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« 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」10巻の感想 その2 手記を書いたのは誰か。 | トップページ | TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 続」第5話の感想 »

2015年5月 1日 (金)

TVアニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 続」第4話の感想

涙ぐんで見ています。

 

というわけで、原作10.5巻までのネタバレありで、「続」4話の感想です。

 

 

 

 

 

もう泣きそう。

劇中、登場人物の想いがすれ違い食い違って、回を追うごとにギスギス感高まる展開。しかしおれの涙腺を刺激するのはそこではない。

「癒される……」と思って、嬉し泣きしそうなのだ。

感激して、という嬉しさではなくて、何か張り詰めていたものが、溶かされていくような。

俺ガイル5巻で、平塚先生と初めて一緒にラーメン食べに行って「君も優しくて正しい」と言われた比企谷くんが、「別に嬉しくはない。いつだって俺の優しさと正しさは俺自身がずっと信じてきている」と言っている時、きっとこんな気持ちだったんじゃないかと思う。

あるいは、今期のFate、アーチャーが裏切った直後。教会からトボトボ歩いて帰る遠坂凛が、士郎から「家に帰ったら泣けるだろう?」と言ってもらった時が、こんな気持ちだったかもしれない。

「信じられない……アニメスタジオに泣かされた」という気分だが、悪くない。どころか清々しく心洗われる心地がする。

 

「ふざけんな」と、比企谷くんが自転車を引き起こすシーンが、カットされなかった。

由比ヶ浜さんが「なくなっちゃう」「好き、なの」と大事なことだから二回ずつ言うのを、ちゃんと両方とも残して、ニュアンスの繊細な違いをしっとり演じ分けてくれたのも、すごく嬉しかった。

何を当たり前のことを、と、自分でも思う。この第4話でももっとも重要なシーンで、そこをカットするなんてとんでもない。ここをカットするなら映像化する意味がないくらいのセリフじゃないか。

しかし、訓練された一期サバイバーは油断しない。アニメ化って現象には決して気を許してはならないのだ。

いよいよ第5話。このスタッフならきっと「わかるものだとばかり、思っていたのね……」をカットしない、とつい信じたくなる自分がいる。

……いやいや「勝手に期待してて勝手に理想を押し付けて勝手に理解した気になって」。そして「勝手に失望する」。そんな真似をして、自分を嫌いになりたくない。

やはり、覚悟は十分しておこう。

 

カットといえば、一色さんがサッカー部のマネージャーで葉山くん狙っているという設定の説明は、カットされている、よね?

なるほどなぁと思った。

1話でも、由比ヶ浜さんが、戸部の告白計画を三浦さんに話そうとするのを、比企谷くんが止めるシーンがカットされている。だからこないだ書いたようなおれの感想が可能になるわけだが。

こういう基本的なことを説明しないと、またおれみたいな曲解厨がわいちゃうぞ、というか、誰かコメントでっこんでくれるかなと思っていたんだけど、もう2週間も放置されている。……やっぱり誰も読んでないんだな、おれの感想。くっそさびしい。

誰もつっこんでくれないから自分で回収しちゃう。

テレビしか見てない人は、未だに一色さんがサッカー部のマネージャーとは知らないわけだけど、まあ、分かるよねなんとなく、見てれば。

いや、サッカー部の部長とマネージャーという、キャラ紹介で真っ先に言及されそうなごく表面的な説明を敢えてしないからこそ、この二人がパルコでばったり会った時「え、なになにどんな関係」って気になって注目しちゃう。

だから、そんな肩書きよりずっと重要な関係性が強調される。一色はものすごい猫かぶりを葉山に対してだけ見せていて、葉山はそれがかぶられた猫だと分かってて少し寂しく思いつつ、それを剥ごうと踏み込むこともない、彼らしい節度を保っている。彼と彼女がそんなキャラで、そんな関係なんだ、って。

これは1話で、三浦さんに戸部の告白の話をしないように比企谷くんがクギを刺すシーンがカットされたことも同様で、このシーンがカットされているからこそ、由比ヶ浜さんが三浦さんを軽視してるという事態の本質がわかりやすく表現された、んじゃね? とすかさず自己正当化をしておきます。

 

この原作カットのうまさ。

これらの原作カットによって、アニメ「続」は原作より面白くなっている。まさか、そんなことをおれが書くことになるとは、全く思ってもみなかったけど、本当にそうだと思う。

たとえば、3話、一色さんが依頼してきた時に、ごちゃごちゃした選挙規則や一色さんのクラス事情など教師の立場や力関係とか、原作だと延々書いてて、確かにそういう状況がわからないと依頼自体が理解できないものになってしまうんだが。

でも、読むのたるいんだよね。それに、たるいのを我慢してちゃんと読んでも、やっぱり納得いかないわけ。担任の先生がノリノリだろうと、規則に想定されていなかろうが、やっぱり本人の意に沿わない立候補がまかり通るなんて、おかしすぎるでしょ。

でも、このシーンで大事なのは一色さんの窮地の理由ではない。八幡が応援演説のことを言い出すタイミングが早すぎるということなんだよ。八幡らしからぬ勤労意欲の旺盛さ。普段はなんか思いついてもギリギリまで黙ってて、おれなどは「早く言えよ」と読みながらツッコむのが常だったのに。

戸部の件でも最初は断ろうとしていたし、奉仕部には当然、依頼を断る選択肢があったはず。しかし、それを吟味する間も無く、いきなり解決法の検討になっている。

これは比企谷くんの攻撃だと思った。

「どうせお前らには何もできやしない」

「また最後はおれに尻拭いさせるんだろ」

そんなメッセージだと思った。

アニメ版では、それがより明確になったと感じた。一色さんの立候補の背景の説明をごっそり省いて、彼の介入の早さを強調するからだ。

比企谷くんがずっと抱えていて、でもどこにも出口のなかった怒り、ただ一人、葉山だけに向けることができた怒りが、ふんだんに画面に溢れていた。

雪乃さんは、比企谷くんの怒りが理解できない。突然、そんな怒りをぶちまけられて、訳がわからない。そんなことをされて彼女だって腹がたつ。物凄く不愉快だ。

しかし、彼女はそれを押し返せない。なぜか慌てて、焦って、彼女らしくもなく公序良俗に反する失言をしてしまうほど、取り乱してしまう。「うまく言えなくてもどかしい」感情が、一色さんの案件に対する冷静な分析を阻害する。

いや、案件自体を断ればいいじゃん。そんな一歩引いた当たり前の判断ができないほど、雪乃さんがペースを乱されている。一色さんの状況説明も最後まで聞けないほど、動転しているんだ。原作カットが、そういう演出として活用されている、そんなやり方あったんだ、ってすごくびっくりして感激した。

 

3話の話になっちゃった。4話の話題に戻す。

今回の構成も本当に巧みで、戸部くんの件に関する、葉山の感じ方と由比ヶ浜さんの感じ方が見事に比較されてて、すごく良かった。

葉山の気持ちはすごくわかると思った。わかるよぉ、おおおおお!! ってなった。

本来葉山側から言えば、彼は別に比企谷くんに非道を行ったわけではない。奉仕部という既成の枠組みをルール通りに利用しただけだ。依頼したところまでは葉山の責任だが、しかし、それを受けたからには、受けた方も責任がある。

その後の過程で、奉仕部内の人間関係が軋もうが、八幡が傷つこうが、そこはもう葉山の知ったことではない。

でも、そんなのは理屈だ。

もし本当に責任もしがらみもない通りすがっただけの人だったとしても、目の前でつらい思いをしたり、人間関係がこじれるようなところを見たら、こころ穏やかってわけにはいかない。人間って、そういうところあるんじゃないかと思う。

CSの某チャンネルでは、番組が終わるたびに、栄養失調で健康を害した途上国の子どもを一人、実名で紹介して、「あなたの寄付でこの子が助かる」みたいな募金の募り方をしている。おれは冷血無情で自己中心的な人間だから、毎回募金に応じるわけではない。しかし、その冷血漢をして、その惨状は直視し難くて、おれは逃げるようにチャンネルを変える。おれ一人で世界を変えられるわけじゃねーさ、とか、こころの中で卑劣極まる屁理屈をこねながら、おれは逃げ出すんだ。

おれは今回の葉山に、おれ自身のそんな罪悪感を、後ろめたさを、重ねて見てしまう。葉山の(つまりおれの)罪悪感はヒキタニくんの言うように、上から目線の傲慢な哀れみなのかもしれない。しかし、その傲慢さの鼻持ちならない悪臭をも含め、おれはその瞬間本気で苦しんでいる。無論、飢えて死にかけの子どもに面と向かって言えるはずもない恥ずべき感情だというのはわかっているんだけど、でもおれだって、おれだってな、傷ついているんだよ、八幡。

八幡のモノローグが極端に抑えられた演出のおかげで、葉山くんの気持ちの動きがありありと描かれて。

以前「誰かを助けるのは、誰かに助けられたいから」とは、葉山自身の思いなんじゃないか、と想像した。10巻を読んで、おれはますますその想像を強くしているのだが、その直前の「もうやめないか、自分を犠牲にするのは」も、やはり、葉山自身のことなんだよな、って思った。

それに対して八幡は「一緒にするな」って、はねつけるんだよ。

その言葉を、葉山はどう聞いたのだろうか、と。

想像するだに、胸が破れそうなほどだが、それでも想像を止めることもできない。

葉山は、自分を犠牲にしてきた。今もしている。それが自分だと思い定め、すすんで自らにそういう生き方を強いてきた。だからそれはどこまで行ったって、自業自得だ。誰にも責任を求められない。誰にも救えない。誰からも、理解さえしてもらうことは出来ない。

それでも誰かに分かってほしい。それが不可能で、わがままで、未練でずるくて最低のことだと自分でも思う、それでも、わかってほしい、と。

彼にだ。比企谷八幡にこそ、わかってほしい。それなのに俺自身も彼を傷つけた。他の豚どもと同じに彼の真珠を踏みにじった。せめて理解者でいたかった、他の連中とは違うのだ、俺は、君の価値を正しく知っているのだ、と、いつか、彼にもそのことを伝えたかった。そして、喜んでもらいたかった。彼の助けとなる、力となる、そんな贈り物をしたかった。

でも、俺はそれでも自分のことが一番なのだ。傷ついた君のことよりも、自分の罪悪感を許して受け止めてもらいたがっている。こんな醜い自分と、同程度にまで彼を引きずり落として、共犯者の仲間意識を持ちたいだけなんだ。

そして、やはり、比企谷八幡は俺の醜さを見抜く。

「一緒にするな」

「当たり前のことなんだよ 、俺にとっては。いつも、ひとりだからな」

「気持ち悪い同情押し付けて勝手に憐れんでんじゃねぇよ」

俺の甘ったれた自己憐憫を容赦なく切って捨てて、彼と俺とは無関係だ、と拒絶する。……にべもない。

その違いを、お互いの孤独を見せつけて、彼は振り返りもせずに去っていく。

葉山は一人、立ち上がることもできない。

 

「自意識過剰だわ」と言う雪乃さんにも、おれは勝手に共感を覚えてしまう。

その台詞の言い方が、実に苦しそうでなぁ。3回の時にも思ったけど、早見沙織さん、本当に上手いよなぁ。

目をそらし、口を歪める、そのときの表情のアニメーションもすごくいい。

本当は、こんなことを言いたいんじゃない。

でも、他に何言ったらいいか、わからない。

これがツンデレだよ、とおれは思う。ツンとデレの比が10対1とか11対1とか、そんな綺麗に切り分けられて比率が計算できるようなのを、おれはツンデレとは言わない。単なる照れ隠しとか強がりとかでしょ。

ツン即是デレ、デレ即是ツン。一挙手一投足隻言半句に、常に背反する気持ちが葛藤しつつも渾然と込められる、そんな感じがこそがツンデレだとおれは思う。すみません、また誤解しています。

この時点では、雪乃さんは自分の思いを全く自覚できていないとおれは想像しています、と以前も書いた。おそらく次回になるだろう「わかるものだとばかり、思っていたのね」と呟くときが、雪乃さんが初めて八幡への思いを自覚する瞬間なんだとおれは思っている。

だから葉山のように自覚的ではないけど、それでも、八幡を求める気持ちがあって、一方でそのことが申し訳ない、恥ずかしいと思う罪悪感もあって、それらが強くせめぎ合って、彼と向き合うと苦しくなってしまう感じなんだと思った。

 

ところが由比ヶ浜さんですよ。

おれはこの子の気持ちが全然わからない。いよいよ選挙に出馬するぞ、と八幡に告げる、夕日の眩しい下校の途中。

一体何を考えているのか。

葉山くんと比べて見るせいでわかりやすい。由比ヶ浜さんは、まったく自省してないかのようだ。

「勝手なのは、みんなだよ」

これっぽっちも自分が悪いという発想がないらしいのだ。

「あたしなんにもできないから」みたいなこと言って、白々しく自分に責任はないとしてからの「勝手なのはみんな」って、要するに「自分は悪くない社会が悪い」ってことじゃん。

八幡は明らかにツッコミ待ちのボケとしてそのセリフを言うわけだけど、由比ヶ浜さんはどうもガチらしい。

「今までずっとヒッキーに頼っていたんだって気づいた」

このセリフの言い方がいい。それは彼の貢献を認め、感謝するだけのニュアンスだ。そこに自責や後悔や罪悪感が出てこない。

だから、過剰に自責的に比企谷くんも素直に受け取りやすいんだよな。

彼のことを考えたら、こういう言い方をしてやるのは親切だと思う。由比ヶ浜さんはいい子だな。

でも、おれは納得いかない。

なぜ、この子はここでそんなに親切に振る舞えるのか? 一体何の目的で?

 

それにしても由比ヶ浜さんのこの鋼の自己肯定感はなんだろうか。非常に共感しづらい。

いや、彼女は確かに悪くない。この前も書いたように、そもそも由比ヶ浜さんが強く戸部くんの依頼を受けたがったのが発端じゃないか、という指摘は可能だ。でも、別に由比ヶ浜さんは権力者じゃない(表向きは)。どう足掻いたって、奉仕部全体の決定に、三分の一を超える責任はない。

その案件解決の過程で独断専行したのは比企谷くんであり、その後、その行動にいつまでも拘泥してネチネチと怒り続けているのは雪乃さんだ。由比ヶ浜さんはいつだって穏やかで中立的で、報連相を怠らず、関係修復にいつも心を砕いてきた。それだけの言動を着実に積み上げられては、客観的には、誰が見たって、由比ヶ浜さんは悪くない。

 

しかし、おれには、そこで客観的な妥当な判断ができる由比ヶ浜さんの冷静さが、理解できない。不気味にすら思う。

こんな人間関係で、みんなが苦しみ傷つきもがく中で、全然責任なくたって、気持ちが揺さぶられて、わけもなく罪悪感覚えたりするのが人情だと思うんだ。自分が何か出来たんじゃないか、あのとき、もしもこうしていたら、ああ言っていたら、ひょっとしたら今が変わっていたかもしれない、と。考えたって仕方ないのはわかっているけど、それでもどうしてもそんな思いが頭を離れない。

そして、そんな風に割り切れない気持ちにさせられることに腹が立って、必要以上に攻撃的になってしまったり。そんな自分が嫌になって、落ち込んだり。

つまり、雪乃さんや葉山くんだよ。そんなの、いいことじゃあないさ。立派だとも思えない。ぐじぐじもやもやしやがってうっとおしいめんどくさいと思う。

でもそれが人情ってもんじゃないのか、とおれはやっぱり思う。

 

おれも社会人を何年もやってる。

あえて面の皮を厚くして、感傷的な罪悪感だの共感だのを押さえ込んで、図々しくも朗らかな自己肯定感を押し出してみせることの有用性は知っているつもりだし、必要があるときはおれもする。

有用性の側面で判断するとき、由比ヶ浜さんの親切な言動が奉仕部を円満に維持するために非常に有効なやり方だと認めざるを得ない。

由比ヶ浜さんは適切で正しい。

とても先日、戸部くんの告白の応援を、空気読まずゴリ推ししたのと同じ人とは信じられない。

この統一性のなさが、おれを混乱させる。彼女にまったく感情移入できない。何を思っているのか。何を感じているのか。一体、彼女の胸中で何が起こっているのか。見当もつかないから、なにか想像を絶するような恐ろしい動機の存在をつい想像してしまう。

原作だと、むやみに自責的で自棄的になっている八幡の一人称だから、その辺がよくわかりづらかったんだけど、アニメ化されて、しみじみ思った。

ぬるぬると動きまくる繊細なアニメーションの力もあって、絡め取られて深海に引きずり込まれそうな、底なしの恐ろしさを感じて、口を半開きにしてみていた。

 

アニメで初めて描写されたと思うんだけど「そっか……、ゆきのんは、そうするんだ……」と呟くときの由比ヶ浜さんの視線の強さ。

これが多分、由比ヶ浜さんの地なんだろうと思った。

そして、「……だから、ゆきのんに勝つよ」と宣言するとき(タイトルにいう宣言とはこれのことだよね)の、虎のような瞳。これは地というよりは比企谷くんに見せつけるための演技の成分も多いと思うけど、彼女にしては珍しくある種の本音をかなりあからさまに見せたシーンなんだと思った。

そして、確かに宣言通り、この瞬間から由比ヶ浜さんは勝ち始め、9巻、10巻と雪乃さんを木っ端微塵に撃破し続けている。

由比ヶ浜さんの目的は、原作でも未だに明らかにされていない。しかしそれを読み解く大きな鍵が第4話の映像の中に描かれたのだと思った。

 

いや、そんなキャラちがうと分かってはいるんだけど。

天使なんだよね。素敵な女の子なんだよね。唯一の癒しになるラノベらしい男に都合のいいヒロインなんだよね。

わかっちゃいるつもりなんだけど、見るたびに改めて由比ヶ浜さんがおっかなくて。おれにはどうしても、恐るべき謀略家にしか見えないのだった。

確かに現実にあんな子がいたら、おれの見立てはそんなに遠くないと思う。これだからアニメに現実的な感覚を持ち込んじゃダメなんだよね。

俺ガイルの難しさは、他のキャラだと、結構現実的な感覚でも違和感ないというところ。戸塚とか材木座でさえ、由比ヶ浜さんよりははるかに現実感ある。おれはそこを上手に切り替えられない。

自分、不器用ですから。

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コメント

いつも読まさせて頂いておりますが、コメがないことに嘆いていらっしゃるようでしたので、初めてコメントさせて頂きます。
原作読んだ時には見えなかった、結衣の怖さにアニメ二話で気付かされました。
①修学旅行で最大の被害者になりかかったのが海老名
②それをギリギリで救出したのが八幡
③そこまで海老名を追い込んだ最大の加害者(戸部側から見たら最大の功労者)が結衣
④にもかかわらず、涙ながらの訴えで、被害者の立場を手に入れたのが結衣
⑤しかも登場人物はおろか、読者、視聴者からも責められるどころか、擁護、同情、賞賛されている
⑥これらを計算でも天然でもなく、悪意の欠片もない、善意や好意のみで成し遂げている
⑦よって、また同じことを繰り返す可能性がある(その時の被害者は雪乃や八幡かも…)
アニメは客観的な視点の為、「海老名側から見た修学旅行」が、よりはっきり見えたおかげです。結衣は、雪乃と八幡に最大のダメージを与えうる存在なので、ラスボスにふさわしいと思いました。

はじめまして。コメントありがとうございますヽ(´▽`)/

おお、確かにそうして要点を整理していただくと、むっちゃ怖いですな由比ヶ浜さん。
「続」5話でも、しみじみ怖かったですよ。
本当は恐ろしい由比ヶ浜さんの魅力は、いつ本領を発揮するのか、今後の展開から目が離せませんね。

twitterではフォロワー関係にありますが、こちらではお初でしょうか。いつも読ませていただいてます。
いろはすのマネジャー設定はOPで仄めかしてはいるのですが、本編で拾いきれない部分をうまく生かしているなと思いました。
結衣の一連のセリフは東山さんによって原作では読み取れなかった色が感じられて興味深かったですね。(全然理解はできませんが……。)
「勝手なのはみんなだよ」はどうしても6巻、ゆきのん宅での「私怒ってるからね」を思い出してしまいます。

↑名前入れるつもりでしたが入れ忘れました……。

コメントありがとうございます。初めまして。
群馬仁さん。いつもツイートこっそりフォローさせていただいております。

そうですね、「私怒っているからね」と似ているんですよね。あのころは私も、「ただ顔色伺うだけだった子がちゃんと怒れるようになったという成長」と思ってたんですけど。
何が違ってきたんだろう。
実は東山さんってすごく好きなんです。一期の時のラジオ聴いてて、めっちゃ頭いい子だと思って。奉仕部ラジオのメインパーソナリティなのに、ぼっちラジオにメール出して、総裁の座を狙っていく宣言したり、「江口さんはビジネスぼっちだ」発言とか。分かってるな此奴感すごいです。
由比ヶ浜さんは油断ならない、というイメージは、かなり中の人に影響されていると思います。

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