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2013年12月12日 (木)

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」8巻の感想 その1 由比ケ浜結衣の場合

というわけで、買いましたよ、読みましたよ、8巻。

 

「働いたら負け」 「負けることなら俺が最強」

つまり八幡は「最強の働き者」ということが三段論法的に明らかで、事実、破綻しつつあった文実で、最前線を一歩も退かず支えきった労働力であった。

すると、やっぱり俺ガイルは渡航先生の自伝なのだろうか、働きすぎでしょうが、月刊渡航。どういうこと? 死ぬの?

以下、感想書いてみます。いつものようにネタバレ大威張りなので、未読の方ご注意下さい。

 

 

 

 

しかし、どうでもいいけど、おれは艦これ乗り損ねちゃって良く分からないんだよ。

艦これネタさっぱり不明で絶望した。

あれでしょ、とりあえず「那珂ちゃんのファンやめます」って言っておけば良いんでしょ?

「弱虫ペダル」「のんのんびより」「キルラキル」など今期ネタには戦慄したが、アレだよね、放送予定調べて入れてみただけだよね?

放送見てから書いている訳じゃないよね?

どんなスケジュールなんだよ、とか考えると全然関係ない他人の仕事なのに背筋寒くなるからやめて!!

 

7〜8巻は、9巻に向けてキリキリと弓弦引き絞るところで、いい感じに鬱憤貯めてきていて凄く良い。

平塚先生がノックして入ってくるとか!! どんだけ雰囲気悪いんだよ、奉仕部。

9巻の発散が楽しみでもあるけれど、8巻自体で完成度凄くて、正直、ここで完結だとしても、おれは納得する。

「同じ人がいるのに、まるで違う場所のように感じる。

紅茶の香りは、もうしない。」

この辺の雰囲気が大好き。

第1巻の頃の「ちょっと捻って来たけど、要するにラブコメだよね」みたいな感じから、ここまで来たのか、と。第1巻なんか、ラッキースケベあったんだぜ?

信じられない。

 

8巻はずっと雪ノ下雪乃のターンというか、すっかり雪乃と八幡の二人の物語になってしまって、由比ケ浜さんの影が薄過ぎて泣ける。

6.50巻読んでたときは、やっと由比ケ浜さんのターンktkrとおもったんだけどなぁ。

6.50巻、体育祭の大工仕事で、手伝いの男子が話しかけてくるのを、由比ケ浜さんは三浦さんの名前出して躱す。これを見ていて、八幡は「政治力90」とか評価する。

鶴見留美のエピソード辺りから垣間見えているけど、由比ケ浜さんは優しいとか、空気読めるとか、そういうキャラではなく、冷徹なパワーゲームプレイヤーなんだろう、とおれは想像していた。その辺りは陽乃さんにむしろ近いのではないか。ようやく、そこが俎上にあがるのか、と思ったんだけども。

八幡が「ビッチ」と評するその風体も、不自然なくらい頭の弱い子を演じようとするのも、おそらくわざと、清楚系の好きなマジメ男子から忌避されるための演出だろう。

一方、軽い女の子が好きなチャラい系男子は、三浦優美子の眼光で弾ける。

そうやって男子からの干渉の総量を抑えて、女子としての自分の商品価値を維持することと、自分から相手を選べる身軽さを同時に得ているのだろう。

2年になるとき、相模グループから三浦グループに移ったのも、そのあたりのメリットを計算した上のことではないか。

三浦との関係を微妙なものとしてでも、雪乃との交遊を維持し続けるのが、きわめて巧みだ。

どちらに転んでも「強面の敬遠される系の美少女の親友ポジ」を狙うという従来の方針は外しておらず、その上、いざとなれば三浦を切っても自分には別に居場所がある、というアピールは、三浦グループのなかでの自分の立場を重くする。

第1巻の時点ではおれも良く分かっていなかったけど、F組の2位グループ、相模グループとの競合関係を考えると、由比ケ浜と仲違いをすることは、三浦さんの致命的な権威失墜につながりかねないではないか。

三浦の方はそんな計算ばかりではなく、なにより由比ケ浜さんが好きなだけで、一番の仲良しでいたいだけ、という感じなのがちょっと可哀想なんだけど。

雪乃と親しくする理由には、上記のような三浦への示威という意味合いの他に、雪乃と八幡の関係を牽制する意図があるのも明らかではないか、と、おれは思う。

ここでも雪乃さんの方は、幼児のように無邪気に手なずけられてしまっていて、なんというか、かわいそかわいい。

しかし以前も書いたけど、由比ケ浜さんには、そんな人情の機微は分からない。

冷酷無慈悲な無敵の政治マシーン。それがおれのイメージする由比ケ浜像だ。かなり明確な自覚をもって政治的遊弋を行なっていることが、6.50巻までではっきりしてきた。

 

驚くべきは、その自覚があることを、八幡に仄めかしていることだ。

政治的決断に伴う非情さ、しかも自覚的意図的にそうしているのだ、というのは、むしろ女子的にはマイナスの評価ポイントであろうし、政治的にも致命傷になりうる。

それでも、八幡に、そのことを伝えようとする。

おれは戸惑う。由比ケ浜さんが分からない、と思う。

おそらく、そこが彼女の面白さなのだろう。

おれは想像する。彼女は、自分の政治力と、それに頼った行き方に、ひょっとしたらある種の自己嫌悪、罪悪感を感じているのではないか。

鶴見留美の孤立に際して、八幡や雪乃は被害者としての気持ちには共感出来た。しかし、留美の加害者として罪悪感を思いやれたのは由比ケ浜さんだけだった。

罪悪感があるからと言って、じゃあもうその政治的振る舞いをやめる、というわけには、もちろん簡単には行かない。

やめれば大変な苦痛や損害を被るかもしれない。

それが怖いから、つい身に染み付いた習性を繰り返す。その度に、自分のことをますますイヤになるのだとしても。

さらにおれは想像を重ねる。多分、由比ケ浜さんが八幡に惹かれているのは、この辺りなのだ。

彼女の青春は、八幡に言わせれば「嘘であり悪だ」と決めつけられてしまうだろう。誰もが彼女の演技に騙され、彼女を愛して、大事にしてくれる。でも、八幡はその欺瞞を嗅ぎ付けてしまうだろう。顔をしかめて、その腐臭を許さないだろう。

由比ケ浜さんが、奉仕部を訪れるまでの1年余り。何を思って八幡を観察していたのだろうか、と想像する。その間、彼の家族には挨拶に行っているのに、入院中の彼本人にはお見舞いに行っていないのだ。

由比ケ浜さんは優しくない。自分の身の安全と自由の確保のために、最大の利益を引出せるように人間関係をコントロールする政治家だ。だから、他家の飼い犬のために身を投げ出す、という優しさを、おそらく理解出来なかったのではないかと、おれは想像している。

八幡は何かとんでもない下心を隠しているのかも知れない、或いはものすごい賠償や報復があるかもしれない、ひょっとしたら何か大きな勘違いや手違いがあるのかもしれない。

と様々な懸念を持ったのでは無いかと想像する。

怖いから、彼に対して軽々に名乗り出られない、かといって完全にばっくれてしまうのも不安で、相手の住所や家族を確認しておく由比ケ浜さんのピリピリした警戒を思うと、胃が痛くなるように感じる。

しかし、それでも、ついに、警戒と観察を続けていくうちに、由比ケ浜さんにも分かる日が来たのだろう。

八幡は、ただ犬を助けただけなのだ、と。

そのことで怪我をしたことも、学生生活が出遅れてしまったことも、友達の輪に入り損ねたことも、誰を責めることも無く、止むを得ないこととして、受けとめてしまっているのだ、と。

彼は後悔していない。恨んでいない。補償も賠償も反省も復讐も求めていない。 本当にそうなのだ、と。

それは、由比ケ浜さんにとってはよっぽど深い衝撃だったんだろうな。

その何の下心も無い純粋な親切を思い知って、それを理解するために1年かかった自分の計算高さや、優しさの欠如に愕然として、ひょっとしたらそのとき初めて、そんな自分に自己嫌悪を感じたのかもしれない。自分の行き方に疑問を感じたかもしれない。

彼女が八幡に近づこうとしているのは、彼女のあり方を根本的に否定する側面を持つからなのかもしれない。

 

今のところ、八幡は由比ケ浜さんを「優しい女の子」なんだと思いこもうとしている。

そして、彼女の他者全てへの平等な優しさを、自分個人への好意と勘違いしたら、自分が傷つくから、彼女から好かれていると思わないようにしよう、というややこしい言い訳をして、彼女の好意をスルーし続けている。

おれは、そんなのは出来の悪い言い訳だと思っている。おれの勝手な想像だけど。

8巻で、かつて折本さんに向けた思いについて書かれている点が、核心なんだと思う。

「辛いのは、自分が好きだと思っていた子に、そのくらいのことで失望している自分に気づいてしまったことだ」

相手を決めつけた。自分の理想を押し付けた。その上、自分の理想に従わない相手に失望した。

そんな自分の傲慢な身勝手さ。「自身の幼さゆえの無知」だけは、八幡は笑って流すことが出来ない。

陽乃さんが「自意識の化け物」と指摘するのはまさにこの感覚について八幡が語った時。

正直、おれ個人の感覚で言えば、誰かに自分の理想や期待を押し付けるなんてことは、当たり前のことだ。別に恋愛に限らない。どんな人間関係でも、それが普通、というか当然だ。

今日のおれの食事が、他の生物が殺戮された結果だ、というレベルで基本的なことで、まあ、そこで罪悪感みたいな気持ちを持つのも分からないではない。だけど、うーん、神経質過ぎるでしょ、という気分がおれの内心の過半を占めるのも事実。

そんな押しつけが当たり前の社会自体が気に入らない、だから自分は社会に極力参入しない、ぼっち最高、というのが、八幡の理屈なんだろう。一応筋は通っている。

 

「理性の化け物」そして「自意識の化け物」

キャッチーなフレーズでテーマに切り込んでいく時は、大抵が言い過ぎになって薄っぺらい印象になることが多いと思うんだけど、これは実にうまかった。

陽乃さんに言わせたのがいい。

腹に一物も二物もあって、ニュートラルに真理を語る人ではない。知的に高くて、性格がややこしい上に邪悪なウィットに富んでいて、言葉の一つ一つに七色の意味を込める人だ。更に彼女は、比企谷八幡が言葉の裏を読むタイプだと、よく知っている。

「自意識」って言葉、おれの狭い日本語経験では、普段は「自意識過剰」というイディオムの一部としてしか見かけない。

だとすると、どうも痛々しい思春期の自己愛の用語みたいな印象がある。

でも、先述したような陽乃さんのキャラと、彼女と比企谷八幡の関係、そして「理性」という言葉との組み合わせが、「自意識」という言葉の響きを変える。 7巻の舞台が京都だったからなんとなく西田幾多郎を連想してしまうが、作者の傾向でいうと小林秀雄のそれでは無いかという気がするけど、なんにしても、自他の境界を超える、普遍の理解や思いを、果して我々は共有せらるや否や、それがこの「俺ガイル」という名の問いだ、と。 おれはそんな名刺だと受け取った。

 

由比ケ浜さんは、相互干渉の範囲を見切って、政治的技術を磨いて全身に欺瞞を着込んで身を守ることに成功してきた。

強化外骨格をまとっているのは明らかなのに、八幡にさえあからさまな警戒を持たせていないのだから、その巧みさは陽乃さん以上かもしれない。真の意味で自意識の化け物は由比ケ浜結衣なのだという気がする。

しかし、この決して赤心を明かさない怪物が、それでも、何か真なる人間関係への渇望にかられてしまったのかもしれない。

その可能性が、八幡をおののかせている。

強烈な誘惑だ。真実の相互理解、八幡自身がこれまでずっと求め続けてたものだ。

しかし、それは、どれほど強く望もうと不可能だ。それが人間という生き物の仕様なのだ。求める思いが深い程、より深く傷付く結果に終わる。

おそらく、由比ケ浜さんも、そのことを察している。そして、むしろ傷付くことを求めているのかもしれない。

アニメ版5話の、変則エンディングが良かったよなぁ、と。

「Hello Alone」のバラードアレンジ。「止まったまま傷付きたい」とソロで歌う中の人。敗北を知りたい的な?

ここが、八幡がどうしても受けとめられない思いなんだろうと思う。八幡は自分が傷つきたくない以上に、誰も傷つけたくないのだ。その罪悪感で、さらに自分が傷つくから。

由比ケ浜さんに強く惹かれながらも、その思いに答えられない理由の、大きなものだろうとおれは想像する。

 

結局、由比ケ浜さんのことしか書けなかった。

長くなりすぎたから、続きはまた今度。

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コメント

この解釈ははじめて見ました。面白い解釈ですね。

はじめまして葵絵梓乃さま。
コメントありがとう御座います。
もしかしたら「探偵娘」シリーズの作者様かしら?
名探偵に面白がってもらえたなら、ヘイスティングス冥利に尽きるというものですな。

再びこちらの記事に書きこむ日が来るとは思ってもいませんでした。

敢えて直截的にお訊きします。
10巻の手記は、道化は彼女だと思いますか?

お久しぶりです葵絵梓乃さま。コメントありがとうごさざいます。
……二度と書き込みたくないとか、嫌われている!? 
えー……

ご質問の内容が、正直あまりよく理解できていないのですが、まあいいや、では手短かに。

違う方が面白いな、と思います。

詳しくは記事で書きたいですね。

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