TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 続」第6話の感想
雪乃さんの微笑が凍りついている理由が、まさか玉縄氏の手指の動きに動画枚数取られたせいだとは、想像だにしませんでした。
というわけで、原作10.5巻までのネタバレありで、「続」6話「つつがなく、会議は踊り、されど進まず。」の感想です。
やっぱ動いてこそだよなぁ。アニメーションの素晴らしさを思い知った。
玉縄くんが後半何もかも持ってった感じ。おれ笑いすぎて後半ほとんどセリフ聞き取れてない。八幡の「ダメかぁ〜↑」しか耳に入らなかった。「ゲーミデュケーション」のあたりが聞き取れたのは3回見直したあたりからだ。
原作9巻の感想でも書いたけど、玉縄くんは南ちゃんより小物臭強くて、だからこそ、葛藤が主人公初め各キャラクターにより内在化されるのだ、とおれは思っている。
だから玉縄くんを道化として強く印象つけるこの演出はものすごく納得したし、感心した。プロの仕事って見てて気持ちいい。
手というのは、顔に次いでパレイドリアを惹き起こし易いと聞いたことがある。心霊写真に手が発見され易い理由の一つだそうですな。「怪談新耳袋」のテレビ版オープングや、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」で手形が印象的に使われるのも、人類が生来的に人の手の形に反応し易い脳をしているからなのかもしれない。
だからきっとアニメーターって手の動きに精通していたり、神経使っているんだろうなと思っていたけど、非常に鮮やかにその技術とドラマツルギーを展開して見せてもらった感じ。手に関する意識を刺激されたせいか、一色さんがコンビニ袋を差し出されて八幡が受け取るという手の芝居もすごく印象的だった。
八幡が注意深く指が触れ合わないように距離をとる感じ、コンビニ袋(仕事)があるときだけ人とやりとりできる感じ、千言を費やすよりも雄弁なキャラクター描写だと思った。
この先、おそらく次々回くらいに、平塚先生が夜の美浜大橋で「君と由比ヶ浜が雪ノ下に踏み込んでくれることを願っている」と言い出すはずだ。
先生が正解を言ってて、比企谷くんがそれを理解し実行するのが成長である、と、それが伝統的な青春もののパターンだと思う。あるいはカンフーものの。平塚先生ご自身はそういうのがお好きなんだろうな。美浜大橋では、自身をそういう理想的なメンターなんだと思い込んで自分に酔っている感じだと思った。「今なんだ」とか言っちゃうあたりがイタい。「いまを生きる」のロビン・ウィリアムスかよ。
高校生の発達課題を考えると、平塚先生の態度はベタつきすぎる。小学生相手にはあれくらいでいい先生なんだろうけど、中高生以上に対して示すべき大人の顔は、もっと「油断ならない」という側面であるべきだとおれは思う。信頼することと甘えることの違いを学ぶべき年齢だからだ。そういう意味では、「響け! ユーフォニアム」の滝先生とか実にいい教育者だと思う。
平塚先生がその程度の大人である以上、八幡は自分で勝手に成長するしかない。この辺が俺ガイルのリアリティだよなと思う。現実には「いい先生」なんかいないもんな。いや、現実に存在する大人って、実はおれが子供時分思っていたよりもずっとまともな、堅実で誠実な人が多いことが最近になって分かってきた。でも、やっぱりラノベに出てくるみたいな理想的な人間はいない。信じてもいいけど、甘えすぎてはダメなんだ。これは誰かが教えてくれるわけではない。イタい思いを繰り返すうちに自分でその加減を見いだすしかない。
話を戻す。このコンビニ袋を受け取る八幡の繊細な指の芝居が、彼の立ち位置を示しているのだと思った。ただ踏み込むことばかりが相手への理解ではない、と。遠ざかることの何が悪いのだと、やはりおれは思う。そりゃ踏み込むことも悪いことではないんだろう、好きな奴らはやり合っていればいい。でも、相手の孤独と閉塞を尊重する、そんな共感があってもいい。
俺ガイルに、そんな物語を、おれは読み取っている。おれはね、という話。
玉縄くんが今回の目玉なのは分かっているけど、おれは雪乃さんの話をしたい。だから雪乃さんの話をしよう。
実にいい顔を描くものだと思った。冒頭の微笑である。
「続」のスタッフがものすごく好き。どうして、こんなにおれの好みにビシッとあった演出になるんだろうか。
この表情、八幡によれば
「あんなにひどい微笑み方はない。故人を偲ぶような、幼子を見るような、そんな取り返しがつかなくなったものを懐かしむような、あんな微笑み方は見る者の心を苛む」
と原作で描写される。
それをアニメではこう描くのか。
驚いた。
以前も、アニメの描写の印象が原作の八幡の記述の印象と大きく異なるという話を書いたけど、今回もそうだった。
おれとしては、驚きながらも「やはり」という気分も強い。
原作が10巻で三人称を導入した衝撃の話を先日書いたけど、やっぱり、ずっと一人称で進んできた俺ガイルが「そう書かれている」だけのもので、八幡の主観を離れれば、全く違った物語がみえてくるのだ、と。おそらく雪乃さんの微笑の中に読み取るべきはその可能性なんだと、おれは思った。
前回、アニメの方が原作より好きになってきたと書いたんだけど、確かにそういう部分があるんだけど、これは見比べることに意味があるんだよな、と今は思うようになっている。当たり前っちゃ当たり前すぎる、今更おれは何を言っているのか、という感じだけど。原作との補完関係、どちらから入っても、どちらも楽しめるというのは、あえて違うメディアでリメイクすることの意義みたいなことをしみじみ感じさせる。大変成功しているアニメ化だと思う。
おれには、雪乃さんの微笑みに、大人の顔色を伺う、心細そうな子供を見いだす。例によって、「おれの中ではな」というだけの話だけども。
おれは原作を読んでしまっているから、どうしても、この先の展開を連想してしまうんだけど、スプライドマウンテンを降りた直後の雪乃さんの言葉を思い出す。
「私はその後ろでお人形のように振る舞ってきた。だから、おとなしくて手がかからない良い子って言われたけど……。でも、その裏で愛想がない、可愛げがない、……いろいろ言われてたこと、知ってるの」
陽乃さんの後ろで、曖昧で無難な微笑みを貼り付けて、ただ周囲の視線を恐れるばかりでたたずむ幼い頃の雪乃さんを思い浮かべる。
きっと、同じ表情をしていたんじゃないか。
「続」3話で「嫌いだけど 、嫌われたくはないのよね……」と、陽乃さんが回想するのは、おそらくその頃の雪乃さんだと思う。
でも八幡が「見る者の心を苛む」と描写するのだから、もう少しは、誰かを責めるような攻撃的な気配がある表情なのか、と小説読んだだけの時はおれは思っていた。
アニメで描かれるとはっきり分かる。違うでしょう。ただひたすら茫然自失の顔ですよ。この顔を見て心が苛まれるというのは、やっぱり八幡の方の問題なのだと改めて思った。
原作では、雪乃さんが生徒会長になりたかったのではないか、とまで想像しているふしもある。さすがに明言はしてないけど。アニメではさらにぼやかしていて、おかげで原作より八幡が賢そうに見えるようになった。
なんなんだよ「生徒会長になりたい」とか。どっから出てくんだよ、その発想。ありえなさすぎる。
理由がなんであれ、雪乃さんはがっかりしている。そう見て取るところまではおれも賛成だ。
そこで、八幡が、なぜかそれを自分の責任だと思う、というところにおれは一番興味を惹かれる。
いや、明らかにそれは八幡の責任ではない。責任を感じるというのは、自分がなんとかできた、と思っているということだと思う。そうか? 八幡、お前に何か出来たのか?
おれはそう思わない。
雪乃さんが「自意識過剰だわ」と指摘した点もここだと思う。おれはもっと端的に「傲慢」と言えばいいのにと思う。
おれは既に9感を読んでいるから知ってるんだけど。八幡は一色さんに、鶴見さんに責任を感じてしまっている。「俺は悪くない、社会が悪い」って、結局八幡にとってはネタに過ぎないんだよなぁ。
若さゆえの傲慢、だよなぁ。何様だよ。ラノベのヒーローにでもなったつもりか。
分かる。おれもそうだった。というか、おれ自身がそういう身の程知らずな小僧だったからこそ、今の八幡を見てこういう想像をしちゃうんだろうけど。この物語、どんどん「俺がいる」になってきて、怒涛の黒歴史の記憶ですり潰されそうだ。いたい。イタタタ……
他の人の身の上に、その心情に思いを寄せて、その苦しみを除きたい、何か出来ないかと思い悩み、その人の上に幸あれかしと祈る、それはどうにも止めようのない人情というものなんじゃないかと思う。
でも、おれは、いや人類一般に言って、人の心を見抜いたり、操ったりは出来ない。自分の心でさえ怪しいものだ。手も二本しかないし、半径85センチとは限らないけど、この手の届く距離に限界があるのも事実だし、1日は24時間しかない。
なんでもはできないんだよ。できることだけ。
責任を取れるのもその範囲だけだ。
出来もしないことを、これから成し遂げようと夢を見るのは必要だと思う。大抵のことは最初は出来ないし、やってみようと思わなければ出来るようにもならないだろうから。
でも、かつて出来なかったことを「出来なかった」と認められず、「間違えた」とか「しなかった」と言うのなら、それは嘘だ。「まだ本気出してないだけ」と言うことだ。ごまかしだ。責任回避だ。それこそ、欺瞞というものだぞ、八幡。
「本物が欲しい」というセリフ。アニメでの放映ももうじきだろうから、そのころにまた書こうと思うけど。おれは、今述べたような八幡の傲慢さを俎上にあげるセリフなんだと思っている。彼が自身の傲慢さに気づき、真剣に傷つくことにつながっていくんだろうとおれは今の所思っているんだが。
アニメの話に戻る。
原作の八幡の一人称の視界にうつったものの描写と、アニメに描かれるものの違いがすごく興味深い。アニメが原作をどう変えて来るんだろうということが、心配や不安よりも、はるかにわくわくとした期待を掻き立ててくれる。
嬉しい。
いま楽しみなのは、以下のシーンの扱い。ちょっと長いけど、原作から引用します。
「なぁ、ちょっといいか 」
声をかけると、雪ノ下の肩がぴくと跳ねた。さして大きな声を出したつもりもないが、静かな部室では思いのほか響いてしまったようだ。由比ヶ浜も居住まいを正し、俺に視線を向ける。
雪ノ下は俺を見ると、しばしそのまま止まっていた。それから、はっと思い直したように本を閉じると口を開く。
「…………なにかしら」
取り澄ましたような声と理知的な眼差しが俺に向けられる。俺もきっと今似たような顔をしているのだろう。
9巻P.145。小町の受験を理由にして、部室にあまり顔を出せなくなると言い出す直前のシーン。
ストーリーには全く関係ない、そういう意味ではすごく些細なシーンだから、まあ、十中八九カットされるだろう。しかし、ひょっとしたらもしや、という思いもある。果たして「続」はどう扱うのか。
今夜の放映分あたりの範囲。楽しみ。
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