「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」8巻の感想 その5 ようやく比企谷八幡の場合
いよいよ比企谷八幡の話。
おれは八幡が好きで、美化することあたかも雪乃が八幡を視るごとくであり、大多数の方には「こげん人じゃなか」と違和感を持たれる感想しか言えない気がしていて、書くのもためらわれる……
なんだいつも通りか。
以下、いつものように俺ガイル8巻までのネタバレがありますので、ご注意。
おれの中では、八幡は王子様キャラに分類されてる。
のっけから何言ってんだろう。
他の人の気づかないヒロインのピンチに気づき、他の人のできないやり方で、そこに共感を示す。
助けたり救ったりではないところが、おれ的にはすごく王子ポイント高い。
宮崎駿のマンガ「シュナの旅」で、シュナが人買いを倒して、囚われた奴隷を解放する。その時、シュナは檻の鉄の扉を開いて「たとえ一生追われる身となっても自由を望むものは出てくれ」と言う。
そして、他の奴隷達が恐れて立ち上がろうともしない中、ヒロインの姉妹だけが外に降り立つ、というのが「シュナの旅」のストーリーなんだけど、八幡の助け方もそんな感じに見える。
救助といえば、まあやはり救助なのだろう。ヒロインの選択肢を広げて、より自由にするため、強力に介入したのは、間違いない。
しかし、最終的な決断と、決定的な行動は、ヒロインのものだ。その自由と責任と矜持を決して侵さぬその姿勢を、おれは王子と呼ぶのだ。
当ブログの端緒だったオーディンスフィアのオズワルド様が、まさにそういうタイプだったし。
そうやって八幡から、救済というか解放というか、思っても見なかった自由な選択を呈示され、突然重い責任をつきつけられる相手は、けっこう多い。
例えば、葉山隼人であり、鶴見留美であり、海老名姫菜であり、一色いろはであり、もちろん、雪ノ下雪乃も。
8巻での一色いろはへの介入がまたすごく八幡らしくて、きゅんきゅん来る。
おれの中では、一色いろはは、入学式で八幡にサブレを助けてもらわなかった由比ケ浜さんというイメージ。心の無い政治マシーンのまま、ブレてないというイメージである。
ひとつ由比ケ浜さんと違う、と思うのは、単なる安全平穏に飽き足らないという雰囲気があるところ。
わざわざおっかない先輩(三浦優美子)の虎の尾を踏んでまで、さして関心のない先輩(葉山隼人)に手を出……つなごうとする、みたいな真似をする。
八幡が「これあかんやつや」と警戒するのは、彼女の、この治に居て乱を望む野心というか冒険心というか、危なっかしさを感じてのことだろう。
八幡が特に敏感だからという訳ではなく、一色さんが無防備というかむき出しというか、挑発的なまでにだだ漏れなんだろう、だから30人以上もの人間が推薦名簿に実名書いちゃう訳でしょう。
8巻後半、八幡と一色との交渉シーン。
一色視点を想像すると、ときめきを抑えられない。
八幡から悪巧みを持ちかけられる。丁寧な下準備をもとにした現実的なプランで、一色いろはの利益を適切に押さえたセールスポイントをアピールされる。
このクレバーな雰囲気は、高校生女子にとって稀有な体験なのではないかと想像する。
峰不二子扱い、と言っていい。クールでスマートで、なおかつコケットな、いっぱしの悪女と見込まれての交渉なのだ。
一色は、かわいい女の子を演じつつ、一方それだけには収まらない野望というか気概が漏れ出てしまって、孤立してしまう。
それでいて、どっかで自信がない、普通の小市民的な自己イメージを越えて行く踏ん切りがつかない。
一色にはビジョンが無いからだ。思い描く女性像に幅がない。女の子って結局カワイクなくちゃ、みたいな固定観念を感じる。
その視野狭窄を、八幡の奸佞が突き崩す。人間はもっともっとヨコシマでしたたかで計算高くて良いんだ、と、目の前で夢も希望も無い薄汚い打算を、恥ずかしげも無く開陳してみせる。
それが、一色はおそらく予想だにしていなかっただろうけど、超カッコ良いのだ。ギャング映画や、コンゲームものの、ハードボイルドなダンディズム。
「……先輩ってもしかして頭いいんですか?」
頭がいい、というのは、先輩に遠慮して表現を選んだのだろう、ずる賢いとか、抜け目無いとか、そういう意味と思って間違いない。
その問いは、私のことも、同じような意味で頭いいと思ってもらってるってことですよね?という確認。
それに「まぁな」と答える八幡の、ニヤリと邪悪に笑う腐った眼差しがありありと想像出来る。
一色視点で読んでいたおれは、その悪い笑顔にメロメロである。
おれは、これを解放と感じる。閉塞していた窮屈な一色の世界を、ずどんと風通し良くしてくれたのだ。
八幡視点では、今回の彼の働きは小町のワガママを聞く体裁だし、由比ケ浜さんと雪乃のことで頭いっぱいだし、一色いろはのことなんかどうでも良いという扱いなのに、それでいてこうなんだから……もーなんてヤツだ。
いや、おそらく、だからこそなんだろうな。
八幡は基本的に自分から動く積極性を持ち合わせないし、誰かをどうにかしてやろう、という干渉的な態度も取らない。チェインメイルの件の葉山に対してもそうだし、林間学校の時の鶴見留美の件でもそうだった。
6〜7巻の時間軸ではその点かなり変調があったとおれは思ったけど、8巻では、本来の抑制の効いた八幡的スタンスを取り戻したようにおれは思った。
いかにもな主人公の押し付けがましい善意や熱意は、暑苦しい。
でも、八幡のやり口なら、さらりと涼しげで、息をしやすい。
な? ほら、美化しすぎだろう?
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