだと言ってるんじゃない?

八幡は聞こうとしない。そんな弱々しく自信のない雪乃さんを許容できず、自分の中の、理想の雪ノ下雪乃像を強要するからだ。

「何度も何度も戒めたのに、それでも結局直っていない」

 

昔、恋とは自分の醜さを鏡にして、相手に自分の美しさを映すこと、みたいな文章を読んだことがある気がして、でもどこで読んだか、誰が書いたか、どうしても思い出せなかった。

先日、ひょんなことでみつかった。

三島由紀夫「綾の鼓」。

「恋というものはそういうもんじゃない。おのれの醜さの鏡で相手を照らすもんだ」

いいなぁ。三島由紀夫、文章だけは抗いがたく好き。

おれの理解では、結局、人間って、自分の見たいもの、見ることができるものしか、見られない。恋人の上にどんな美質を見出すにしろ、それは結局、見る側の自分自身の資質に他ならないのだ、と。

もし、その美しさ全てがすでに自分の中にあると知れば、安んじて満たされて生きていけるはず。でも、それを見失ってしまうことがしばしばあって、それが恋なのだ、とおれは読んだ。

自分の知る美しさ全ては、恋しいその人の上だけにあり、自分は残された醜いカスだけ、ただその人の美しさを崇める鏡でしかない。そう思い込むことが恋なのだ。

だとしたら、どうしてもその人を手に入れなければならない。もしも失えば、世界から美しさは消えてしまう。誰かに譲るなんて、考えられない。

 

なんでこんな話をしているかというと、まさに、八幡がいう「勝手な理想の押し付け」って、この「おのれの醜さの鏡で相手を照らす」ってことだと思ったから。要するに恋ってやつじゃん、と思ったからだ。

ええ、ええ、ごもっとも。あたまおかしい八雪の牽強付会でございます。いえいえ滅相もない、お気遣いなく。

幻聴との会話を切り上げて、たわごとを更に続けよう。

雪乃さんも、そういう意味での恋を、比企谷くんにしている。おれの中では。「誰でも救ってしまう」彼は「私とは、……違うわ」ときっと彼女は思っている。できているつもり、わかっているつもりでいただけの、ただの偽物の自分とは。

7話のエンディングでも、雪乃さん本人が歌っているじゃないか。それを恋だと知ったから、孤独という強さを失くしたんだよ。

 

おれが、この作品をすごく好きなのは、彼と彼女がそれでも、そのまま恋に落ちていかないところだ。

上記した岩吉の恋は、スタンダールが結晶作用と呼ぶところの情熱だろう。相手の上に己が空想を、妄想を、願望を、欲望を貼り付けて、いつの間にか、相手を生き埋めにしてしまう。あれほど慕わしかった人を、見るだけで喜ばしかった人を、自分のゴミみたいな感情の欠片で埋め立てて、見失ってしまうのだ。

比企谷くんは、それを潔しとしない。

相手を知っていたい、分かっていたい彼は、だから自分の恋情に刃向かう。

彼も彼女も、自分の初恋を犠牲にしても、相手を尊敬していたい。相手が、相手らしくある自由を守りたい。一人で、歩ける。自分も、そして相手も、一人で、自分の足で、歩いて行けるままにしたいのだ。

 

というのは、勿論、おれの個人的な想像なんですけど。

そう思う理由は他にもある。おれは原作を読んでいるので、八幡達がクリスマスイベントで「賢者の贈り物」の劇を上演することを知っている。

これまで「こころ」「星の王子さま」「人間失格」と、俺ガイルは過去の名作を取り上げることが結構あって、それは俺ガイルの本筋にも深く反響するのが常だった。だとしたら、当然「賢者の贈り物」だって、9巻の内容に重なっているはずだ。

つまりは、互いを思い合うからこそすれ違う夫婦の愛情の物語、明らかに八雪の燃え上がる恋愛模様ではありませんかっ‼︎ と海老名さん的テンションで叫びたい。

「お互いがお互いのことを想えばこそ、手に入らないものもある。けれど、それは悲しむべきことじゃない。たぶん誇るべきことなんだろうな」

と美浜大橋で平塚先生も言うじゃないか。

 

さぁて、そこで、由比ヶ浜さんである。

この子のポイントの抑え方が正確過ぎて怖い。

雪野さんが力いっぱい扉を閉めて走り去った後、比企谷くんに向かって

「わかんないで終わらせたらダメなんだよ!」

屋上で心細げに佇む雪乃さんに

「あたし、今のままじゃやだよ……」

的確すぎる。

ピンポイントで、二人の抑えがたい恋心を抉ってくる。

八幡も、終わらせたくない。雪乃さんも、今のままじゃ、嫌なんだ。

相手を求めている。自分のものにしたい。もっと、一緒に、いつも、いつまでも、どこまでも。

でも、そんなのはダメだ。それは侵略であり征服だ。相手の独立した精神を、本当に大事にしたいなら、そんな思いにとらわれてはいけない。だから必死に理屈をこねる。信念を組み立てて立てこもる。血の涙流すようにして、お互い触れ合わないように距離を取る。

その努力を、由比ヶ浜さんは平然と踏みにじる。必死でダイエットしてる子の前で、ニコニコしてケーキバイキング堪能して見せるようなものだ。

どうして、そんな残酷な真似ができるんだろう。一体この子の目的はなんなんだ。おれには、比企谷くんと雪乃さんの尊厳を砕くためにしか見えないんだが。

ギリギリまで我慢に我慢を重ね、戦って戦って、ボロボロになっても、お互いを尊重しようとした彼と彼女に、隙をついて誘惑して「ほれほれ体は正直じゃのう」みたいな堕落を誘うのだ。

 

マリピンで雪乃さんが「無理して来なくていいわ」と言い放つとき、由比ヶ浜さんの存在は全く忘れ去られているようである。

比企谷くんが泣きながら口走る「本物」は、うわべだけのもに意味はないという信念を共有した相手にしか、通じない言い回しだ。

おれの誤解するところでは、本来、これはもうずっと前から、八幡と雪乃の二人だけの物語なのだ。

例えば「……あなた一人の責任でそうなっているなら、あなた一人で解決するべき問題でしょう」と雪乃さんに突き放されて、八幡がもう何も言えなくなって、去って行って。奉仕部は自然消滅、八幡も雪乃も二度と会うことも話すこともなく、互いに無縁の人生を生きていく。そんな展開を想像したりする。

しかし、この高校の数ヶ月、共に過ごしたわずかな時間は、彼と彼女の中で永遠に出血の止まらない傷になっていくだろう。10年後も、20年後も、あのときの自分の感情はなんだったのか、と、痛みに苦笑いしつつ、そっとその傷口を撫でて血の滲みを確かめる。それはそれで、八雪ラブストーリーとして悪くない顛末だと思うんだ。それは悲しむべきことじゃない。もしかしたら、誇るべきことなのかもしれない。

どうして、そうなるがままに、ほっておいてくれないんだ、由比ヶ浜結衣。一体、お前の狙いはなんだ。まったく、想像もできない。

 

真の狙いはわからないが、一つ明らかなのは、由比ヶ浜さんは、八幡と雪乃の間に割って入ろうとしている、ということだ。例によって、おれの誤解だけどさ。

屋上に出た時、文字通りに割って入って、ほとんど比企谷くんと雪乃さんとを話させない。

そして、「今のままじゃやだよ」と泣く。

なぜあなたが泣くの? 雪乃さんと同じ疑問におれもとらわれる。

由比ヶ浜さんの言動がすごくパワフルなのは、彼女の発する感情表現が、雪乃さんや八幡のそれと、共鳴するからだ。

共鳴するから、動かされてしまう。泣いてしまう。だって、やっぱり、今のままでは、雪乃だって嫌なんだもの。

でも納得いかない。泣きたくなんかなかった。だから、部室を逃げ出すようにしてここまで来た。それなのに、操られ、支配されるように、泣かされる。

やっぱりあなたって……卑怯だわ。

それは、本当に大切な、雪乃がそっと押し隠した、比企谷くんのためだけの気持ちだったはずなのに。すごく切なくて、傷ついて痛む気持ちだから、由比ヶ浜さんに目の前でこんな風に泣かれたら、耐えられない。比企谷くんの前だというのに、堪えられない。

でも、まるで、由比ヶ浜さんの気持ちみたいになってしまった。由比ヶ浜さんが先に口にして、先に泣き出すからだ。

雪乃さんはもう二度と、その気持ちを純粋に比企谷くんとの関係だけで考えることはできないだろう。

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