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2014年11月20日 (木)

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」10巻の感想 その1 視点の特権

10巻読みました。

衝撃の10巻でしたね。

 

以下、例によって「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」10巻までのネタバレ全開なので、ご注意のほど。

 

 

 

 





何が衝撃といって、これまで徹底的にこだわってきた、八幡視点一人称の叙述から、ついに方針転換したこと。

作品中に明示されてはいなくて、おれの想像にしか過ぎないわけだけど、278ページの「第二の手記」は葉山、336ページの「第三の手記」は陽乃さんの視点による一人称の記述でしょう。ちがうかな。

まあいい、とにかくおれはそう思った。

 

完全に意表をつかれた。とんでもない展開だ。

渡航先生は、相当、真剣で本格的な書き手だとおれは思っている。

小説とか文学作品とか、そういう類のものって優れているものほど普遍的で、万人の魂に訴えるものなんだろう、とおれは思っている。個人的な感想だが。

つまり、優れた作品ほど、その内容自体は、普通で平凡だということだ。

「そうね、とても普通だわ。凡庸ね」

むしろ、本当に珍奇なものは、支離滅裂で理解不能なだけだろう。

じゃあ、優れた作品とそうでないものの違いは、何が問題なのか。

「い、言い方の問題じゃん!」

そう、由比ヶ浜さんの言う通り。

結局、全ては文体なんだと思う。それ以外は何もない。少なくとも、おれにはそれしか見えない。叙述のアングルと光源の取り方が、作品の全て、と過言してもいいくらいだ。過言なのかよ。

まあ、渡航先生の考え方は違うのかもね。

世の中には、明らかにこの人は文体を軽視しているんだろうな、それよりもいまだに語る価値がある「なかみ」の存在を信じているみたいだと、そう感じてしまう作家もおれは見かける。

でも、おれは、渡先生がそうだとは思わない。

初版第1巻の帯を平坂読に賛を書かせるあたりの愉快犯的悪意の清々しさを、おれは以前讃えた。あの確信的な故意は、文体について、いま述べたような関心を持っている人のそれだと思っていた。

アニメについても、一人称小説の八幡主観の叙述と、三人称映像作品の視点の違いをお楽しみください、的なツイートををされていて、ここでも紹介したことがある。

彼は書き方と文体に、マニアックなくらいのこだわりがあるに違いない。と、まあおれが空想しているだけのことなんだけどもね。

 

そういう作家が、主人公一人称をきっちり続けて9巻、アニメ化もされて二期の製作も決定、「このラノ」でも2年連続で一位獲得(三冠おめでとうございます)の大成功中の作品で、最新刊でわざわざ視点のありかを移動させようというのだ。

天地がひっくり返るような大変革だと、おれは深く衝撃を受けた。

 

この物語、うんざりするほどにテンプレのラノベ的設定で書かれてきた。

美少女と謎部活、美人なのに嫁き遅れの女教師、お兄ちゃん大好きの妹。両親は影が薄く、口うるさく干渉してくることもない。

これがラノベだからと、おれなどはすっかり騙されて素朴にそれが「シンジツ」と信じてきたのだけど、実は、それは「そのように書かれてきただけ」にすぎなかったのだ、と次第に明らかになりつつある。

と、前回のエントリーで書いたことだけれど。

そんな展開を可能にしたのは、八幡一人称の語り口だったからだ。いわゆる叙述トリックのもっとも古典的な、語り手が犯人のパターンだ。

 

そう、八幡が犯人なのだ。

彼の言う「本物」ってのは、所詮、ラノベ的にふわふわしたラブコメ展開のごとき充足に過ぎないのだ、と、おれは読み取っている。

だから、彼のファンタジーの外に住む、都合のいいヒロインではあり得ない雪ノ下雪乃から正面切って

「あなたの言う本物っていったい何?」

と問われた時、口ごもるしかない。

要するに「もっとお母さんみたいに言ってくれ」と甘えたいだけなんだと、改めて意識すれば、それは死んでしまいたいほど恥ずかしいことだから。

それでも、認めなければいけなかった。口にしなければならなかったのだ。

そんな「本物」など甘ったれた幻想だと、現実逃避だと、暗がりに母の温もりを求めて泣く幼児の悲鳴なのだと。

それでも、生きていくのだから。

自分で、自分の幻想にとどめを刺さなくてはいけないのだ。八九寺と別れる阿良々木くんみたいに。

 

そうして、いま、世界は劈かれたのだ。

もはや、一人称で世界を語るのは、八幡の特権ではなくなった。

いまや、彼は他者の容喙を許すほかなく、やつらがてんでに口々に語る世界に侵食され、見る影もなく食い荒らされて、それでも生きていくしかないのだ。

10巻は、その始まりを告げる鶏鳴なのだと思った。

 

とりあえず、まだあまり感想はまとまらないのだが、衝撃のあまり書いてしまったので、書いたところまでアップしました。

 

あと、ついに登場しましたね、雪ノ下家の母。

二次創作でよく見かけた、着物の似合う若く見える美女のイメージが崩れなくて良かったです。一番嬉しいのはingmarさんの作品がそんなに否定されなかったところ。はやく続きアップされないかなぁ……。

それにしてもこの期待通りのラスボス感。

一目で由比ヶ浜さんの「大人っぽさ」を見抜くあたり、さすがだと思いました。ラスボスはラスボスを知る、というものでしょうか。

 

それにしても由比ヶ浜さん手強い。

戸塚君でさえ、この巻で八幡は再認識しつつあるというのに、由比ヶ浜さんだけはぽっかりと盲点に入りこんだように「やさしい女の子」ポジのまま。

雪ノ下のお母さんがわかりやすく威圧してくれるシーンがあっただけに、真のラスボスの恐ろしさを改めて思い知ったね。

 

最後になっちゃったけど、濃厚なはやはち、ごちそうさまでした。

よかったなぁ、隼人。

「君が誰かを助けるのは、誰かに助けられたいと思っているからじゃないのか」

葉山がこんなことを言うのは、葉山自身が助けを求めているかじゃないか、と以前ここでも触れたけど、それがほんの少しだけ届いた感じ。

「俺もお前が嫌いだよ」

八幡がそう言ってくれた。よかったなぁ。本当に良かったなぁ、隼人。

この言葉だけを頼りに、葉山は生きていけるだろう。みんなのための葉山隼人をやってみせて、それが誰にも見破られないとしても、八幡なら見透かしているだろう、と。嫌悪し、軽蔑するのだろう、と。それだけを支えに。

「葉山隼人の出した答えを不誠実だと詰るのなら、そのものはさぞや納得のいく答えを出すのだろう。葉山隼人とは違う答えをきちんと出すのだろう」

八幡のモノローグは、少し前の甘ったれたロマンティストだった頃の自分に言っているんだと、おれは思った。

うれしかった。八幡のためにも良かった。

ずっと、言ってやりたかったんだ、八幡に。今の八幡なら、当時の自分をニヒリストだなんて呼ぶまいよ。

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コメント

ingmarです。10巻の感想を渉猟してここに辿り着いたのですが、非常に深く鋭い考察に溢れていて、宝島を見つけた気分です。管理人がにぽぽだい様だと知って納得しました。SSの方は前々から愛読させて頂いてます。

仰るとおり、今回は本当に衝撃でしたね。わたしは初読の際には、別視点がとうとう出てきたという事実に圧倒されるだけでした。でも、にぽぽだい様が指摘なさっているとおり、これは単なる叙述法の変化ではなく、世界観の決定的な変容と捉えるべきだとわたしも思います。多様な人物の多様な価値観や告白が噴出する中で、その中で八幡はどんな本物を見つけ出すのか、本当に目が離せませんね。

10巻の感想の続き、心から楽しみに待っています。個人的には、今巻における雪乃と陽乃をにぽぽだい様がどのように解釈したのか、とても気になります。

末筆ながら、二次創作の感想の記事、本当に嬉しかったです。葵絵梓乃様やくぽぽ様と並べてもらえるだなんて、夢のようです。それと、ベルイマンのファンだと見抜かれてびっくりしました。雪ノ下家はわたしの中では『叫びとささやき』のイメージで捉えてます。

乱文乱筆失礼致しました。新しい感想が読めるのを楽しみにしています。

ingmarさま、コメントありがとうございます。
……って、あのingmarさんですか? 本物?
いや、この文章の感じは本物さまの感じです。すごい!! わーい!!
コメントいただけて感激です。

過分のお褒めをいただいて、舞い上がっておりますが、なにより、視点変化についての衝撃を共有できて、大変嬉しいし、光栄です。
この本質的な地殻変動の上で問われるのが「本物なんてあるのだろうか」という問いなのだから「本物」ってものへの取り組む渡航先生の意気込みを感じます。

それにしても、なるほど「叫びとささやき」なんですね。
「人の血で染めた」と陽乃さんが笑う、色留袖の「深い情念に満ちた」赤は、やっぱりそうなんだなと思いました。
あんな色彩感覚で情景と人物描写を一気にやってのける筆力とか、ディキンソンがさりげなくでてくるあたりとか、本格的に文章を書かれる人はちがうものだとしみじみ思っていました。

SSのつづきを、楽しみに待っております。

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