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« 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」9巻の感想 その1 八幡の仕事 | トップページ | 「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」10巻の感想 その1 視点の特権 »

2014年11月18日 (火)

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」9巻の感想 その2 ラスボスの話

9巻の感想の続き。

日付変わっちゃって、本日10巻発売日なのに、何書いてんだと自分でも思いますが。

でも、こればっかりは新刊を読む前に書き切りたかったので。

 

以下、例によって「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」9巻までのネタバレ全開なので、ご注意のほど。 

 

 

 

 

9巻読み終わって、一番最初に感じたことを書きます。

平塚先生がやかましい。

若いなぁ、と思った。お世辞でも皮肉でもない。

 

夜の橋の上で比企谷くんに缶コーヒーをおごって。そして彼女は言う。

「君と由比ヶ浜が雪ノ下に踏み込んでくれることを願っている」

余計なお世話だ、と、おれは心底思った。おれはこういうセリフを聞くと、腹の底から怒り狂ってしまう。

いや、平塚先生自身が、誰かに踏み込んで来てもらいたいだけでしょ?

比企谷くん関係ないでしょ。

自分の寂しさを自分の胸の中だけにしまって置けず、誰かに踏み込み踏み込まれたい欲求を生徒に託すような卑劣な真似、恥ずかしくないのか。

無論、恥ずかしくないんだろう。

こんなだから、結婚できないんだろうなこの人。9巻の彼女の発言聞いている限り、少なくともおれは結婚したくないタイプだと思った。

スポーツカー、タバコ、コナオトシ。そんな見た目から、男っぽいダンディズムに魅力を感じて、サッパリした合理性とか、肝の据わった落ち着きを期待して交際を開始したら、実はものすごく甘えん坊でヤキモチ焼きで感情的でウンザリするパターンだ。

 

まあ気持ちはわかるけども。つい口出ししたくなるよなぁ、あんなもだもだやってる子供達が目の前にいたらさ。

でも、そこをぐっとこらえるべきだろう、大人なら。まして教育者だろうが。

修学旅行で奉仕部の雰囲気が悪くなってから、1ヶ月かそこらでしょう? 長くとも2ヶ月は経っていないはず。

多少仲違いしたところで、非行に走ったり病気になったりしそうな子達じゃないし、全然、介入のタイミングじゃないと思う。

今は口出しせず様子をみるところだって、絶対。

 

確かに、彼らがあのまま疎遠になって、お互いに迷子になって、二度と気持ちが近付かない。確かにそんな可能性もあった。

まぁでも、そういうもんだろう、人生は。

平塚先生も自身でおっしゃった通りだ。

「君たちにとっては、今この時間がすべてのように感じるだろう。だが、けしてそんなことはない」

大賛成だ。

だから、ここでは彼らをほっとくべきだ。

おれが平塚先生の立場なら、最低でもあと半年くらいは静観する。犯罪とか自殺みたいな危険がない限りは介入しない。

もし介入しても、上に引用したところしか言わない。前後の台詞は余計だと思った。

まだ17歳じゃないか、比企谷八幡。

間違うことが必要な年齢だと思う。

 

教師は、大人は、チャンスを与えるべきだと思う。特に、助けを求めている子供には。

「青春は嘘であり、悪である」

高校生活を振り返ってというテーマの作文で、そんなこと書いている子供。彼は冗談めかしているようで実は必死で世界に向かって問い掛けているのだ、と平塚先生は気付く。

今この時、自分は彼にとって人類社会の代表とみなされているのだと。そう読み取ったら意気に感じることが出来る平塚先生のセンスが好きだ。

それで、彼女は彼に機会を与えることで、彼の問いに答えた。そこまでは良い。

しかし、それ以上のことを慎む節度も必要だ。それを弁えているのが大人ってもんだと、おれは思う。そんな大人の手本を見せてやることが、彼への一番の助力だ。

もしも彼が与えられた機会を生かさないとしても、それはそのままにしてやるべきだとおれは思う。

いや、仮に比企谷八幡が奉仕部でも孤立し、誰とも心通わせようとせず、後悔と無力感をたっぷり抱えながら卒業していくのだとしても、それはそれで、彼は明らかに十分機会を生かしたと言っていい。

ひょっとしたら、運命的と言えるほどの出会いだったかもしれない。お互いがかけがえのない存在となれたかもしれない。その関係が人生を根本的に変えたかもしれない。

でもそんな出会いが、些細なすれ違いから、卵の殻も破らぬうちに死んでいく。

それが人生だろ。

あの時、孵らなかった未然の可能性、あれはどうにかならなかったのだろうか。もしあの時、こうしておれば、あんなことがなかったら。そのことを悔やみつづける、その痛み、そういう後悔と未練を積み上げていくのが人間だろう。

それはそれで、また人生の得難い果実だ。

 

中学時代の「トラウマ」が今の、おれの愛する、チョーカッコいい比企谷八幡を作ってきた。

「人の思い出、勝手に傷だなんて呼ぶなよ。こいつは俺のチャームポイントだ」

そうとも。おれもほんとにそう思う。

しかしそう言えるのは、彼が自らその選択を選んでいるときだけだ。人が口出ししちゃダメでしょ。

無論、勝手なことをおれも考える。例えば、八幡くんは雪乃ちゃんと仲良くなって、イチャイチャラブラブしてほしいな、とかさ。

でも、おれがそんな無責任な言動を愉しめるのは、おれは紙面のこっち側にいて、何をどうしようと、彼らの言動に影響を与える心配が全くないと分かっているからだ。

「……ただ、私はそれが君だったらいいと思う」

でも、平塚先生はこんなこと言ったらダメな立場だろ。教師としてそうとう強い拘束力を発揮してきた人だ。なんで、お前の願い聞かされなきゃいけないんだよ。

そんな台詞の後、比企谷君の肩をそっと抱くんだぜ。

気持ち悪い。

母親との近親相姦みたいなシーンだと思った。

彼の悩み苦しむチャンスを、自分の身勝手な欲望で無理矢理奪うなんて、強姦も同然だ。

 

だから。

「俺があと10年早く生まれていて、あと10年早く出会っていたら、たぶん心底惚れてたんじゃないかと思う」

この比企谷くんのモノローグが切ない。

もし八幡が平塚先生と同世代で、しかもお互いが高校生同士のうちに出会えていたら、という仮定自体が痛烈な批判だ。

現時点では、人生の先達としては仰ぐに足りない、という評価だと思う。おれが平塚先生の立場で、10歳も年下の子供にこんなこと言われたら、自分の未熟さを死ぬほど恥じる。

平塚先生は悪い人ではないんだ、と。どうしても憎めないんだ、と。虐待されて育った子が親をかばうような切なさを込めて、でも、八幡は、平塚先生は大人気ないと言わざるを得ない。

 

これだ、とおれは思った。

これこそが俺ガイル。

 

学園モノのラノベに出てくる教師って、世界の代表みたいな意味合いをしょっているとおれは勝手に思って読んでいる。

世界は基本的に冷たい。でも、ある種の善意を持っている側面が確かにあって、必ずしも敵とは限らない。ある意味油断ならないけど、ある意味信頼できる。

そんな大人の世界を、身を以て示す役割なんだと思う。具体的に言えば、「AURA」のどりせん。あるいは「バカテス」の鉄人。

あと「アリソン」の冒頭で世界史を講義している名もない先生がものすごく良かった。「アリソン」って表面的には一人の英雄によって冷戦下の二大国の融和がなる、という童話のようなストーリーなんだけど。実は、英雄登場の前から草の根レベルで融和の機運はもりあがっていて、立場上明言出来ないけど、誰も真剣に「川向こう」を敵だと思ってないのだ、ということをあの先生が巧みに講義の中で、言葉では無いかたちで語る。あのキャラ造形、講義内容、さらにその教師を無名のモブ的存在として描くセンス、時雨沢恵一ってものすごい人だと思って。ラノベと言ってもバカにして読めないと襟を正したのを良く覚えている。

 

話が逸れすぎた。

平塚先生も結婚願望強い割に独身という、学園ラブコメの美人女教師のド定番なんで、おれも油断していた。上記したようなラノベ的な「いい先生」の役回り、作者の自己投影で、比較的には客観性を担保するキャラなのかなぁ、と。

でも、そうではなかった。これが俺ガイルクオリティ。

平塚先生が理想化された「いい先生」ではなくて、結局、自分自身の願望を生徒に押し付け、代理解決を求めるような人間だと明らかになる衝撃の展開。要するに縁談持ち込んでくるお節介おばさんレベルだよね。

かと言って、わかりやすい敵役、諸悪の根源みたいな存在では勿論無い。

どっちつかずのいい加減な傍観者でしかない。頼るべき大人の不在。大人世代への幻滅。確かにそれは青春小説の王道の展開だとは思うけど。

ここでそうくるか。厳しい、容赦無い展開だと思った。

 

平塚先生は教師として大人としてダメダメだ。お前はヒロインか。

でも小説のキャラとしては、おれはこういう人ものすごく好きだ。いや、キャラとしても嫌いだな。こういうタイプの嫌いなキャラが出てくる小説が好きだというべきか。

ラノベでいうと「イリヤの空、UFOの夏」の吉野とかものすごく好きだった。いや嫌いなんだけども。彼の存在だけであの小説は立っていると言ってもいいくらい、おれにとっては重要なキャラクター。そう言えば、彼も教師崩れだったな。

 

俺ガイルが素晴らしいのは、吉野的な裏切り者が一人どころではないところ。

先頭を切ってその薄みっともない馬脚を顕したのは、1巻の表紙を飾った正ヒロイン、雪ノ下雪乃その人だ。

何が「私は虚言は吐かない」だよ。

吐き通すこともできない程度の嘘をつく、嘘つきの中でもかなり浅はかな部類に過ぎないのだった。

その裏切りが八幡をどれほど傷つけたろうか。

いや、彼を傷つけるのは、雪乃さんの嘘ではない。

「勝手に期待して勝手に理想を押しつけて勝手に理解した気になって、そして勝手に失望する」

何度も何度も戒めたのに、それでも結局直っていない。八幡のその欲望こそが、彼を内側からかきむしり、壊すのだ。

彼は期待したい、理想を押し付けたい。そして、理解したい。身勝手にも彼は完全に理解していたい。

「自分が理解されないことは知っているし、理解してほしいとも思わない。俺が求めているのはもっと過酷で残酷なものだ。俺はわかりたいのだ。わかりたい。知っていたい。知って安心したい。安らぎを得ていたい」

それは、彼自身が認める通り「ひどく独善的で、独裁的で、傲慢な願い」だ。

一方的に主導権に握って、支配したいという欲求、全てを征服する俺TUEEE欲求の話を彼はしている。おれはそう思った。確かに気持ち悪い。

8巻、コーヒーショップの二階で歩み寄ろうとする葉山に向かって、彼が内心決めつける。

「俺が葉山を憐れんで手を貸した。それについて葉山が俺を憐れんでいい道理はない」

道理って、八幡お前、何言ってるんだ。葉山が何を憐れもうと憐れまなかろうと、決めるのは葉山だ。八幡はそのことに怒ることもできる、不満を感じることも可能だ、それ以外の感情も持つことはできる、でも、それだけだ。どんなに嫌がろうと、八幡に葉山の憐れみを止められる道理こそ、ない。

しかし八幡は葉山の感情を支配したいと、願った。思い通りに。

この傲慢、この独善、八幡の言うように、おぞましく浅ましい、その願い。

 

9巻で八幡は、ついに自らその願いを認める。

「俺は、本物が欲しい」

おれは、彼のいう「本物」とは、全てを理解し、支配したいというこの傲慢のことを言うのだと理解した。

うん、知ってた。別に驚かないよ、八幡。これまで、俺ガイル全編で随所に仄めかしてきた。しかし、にもかかわらず、ここまで彼は頑として、意識にあげようとしなかった。

どうしてか。

だって、その願いが明らかに馬鹿げているからだろう。くだらなくて、醜いからだろう。相手のことを理解し尽くして支配したいとか、幼すぎる。中二病よりも幼若だ。

気づかないふりをしているからこそ耐えられる、そんな臭みだ。もしも、自分のそんな願いを口に出してしまえば、その自分の幼稚さのふんぷんたる悪臭を、自覚せざるを得なくなる。そうしたら流石の八幡も恥ずかしくってやってられなくなるんだと思う。

それでも、いまや、彼は認めざるを得ないのだ。自分のわがままさを、こどもっぽさを。彼はやっぱり本物が欲しいのだ。

「それだけが欲しくてそれ以外はいらなくて、それ以外のものを憎んですらいた」

 

彼のとりまく世界の全てが現実を突きつけて、自覚を迫るからだ。

中二病でヘタレで嘘つきの雪ノ下雪乃の実像が、虚言を吐かない完璧超人の黒髪ロングのヒロインの実在を信じて憧れてしまう、比企谷八幡の夢見がちな正体を暴き立てる。

平塚先生も彼が心の底で待ち望んだような、彼を体当たりで導いてくれる理想の教師ではない、ただの寂しい大人だ。

小町もまた、優しくて気が利いてどこまでもお兄ちゃんの味方をしてくれる理想の妹じゃない。浅はかで世間知らずな中学生で、8巻では安直に彼女のアイディアに乗っかってしまって、あとでそのことを芯から後悔することになる。

葉山も、そうであって欲しかったような、「いいヤツ」ではない。所詮リア充で、上から目線で八幡のことを憐れんでくる。

彼がどんなに優しい世界で甘やかされたいと望んでも、完璧超人のヒロインも、破天荒だが熱血な教師も、お兄ちゃんを支えてくれる素敵な妹も、お互いに一目置き合うライバル的なクラスメイトも、結局彼の空想でしかないのだ。

俺ガイル世界に存在する、雪ノ下雪乃、平塚静、比企谷小町、葉山隼人はそんな単純な紋切り型のわかりやすい存在ではない。もっと身勝手で矛盾に満ち、比企谷八幡にとって都合の悪い、一筋縄でいかない不気味な存在だ。

ああ、それと引き比べてみた時、比企谷八幡の空想は、なんと甘っちょろく、陳腐で退屈で子供じみていることか。まるで、ラノベのテンプレみたいじゃないか。で、それ、なんのパクリ?

そう。やはり、彼の「青春ラブコメ」はまちがっているのだ。

 

そう読むとき、おれは渡航先生の哄笑を幻聴するように思う。

それは、比企谷八幡の幼児性を嘲笑する笑いでもあるのだろう、しかし、おれはそれに止まらないと思う。

中二病、何が悪い。ラノベに託して思い描くような、甘ったれた幻想、いいじゃないか、素敵じゃないか、おれは好きだ。世界はそのようにあるべきだと、確信をもって主張したい。

本当に笑われるべきは、なんなんだ。

そんな空想が、甘ったるいと、世間知らずだと、これだから童貞は、と、鼻で笑われて投げ捨てられる、そんな世界がそんなに正しいのか。

それが現実なのはわかっている、厳として頑として、実として充ちていて、繊弱なゆとり世代の細顎ではかすりキズ一つ付けられない、それも分かっている。

でもそれがなんだ。

強かろうが固かろうが、それだけだ。

みにくいじゃないか。

きたないじゃないか。

さむざむしいじゃないか。

おれは現実を嘲笑うことができる。叩きのめされて傷ついてすぐひきつるだけかもしれないが、それでもおれは、吠えるように、竹中直人のように、怒りながら笑おう。


そこまで考えて、おれは気がつく。

まてよ、重要な登場人物で、もう一人、まだ底を割っていないキャラがいるじゃないか。

極めて重要な存在、もう一人のメインヒロイン。

8巻でも、ただひとり「ヒッキーは頑張った」と、八幡の努力を正当に、つまり、八幡が思い描く通りの理想的な形で褒め称えた少女。

9巻でも、八幡が責任とかどうとか理屈っぽいところに引っかかって、たどり着けなかった本音を、つまり八幡の秘められた欲求をそのまま汲み取ってくれた少女がいる。

由比ヶ浜結衣。

恐ろしいことに、彼女は、ここまで徹頭徹尾、あまりにも理想的な「優しい女の子」のままなのだ。

まるでラノベのヒロインみたいじゃないか。

 

そうか、とおれは例によって取り返しのつかない誤解をする。

ラスボスは由比ヶ浜さんなのか。

もしこの小説がラブコメなのだとすれば、常識的には、最終コーナー入る寸前のリードは逆転負けフラグだ。作者が「もう少しだけ続く」と言う9巻終了時点で、デートの約束を二つもとりけている由比ヶ浜さんの恋の成就は、ほぼ絶望的と言っていい。

しかし、考えてみれば、雪ノ下雪乃さんにはもうカードが一枚もない。あれだけ仄めかしてきた、彼女の母親との関係、葉山隼人の過去、その辺りを書かないわけにはいかないだろう。でも、そこはそんなに予想を覆す展開が出来そうな要素ではないだろうし、ややこしい人間関係を整理するだけで紙数はつきるだろう、ほとんど新しい要素を盛り込む余地はないのではないかと想像する。

唯一ふくらましがいのある伏線は「誕生日プレゼントにパンさんの原著をくれた人」についてのエピソードだとおもっている。これが男性で、しかも葉山隼人の父とか兄貴とか、隼人くんにとって、雪乃にとっての陽乃さん的な、屈折した憧憬と劣等感の対象とかだったら最高なんだが、と妄想は膨らむのだけど、さすがにそれを書き出したら「あと少し」というわけにはいかないだろうし。

それに比べたら、由比ヶ浜さんのもつ可能性はすごい。彼女の家庭もプライベートも、客観的には全く開示されていないのだ。なんでも盛りたい放題だ。

 

これまでも、彼女の政治力について、底知れない不気味さを感じると書いたとがあった。

そうなんだ。確かに一見、主人公にとってひたすら都合がいいという意味で、まるで女神のようなヒロイン像に見えるんだが、そう思ってみれば、あまりにも政治的にスマートすぎて、ゾクゾクしてくる。

7巻から9巻のややこしい人間模様の中でも、彼女は全く無傷で、その存在は重さを増すばかりじゃないか。

9巻の奉仕部分裂の危機で、比企谷くんを呼び止めるセンスはすごい。どう介入しても絶対に自分の影響力が下がらない、絶好のタイミングを見逃さない。

そこで、まず自分を責めて見せることで、場のイニシアティブを完全に奪う。素朴に「あなただって」と言い返してしまう雪乃さんの単純さがあまりにも稚拙すぎて悲しい。

流れが運よく転がったというのもある(たまたま一色さんが雪乃さんの行く先を目撃していたとか)けど、結局、その場のみんなの本音を完全に理解できていた時点で、由比ヶ浜さんががっちり事態の首根っこを押さえ込んでいたのだと思う。

結果的には、全く危なげなく、由比ヶ浜さんの計画通りにことは落ち着いたのではないか。

そのイベントを通過して、一見、元どおりのような奉仕部。しかし、明らかに全然空気が違う。パワーバランスが一変している。

これまでは、部長ということもあり、ある程度立てられていた雪乃さんや、その実力と唯一の男子ということで、ある種の存在感を放っていた八幡が、少なくとも今の奉仕部の中では、もはや以前の重さや輝きを持つことはないだろう。

いまや、場の中心は由比ヶ浜さんなのだ。

 

アドベントのディスティニーランドをグループ行動するシーンでは、群れ全体を統括する由比ヶ浜さんの影響力がはっきり見える。

圧巻なのは、パレードを利用して、雪乃さんと八幡を二人きりにするくだり。

作品の中に明確な描写はなく、おれの想像に過ぎないのだけど、これは由比ヶ浜さんがわざとやっているんだとしか思えなかった。

おれは舌を巻いた。由比ヶ浜さんは恋愛脳で、八幡を自分好みのボーイフレンドに作り変えようとしているんだと思っているんだけど、奉仕部グループの実勢を把握した途端の第一手がこれなのか、キレッキレだろう、と。

雪乃さん程度の社交能力でも、女子の恋愛相談は実質牽制なんだとわかっている。もちろん、由比ヶ浜さんがそんな稚拙な手を使うはずがない。

おそらく、雪乃さんには何も話していないんだろうと想像する。自分の思いも、由比ヶ浜さんが恋のライバル的意味合いで雪乃さんを仮想敵と見なしていることも。

しかし、いくらなんでも、雪乃さんも、この二人きりの時間が由比ヶ浜さんから贈られたものだと、気づいたはずだ。

そして、雪乃さんもそこで初めて意識する。八幡が異性であって、実はそういう可能性が彼と雪乃さんの間にはあるのだということを。

そして、どうやら由比ヶ浜さんもそれと気が付いている、それも自分よりも早くから生々しく。そして由比ヶ浜さんは当然、彼女自身と八幡との間の関係をも意識しているはずだ、と、雪乃さんはそこで、どうしても考えないわけにはいかなくなる。

雪乃さんの考えすぎて行動に出ることに怯える傾向と、意外にも自己評価が低い特徴を、由比ヶ浜さんは十分承知の上で、彼女をここに追い込むのだ。

雪乃さんはこれをどう受け取るか。チャンスをあえて譲られたと思うかもしれないし、そのことに少しの喜びとその数倍の屈辱感と、かなりの戸惑いとを覚えつつ、混乱して、そしてやはり間近に彼がいるのであって、自分のことを気遣いながら歩調を緩めたりしてくれたりして、いつもならなんてことはないのに、心臓がなにか不思議な鼓動を刻み出すのであって、でも由比ヶ浜さんが見たらどう思うのかしらなどと想像しないわけにはいかなくて、そして、そして……

惑乱のうちに、本音を吐いてしまう。

「いつか、私を助けてね」

そうか、助けてほしかったのか、自分は、いつか、彼に助けてもらいたいのだ、と。

幼児のように心細くか弱い、寄る辺ない自分を、彼にもさらし、自覚して、由比ヶ浜さんにも見透かされたように感じて、彼女は、もうすっかり、心が折られてしまったにちがいない。

雪乃さんは針の筵の上では頑なに強がれる人間だが、他人の思いやりには戸惑い、不意に転がり込んだチャンスの前では凍り付いてしまう。自己評価が低いために妙な罪悪感があって、開き直ったりハッチャケたりできない。

由比ヶ浜さんもここまでうまくいくと思っていたわけではないだろろうけど、雪乃さんの弱点をついた見事な牽制だと思う。

 

まあ、おれはそう想像しましたよ、というだけのことで、どうせ例によって誤解なんだろう。本日発売の10巻を読んで、うっわーおれほんと読解力ないわぁと頭を抱えるおれの姿がありありと思い浮かぶ。

だけど、全てが由比ヶ浜さんのてのひらの上と、現時点でおれには見えているのは仕方ない。

おれは期待する、外れるだろうとわかりきっているけど、想像する。

ついに、八幡が、由比ヶ浜さんの化けの皮をはがす時が、くるのだ、と。

陽乃さんのそれが児戯に見えるほどの強化外骨格をついに突破して、恐るべき恋愛政治家の辣腕をかいくぐって、その鼻っ柱に叩きつけてくれるのではないか。

おまえみたいに都合のいいヒロインなんか実在するものか、と。

そのために、9巻まで傷ついてきたのではないか。

だからこそ、涙を流しながら「本物が欲しい」と、追い詰められた叫びをあげるしかなかったのではないか。

その本物ってやつ、嘘も欺瞞もない、つまり現実とは全く乖離した理想、空想、妄想、自分にどこまでも都合がいい、自分をひたすら甘やかしてくれる、まるでラノベに出てくるちょろいヒロインみたいな女神様、そんな本物。

そんな本物、手に入らないすっぱい葡萄が欲しいのだ、と恥も外聞もかなぐり捨てても、そこから話を始めなおした。

だから、言える。

由比ヶ浜、お前だって違うだろ、と。

そんなかわいいはずがない。

そんな優しいはずがない。

だって、そこは俺ガイルの世界だからだ。なめんな、ただのラノベじゃねぇんだよ、と。

 

そして、その時、ついに出会う。

未だ登場しない、由比ヶ浜結衣とだ。

性悪で邪悪で、つまり今と現実と欲望しかないような生き物だ。夢だの理想だのは、彼女の排泄物の中にさえ含まれない。

まだ見ぬそのどうしようもない悪党に、おれは猛烈に惹かれる。そんな奴はきっと登場しないのだけれど、それでも、今から好きになっている。

八幡だって、きっと彼女に出会ったら、くだらない「本物」のことなんて忘れちまうさ。

そんな最低の生き物と、血で血を洗うような恋に落ちるに違いない。

 

だったら面白いのにな、と思うけど。

でも、全然、違う方向に話は進むんだろうな、と、おれもわかっている。

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ラノベ」カテゴリの記事

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」カテゴリの記事

コメント

初めまして。pixivで俺がいるの二次創作を拝読しとても面白かったのでこちらにもお邪魔させていただきました。
俺がいる原作やアニメに関する感想、考察も分かりやすく、また私では思い至らぬような指摘ばかりでとても面白くためになります。
その文章に当てられて今からついつい身の程知らずを述べてしまうことをお許し下さい。
平塚先生の言動、行動に関する御指摘ですが一読者の私は全く異論はございません。
思っても(確かにその通りだよなあ、俺はそんなところも含めて平塚先生好きだけど)くらいです。
むしろあのシーンへの解釈を読ませていただき自分の中でモヤモヤしていたものに正答例を見せていただいた気分です。
ただ平塚先生に対して贔屓的な個人的感想を述べさせて貰えるのなら

「八幡が(自分で組み上げた予防線的)正しさ理屈と言った線を越え誰かに踏み込めるようになるには今が最高のチャンス」

と言う判断もあったのではないかと。
勿論雪乃さん以外の誰かとそういう関係に今後至る可能性もあるし、そもそもその変化に至らないのもまた八幡の人生の一つであるのは確かにその通りだと思います。
ただ結果論的であったり、神の視野を持つ読者的に過ぎる考え方かもですが
そういう正しさを差し置いても、平塚先生自身の感情『も』以てして八幡の変化、成長を願う平塚先生も個人的には好きですよ、と。
(平塚先生自身が八幡に実演して見せたとか作者にそういう演出意図があったとまでは言いません)
(過去の自分やもしくは自分が大切に想っていた人に重ねてはいるのかなとか妄想することはありますが)
勿論それでも一教師、保護者、正しい大人として許される範囲を超えているのはその通りかとは思いますし
そもそものご指摘の通り彼女の個人的な女としての感情も少なからずあったのかもですが
教師としての彼女、八幡の成長を(大人としてはある意味非常に未熟ながら)良くも悪くも教師としての領分を超えて願う彼女
他者に対する踏み込み方がやや過剰に過ぎる彼女
がどれか一つだけでなく全てがあっての平塚先生(に限らず俺がいるに登場する多くのキャラ)ではないかと
そう思ったわけでして。

釈迦に説法、その程度のことはとっくに考えた上だよと仰られるかもですが
素敵な二次創作や感想考察文に出会った時のオタク心理の発露だなあ、と苦笑とともにご容赦いただければ幸いです。

一読者が長文を失礼いたしました。

初めまして。コメントありがとうございます。
熱心にお読みくださって、感激です。

コメントいただいてから、このエントリー読み直したんですけど、いや、私怒りすぎでしょ、って思いました。
ご不快に感じた方もいらしたかもしれません。人が怒っているところを見るのは愉快な経験ではなさそうな気がします。
こんなに私が怒っているのは、平塚先生のことがもともとかなり好きで、すごく信頼していたからだと思いました。それだけに、期待はずれだったガッカリ感が大きかったんだと思います。
期待外れ、ってのも、平塚先生がどうとかではなくて、私の趣味嗜好の問題なんです。
私はあまりにも非人間的に完璧な教師像を期待しすぎていて、現実、そこまでできなくても全然悪いことはないし、むしろ、その至らないところにこそ、平塚先生の人間らしさというか、可愛らしさが現れているんでしょう。
完璧ではない教師像が、俺ガイルのリアリティーを増しているし、八幡の葛藤をより深くして、作品の味わいを増しているのだと思います。
そうと思っても、それでも、私は、平塚先生のキャラがどうしても好きになれなかった。

残念なんですけど、多分、貴方が「好き」とおっしゃる「平塚先生自身の感情『も』以てして八幡の変化、成長を願う平塚先生」というまさにその点を、私は受け入れ難く感じてしまったんじゃないかな、と思っています。
単純に好みの問題だと思います。同じ巨乳を見て「エロかわいい最高!」と思う人もいれば、「死ねデブ」と感じる人もいるかもしれない。そういう話だと思います。

でも、繰り返しますけど、平塚先生が理想的な教師でないことがこの作品の素晴らしさの一つだと思うのも本当で、平塚先生がもっと私好みのキャラクターの方が良かった、とは全く思わないんです。逆に、私の幼い期待が裏切られて、本当に良かったと心から思っています。
だからこそ、八幡が、正しさを、本物を、見失って孤独にさまよい苦しみ悩む、そんな物語として輝くのだと思っているんです。

これでお返事になったでしょうか?

お返事ありがとうございます。大変恐縮です。
先に書かれていた感想、考察やお返事の内容に異論等は一切無いのですがついついファン心理が暴走してしまい人様のブログで長文を書いてしまいました。
重ねてお詫び申し上げます。
恥の上塗りを承知でもう一つ。先生があそこで自分の感情からという形でアドバイスを出したのは
その直前で「相手を想ったがための美しい別離」を口にしたが故のバランス取りもあるのかなと。
それをああ表現せざるを得なかったのはやはり先生の未熟さなのかもしれませんし、表現云々の以前に過保護過干渉なのもその通りかもしれませんが。
あとあれ…八幡の10年早く~も中高生ターゲットのラノベ的セリフ(主人公が「自分が大人だったらと言わずに貴女が同世代ならと言う方が共感を得やすいという計算」)でそこまでの意図はなかったんじゃないのかも…とか思ってみたり…
すみません、自分のブログやpixivアカウントで書けって話ですよね。
再度長文、乱文になってしまい申し訳ございません。このサイトやpixivの文章、作品に感動しその興奮が未だに覚めていないのだと言い訳させて下さい。
失礼いたしました。

コメントありがとうございます。しっかりお相手下さって嬉しいです。
もし差し支えなければ、ハンドルネームなど頂けるといいなと思います。

二通目のコメントをいただいて、いろいろ想像していたのですが、ひょっとしたら、問題になっているのは趣味嗜好ではなくて、教師とはどうあるべきか、という教育論なのではないかしら、という気がしてきました。

私は、9巻の美浜大橋上での平塚先生の言動を見て、教師として全然ダメだ、とぷんすか腹をたてながら全面的な否定をしているんですけど、あなたは、確かに未熟だとしても、完全否定するほどではなくて、あれはあれで教師としてそれなりの役割を果たしている部分もあるのでは、とおっしゃっておられるのかなと想像しています。

こういう理解ではズレているでしょうか?

こちらこそいきなりの不躾が過ぎる長文に丁寧な返信いただき恐悦至極です。
私は未だ作品の投稿などはしていませんがお言葉に甘えてpixivでのHNを記入致します。
名乗る程の者ではないと思い無記入でしたが決して書き逃げするつもりではなかったのです。という意思表示のためにフリーメールではありますがメールアドレスを載せさせていただきます。

先の二件のコメント、無記名で誠に失礼いたしました。


今回も長文になってしまったので読んでいただいてから白状するのも不誠実かと思い先に書かせていただきます。
私は割と真面目に八幡×平塚先生というカップリングが好きで、どうすればそれが成り立つかを毎日考えているような人間です。
なので贔屓目が非常に強くなっていると思います。自分の妄想や思い込みを原作の正しい解釈と頭の中ですり替えている恐れもあります
ここから先の文もそういう人間が書いているのだと言うことを先に白状します。


件の平塚先生のセリフは教師としてどうなのかというお話なのですが
教師としては全然ダメというのはおっしゃる通りの理由でその通りかもしれません。
しかしあそこであのセリフがないと八幡は自身や自身の周囲の人間の感情から目を背けた正しい選択を行ってしまっていたのかもしれないかなと。
仮にそうだとしても「八幡の行動に結果的に好影響を与えたのだからいいじゃない」という結果論ではないかと言われれば全く反論できないのですが……。
なので「教師としての役割を果たせているのか」と言われれば今の私では「それは…違うかも知れない…」と言わざるを得ないかもしれません。
「間違っている教師かもしれないがそれでも私は平塚先生が好きです」とシンプルに書くべきでした。

私の中で平塚先生は「八幡の先生」に留まらず「八幡と個人的にすごく仲の良いお姉さんが八幡の先生になった」というキャラにすり替わっているのかもしれません。
いわゆるラノベ等のお姉ちゃん先生的な?
そんなすり替えが起きる時点で先生としてはダメって証明じゃん!と自ら墓穴を深めたかもしれませんが…

ここからは私の妄想が多分に入るのですが、私は平塚先生は
「過去の自分の経験(主に学生時代の)やそれから得た何かを生徒に伝え力になりたい」
「その生徒とは過去の自分と同じような自分の信じる正しさと周囲や世間との折り合いをつけるのが苦手な生徒である」
という人であり
「一部のお気に入りの生徒に関しては教師としての領分を超えて世話を焼きたくなる(焼いてしまう)」
人なのかなと思っておりまして

特に八幡に対しては
生徒であり可愛い年下の少年であり尊重すべき一個の人格を持った他者である
と感じていて
それらの配分がたまに間違える人なのかなと。
(上記の表現は以前pixivで見たコメントに影響を受けていることを白状しておきます)

平塚先生があの場面で自分の個人的な願いという表現をしたのは
彼女が八幡に対してあの時点の彼女が選べる一番真摯な言葉を選んだらああなってしまったのではないだろうか、と思ったことがあります。

勿論今述べさせていただいたことは解釈として間違っている可能性も大ですし正しかったとしても平塚先生を擁護することにはならないとも思います。
なので改めて
「間違っている教師かも知れないしその間違いは許されない部類ものかもしれないけれど
一回り年下の男子生徒に対して気持ち悪いくらい入れ込んでいるかもしれないけれど
そんな彼女が私は好きです。あくまで好き嫌いの話です」
と書かせていただきます。

更に続けさせて頂ければ
見ようによっては千葉村での鶴見留美の一件や文化祭準備委員会での放任ぶりは
八幡(や雪乃)への度を越えた信頼や彼らの成長を期待するあまり彼らの行動を信じすぎた、許しすぎた面もあるのかなと。
たまにpixivや2chなどで平塚先生のことを理想を求めすぎて楽観が過ぎる、無責任だと言うむきもありますが
それらも八幡や雪乃を想うあまりのことかな、と。
もちろんだからといって許されることでもないのですが。
場合によっては八幡と雪乃の成長の為に他の生徒を蔑ろにしていた可能性もあるかもしれないですし。
しかしそういうところも私は好き(あくまでも私自身の好き嫌いの話)ですと、書かせていただきます。

今回も長々と失礼いたしました。

コメントありがとうございます。msapさん。あらためてはじめまして。

ようやく、少しだけあなたのお気持ちがわかりはじめたように思っています。

「今述べさせていただいたことは解釈として間違っている可能性も大ですし正しかったとしても平塚先生を擁護することにはならないとも思います」
と書かれているのを拝読して、msapさんは、私の感想文によってご自身の正しさを否定されたようにお感じだったのではないか。あるいは、擁護が必要になるほど平塚先生が攻撃を受けているようにお感じだったのではないか、と想像しています。
そう思うと、大変申し訳ない気持ちになります。ご不快をお感じだったのではありませんか。
あなたにそんな思いをさせようというつもりは毛頭ありませんでした。

でも、ご安心下さい。
私は間違っています。
私は小さい時から国語が苦手で、成績はいつもふるいませんでした。特に「作者は何を伝えたかったのでしょう」とか「この場面でのこの登場人物の気持ちはどんなものでしょう」とか、正答できたためしがありません。
高校以後、試験問題が要求しているのは私の意見じゃない、採点者におもねる能力なのだ、と知ってからはそこそこ得意科目になりましたが、それでも思うようにいくものではありませんでした。
このブログを書くにあたり、「採点官」の気持ちを忖度したことはありません。だからもう間違いなく、私が間違っています。
小説の解釈の「正解」、というか「通説」とすべきでしょうか、それは読者一般多数の「総意」で決まるものみたいです。多数決とかはっきりしたのではなくて、空気というか、みんながそう言っているからなんとなく、みたいな。その前では、実は作者自身の自作解説さえ軽んじられることも珍しいことではないようです。
そのあたりを踏まえて、では俺ガイル解釈の「通説」とはどんなものでしょうか? 世間を顧みて、msapさんはいかがお考えですか?
私みたいなこと言っている人が、どのくらいいますか?
私もそんなに世論を熱心に調べたわけではありません。週に二三回#oregairuでツイッターに検索かけたりするくらいです。けどざっくり言って、世間の通説というのは、例えば「ガハマさん大天使」であり「ゆきのんは生徒会長になりたかった」であり、「平塚先生はいい先生、カッコいい結婚したい」だったりしているように思います。私がこのブログで書いてきたことと、ほとんど真逆の内容と言っていいのではありませんか?
それが通説です。msapさん、あなたが思い描く平塚先生像の方が、私のそれより、はるかに「正しい」のではないか、と私は思います。いかがでしょうか?

その上でお願いなんですが。多数派に属する正しいmsapさんには、まちがっているひねくれぼっちの私が、ここでひとり間違い続けることを、お目こぼしいただきたい。
9巻の感想その1でも書きましたが、俺ガイルを貫く非常に重要な縦軸の一つが「仕事」だと私は思っているんです。それも使命とかクエストみたい大仰でドラマティックなものではない、日常の生活雑務としての仕事です。いや、私が勝手にそう誤読しているだけですが。
でもラノベでそういう誤読に耐える作品って結構珍しいんです。私は俺ガイルの他に一つも知りません。まあ、私の想像力がないだけとという話ですが。
私もmsapさんのおっしゃるような、面倒見のいいお姉さんといちゃこらする空想は好きです。ニヤニヤします。しかし、それができるラノベは他にいくらもあるように思う。でも、「仕事」ラノベは俺ガイルしかない。私はここを出たら行くところがない。
私の、その「仕事」ラノベとしての観点で言えば、登場人物の中でほとんど唯一の成年の職業人として、働く大人の代表として見ることもできた平塚先生が、私情を公務より優先したのだとしたら、大変なことです。おそらく「続」8話の感想でもそこに触れないわけにいかないと思う。そして、とても心苦しいのだけど、おそらくその内容はmsapさんの意には沿わないものになってしまうでしょう。
あなたにご不快をかけたいわけではない。そこは本当です。
でも、やっぱり私は、正直な感想を書きます。

まあ、どうせ私は間違っているのですから、お気になさらないことです。やがて巻が進めば、私の空想は原作の展開によって崩され否定されていくのですから。
そしたら私はやっぱりとうなずいて、それでもちょっとがっかりして、それから、少し悲しんで。それで私の戯言はおしまいです。だから、それまでの間は見逃してください。

再度のご丁寧な返信感謝致します。
こちらこそ私の投稿で不愉快な思いをさせてしまったのなら誠に申し訳ないです。恥の上塗りを承知で書けば否定の意図は無く「こんなに凄い人に自分の意見を聞いてもらいたい!」と言う心理でして
いい年して何やってんだ!と言われれば弁明の言葉もございません。
重ねてお詫び申し上げます。誠に申し訳ございません。

投稿なさったSSも好きですし多数派かどうか関係なく仰ってることは間違ってないと思います。
先の私の文章で気分を害されたならそれは全く完全に私の文章力や推敲不足ゆえなのです。
言い訳にもならないのですがここで考察を読ませていただいて私自身は「先生大好き」から「間違っているかもしれないけどそれでも先生大好き」になれたと思います。
そのことに関しても感謝致しております。

今更身勝手な弁明かもしれませんがにぽぽだいさんの邪魔をするつもりは一切ありませんでした。
不用意な一連の書き込み誠に申し訳ございませんでした。

はじめまして。
由比ヶ浜さんを「政治家」として見た解釈におもわず感動しましたので感想を書かせて頂きます。
由比ヶ浜さんは本文内での描写では少なめなので、考察でもあまり重視されないか、他のヒロインのように萌えの対象にされるかですが、由比ヶ浜さんの行動力や影響力はかなり強いと私も思います。
具体的に言えば、他のキャラが視野が広すぎて動けないときに、ある視点から感情的に動いて物語を強引に引きずるというような。
私個人としては、由比ヶ浜さんは基本的にはファンとして愛に溢れた「天使」と見ていますが、理想を見ないという意味で本文のように小「悪魔」の側面もあると考えています。
とはいえどちらにも惹かれるあたりが由比ヶ浜さんのずるさですね。彼女がそこまでして八幡を手に入れたいという「愛情」がニセモノだとは私には思えません。
いずれにせよもう少し注目してほしいと考えています。

みそピーさん初めまして、コメントありがとうございます。
お返事遅くなりました。ごめんなさい。
由比ヶ浜さんは「本当は嘘でもいいのに」と次回予告パートで言ってくれました。
彼女のそういうところが、私はものすごく好きだったんですけど、ようやく原作でもその点が描かれるようになってきて、とても嬉しいです。
今日、新しく更新した記事はまた由比ヶ浜さんの話です。ご笑覧いただければ幸いです。

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