劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語 感想 その1
観てきました。
特盛イヌカレー。満腹。
面白かった。ものすごく。
あんなに綺麗にTVシリーズが出来上がっていて、この後に何を続けられるというのか、何をどうしたって、蛇足にしかならないんじゃないの、と正直おれは余り期待していなかった。
いやいや、とんでもない。
今、[新編]を見た後では、この[新編]の製作は必然だったのだとしか思えない。
いや、最初から、TVシリーズはこの「叛逆の物語」を作るための準備だったのではないか、と感じるくらいまである。
以下、ネタバレ感想注意。
テーマは愛である。
なんということだ。
「希望よりも熱く絶望よりも深きもの」「人間の感情の極み」それは「呪いよりおぞましい色に」輝く。
アニメで「愛よ!」と力強く謳い上げるのを観るなんて、何十年振りだろうか。ヤマトかよ。
もうこのシーンだけでも、おれは快哉を叫びたい。
良かった。 ほんとうに、よかったね、ほむらちゃん。
もう泣きそうである。
改めて思えば慄然とするのだが、セリフで「愛」と語ってしまうのは、難しい。
やまとことばでは、なかなか相当する言葉がないとされていて、実際、どんな言葉と置き換えてもしっくりこない。
あまり生活に根ざしていない、ともすれば空々しく響いて、むしろ失笑を誘う。
「愛」ってそんな言葉だ。
「希望よりも熱く絶望よりも深く」と、その感情を描写する虚淵玄の言葉が、また余りにもパワフルで。
このセリフに負けない画作りを強いられた作画スタッフ、そして主演声優のプレッシャーはいかばかりだったかと思う。空恐ろしいほど高いハードルだ。
でも「この作品のテーマは愛です」と最初から方針を定めた上で「愛とは何か」を要領良く説明しようとした、という印象は、おれにはない。
この物語、「まどかマギカ」がもがきながら突っ走ってきた、これまでの道程は何だったのか。真剣に、クソ真面目に振り返り、追求したら、「愛よ」としか言いようがなかった。
そんな感じだ。
この無我夢中な感じ、必死な感じ、まとまりなく迸る泥臭い感じがすごくいい。
以前にまどかマギカTVシリーズの感想をこのブログで書いた時、祈りが魔法少女を裏切るのではない、魔法少女が自身の祈りを裏切るのだ、と書いた。
坂口安吾が「生きよ堕ちよ」と書いたのは、そういうことなんだろうと思っている。
ある瞬間、純情可憐にも、ソウルジェムとして結晶する程に透明な願いを抱いたとしても、日々の生活が、雑念が、gdgdに色褪せさせてしまう。
宝物だった筈なのに、若気の至り、黒歴史、中二病になっちまう。おれ自身、14歳の時の日記なんて、おっとろし過ぎて手に取るのもビビるわ。
それは確かに堕落なのだろう。そして一方で同じくらい、それは成長という側面も持っている。
そんな二律背反が、おれは好きだ。
単純におれの個人的な好みの話に過ぎないわけだが、おれは矛盾と葛藤と渾沌が好きで。
好き嫌い以前に、純粋でスッキリしたキャラクターというのは難解で、おれには理解出来ないだけなんだけど。
この[新編]は敢えてストーリーを思い切ってシンプルにして、たった一人、主人公ほむらの、絡まり縺れる思いの勢いだけを、ただ、描こうとしたのだろう、と思う。 まとめず、整理せず、説明せず、ひたむきに溢れ出るがままに。
ものすごく、得心のいく物語だった。
好きなシーンがたくさんある。
「あの子の犠牲を無駄にすることだ。許せない」
「さみしいのに、悲しいのに、誰にも分かってもらえない」
「そんな幸福、求めてない」
「今はもう、輝きと後悔しか思い出せない」
「ここで死ぬしかない」
「このときを待っていたわ。やっとつかまえた」
「あの子に嫌われるわよ」
「そのうち私はあなたの敵になるかもしれない」
「やっぱりあなたの方が似合うわね」
幾たびも、抑えきれない気持ちが切なく描かれる。
でももちろん、そのままで済むはずがない。その数分後に、「でも」「それなのに」と、その裏側に反動する感情が表に出てくる。
繰り返される、あまりにも美しい波のかたち。
その振り子の振幅は、表と裏、正と邪、善と悪、そんな単純素朴に来た道を戻る揺れではない。
微妙にねじれを重ねて、焦点をわずかずつズラしていく、その辺りが実に見事だとおもった。
物語を閉じて結論する方向ではなく、様々な可能性に開いて、物語の隙間を広げようという、狙い自体がまずすごいような気がするんだけど、でもそれ以上に、その料理の仕方というか、ストーリーテリングが、とんでもなくうまかった。
だから、この映画は観る人によって、ほむらちゃんが凛とした主人公のようだったり、健気なヒロインに見えたり、或いは邪悪なラスボスのようにも感じられたかもしれない。
その感想はどれも全て、まちがっていない。
おれは観た。
どの瞬間のほむらちゃんも、本物で、純粋で、必死だった。
感心するのは、キャラのブレのなさ。
TVシリーズの第10話を語り直したような、ほむらちゃんの屈折を改めて掘り下げる映画だったけど、ほむらちゃんがどこまでも、小揺るぎもせずほむらちゃんなのが迫力で、うならされた。
ちょっとTVシリーズのことを書く。
ほむらちゃんの出会った、たった一人の友達。最初のまどか。それは魔法少女のまどかだった。
「あなたが魔女に襲われた時、間にあった。今でもそれが自慢なの」
逃げようよ、と引き止めるほむらちゃんにそう言って、静かに、振り返りもせずワルプルギスの夜に立ち向かっていく。「ほむらちゃんもカッコ良くなっちゃえばいいんだよ」そう言って笑ってくれた女の子だった。
その子が報われず無惨に死んでいく有り様に、ほむらの中の何かが突き動かされて、ほむらも魔法少女になる。
「彼女に守られる私ではなく、彼女を守る私になりたい!」
この願いの意味深さが好きだ。
自分のための願いか、他人のための願いか、その違いが繰り返して問題になるこの作品の中で、ほむらは、他者との関係性に深く根ざしながらも、自分自身の変化を願うという、独特のスタンスを提示する。
おれは、その願いの中に、まどかにへの憧れ、愛着、失いたくないという気持ちと同時に、まどかに取って代わりたい、嫉妬、羨望、競争心みたいなものも感じる。例によって、おれ個人の勝手な空想だけど。
しかし、他ならぬまどか自身が、自ら、魔法少女であることを拒絶する。「キュゥべえにだまされる前の、バカな私を助けて」と。魔法少女になったこと自体が、バカな間違いだった、と。
「彼女を守る私」「カッコいい私」になろうとしていたほむらは、理想として追いかけていたまどかから、急にハシゴを外されてしまうのだ。
「私はもうとっくに迷子になっちゃっていたんだと思う」
素敵な人にあった。 その子みたいにカッコ良くなろうとおもった。
その子も、それは可能だと勇気付けてくれた。
その子の後をついて、走って行けばいいのだ、と、そう思っていたのに。
彼女が、最後に頼んだのは、全ての否定だった。
彼女との出会いも、思い出も、交わした言葉の全て、共に過ごした時間の全てが、バカな間違いだった、と。
「嫌なことも悲しいこともあったけど、守りたいものだって、たくさん、この世界にはあったから」と。まどかは最期まで世界を守ろうとするのに、その世界にほむらは含まれない。
ほむらが止めても、泣いても、まどかは行ってしまう。
優し過ぎる、そして正しすぎる、そんな彼女だ。
だからこそ、憧れたのだ。
だからこそ、守りたいと思った。
しかし、だからこそ、その子には分からない。
「怪物になって、こんな世界めちゃくちゃにしてしまおうか。嫌なことも悲しいことも、みんななかったことになるくらい」
そう口走るほむらの内側に底深くわだかまる、巨大な怪物を、彼女は、決して分からない。
「あなたはどこまで愚かなの」
「いい加減にしてよ!あなたを守ろうとしていた人はどうなるの!?」
ほむらのそんな怒りは分かってもらえない。受け止めては貰えないのだ。
わかってもらう。 受け止めてもらう。
「因果は全て、私が受け止める。そんな姿になる前に、あなたは私が受け止めてあげるから」
まどかさんが、世の埒外の理になる時の、あり得る総ての魔女=魔法少女に向けた施政方針演説的なメッセージである。
まどかさんは、願いを叶えない。願いが生じて来る原因の悲劇や不条理も失くしはしない。
マミや杏子が、円環の理のある世界でも魔法少女をやっているところを見ると、マミの家族を奪った事故や、杏子の父親の宗教的な暴走が、無くなったりはしていないのだろう。恭介君の腕の麻痺も、仁美ちゃんに彼を取られてしまうことも。
まどかは変えない。ただ、受け止めるだけだ。ただ、それだけ。
でも、そのことが、こんなにも大きい。
受け止めてもらえること、分かってもらえること、寄り添ってもらえることのたいせつさを表現する、まどかマギカというのは、そういう作品なんだと思った。
名も知れない歴史の何処かにいた魔法少女達が、ボロボロに消耗し切った瞬間に、まどかさんに看取られるシーンが好きだ。救済のイメージをかくも鮮やかに映像化した例を、寡聞にしておれはしらない。
しかし、その赦しは、救いは、包容は、ほむらには、決して訪れない。
まどかとの約束を叶えるとしたら、ほむらは無間の孤独に落ちるしかない。
「誰も未来を信じない。誰も未来を受け止められない」
「もう誰にも頼らない。誰にわかってもらう必要もない」
「誰のためでもない。自分自身の祈りのために、戦い続けるのよ。誰にも気づかれなくても、忘れ去られても、それは仕方のないことだわ」
まどかに守られる、救われる、受け止められる自分では居たくない。
ほむらの祈りはそこから始まったからだ。
まどかを守る、受け止める側になりたい。
しかし、そうなればあの、ほむらの出発点になった、凛々しくて、いつくしみのふかい、あの魔法少女は永遠に始まらない。
何もかも、あの約束さえ忘れて、そのくせ「私は絶対忘れない」と出来もしない約束を誓い、何度も同じ過ちを繰り返す、この目の前のまどかは、誰でもない。
自分を知らない、赤の他人だ。
なんでこの子を助けなくてはいけないのか。
「お願いだからあなたを助けさせて」
最後の道しるべとなるべき願いを、空しく感じてしまう。 そんな自分に苛立ち、うんざりしてしまう。
もう、とっくに、迷子になってしまっているのだ。
だから、円環の理となってこの世の因果を外れたまどかさんが 「ほむらちゃんが頑張ってくれたこと、全部分かったんだよ。ずっと気づけなくてごめんね」 と言ってくれる時、ほむらちゃんは、泣き崩れて、認めてしまうのだ。
所詮、自分は助けられたいのだ、ということを。
受けとめる側になるのではなく、ほんとうは自分が受けとめられたいのだ、と。
ついに、ほむらは、あの時の、自分の最初の祈りを、願いを裏切る。まどかが概念となって、この世界に寄る辺を失うことを、自分がまどかを守る存在足り得ないことを、認めてしまう。
TVシリーズは、そういう、ほむらの変心と裏切りの物語だったのだと思う。
当然だ。魔法少女なのだから。生きていく自分の未練と卑劣さに絶望して、魔女になるしかない。
しかし、それを、まどかさんは喜んでくれる。
良き末路だ、と。
裏切りを、挫折を、変心を、堕落を、まどかさんは祝福して、抱きしめて、円環の理に導くのだ。
生きよ、堕ちよ。
つまり、堕落と裏切りこそ成長だ、と。
そう力強く励ましたTVシリーズだったのだと、おれは思うよ、というところで、いよいよ新編の話だ。
「受け止める」ことと「受けとめられる」こと。
映画では「髪を結う」ことと「結われる」ことに、そのイメージがだぶる。
一方で、台詞では「受けとめる」ことは「ひとりぼっちになる」ことと言い換えられる。
夜のお花畑で、まどかさんが、ほむらの髪を編んでくれる。
「ほむらちゃん、ひとりぼっちになっちゃダメだよ」と、甘やかすように三つ編みにしてくれるまどかさんが、でも同時に「私はひとりになるなんて耐えられないよ」とも言い出す。
この矛盾がじつにまどからしい。
そんなことを言われて、ほむらが座して三つ編みにされていられる訳がない。
まどかは、自分一人しか出来ないと知れば、勇気を出してしまう子だ。
「私は知っているのよ」
斉藤千和さんの演技が素晴らしい。
このシーンが凄く好きなんだ。[新編]の中でいちばん好きなシーンかも、だ。
ほむらとまどかさんは、抱き合うように向き合って、距離は近いのに、お互いの顔が見えていない。
なにも、なにひとつ覚えていないかのような、無邪気なまどかの表情。
痛みをこらえるように、何かを噛み締めるほむらの表情。おそらく、この時、ほむらは自分が魔女になっていることを確信した筈だ。でも、こみ上げる喜びと、誇らしさを、抑えきれない。そんな瞳の輝き。
そう、ほむらだけは知っている。覚えている。まどかの優しさと強さを。
まどかの矛盾だらけの甘え方を。
まどかがそんな風に甘えて、おねだりするのは、ほむらだけだからだ。
誰もを受けとめるまどか。自分自身さえ、自分の願いで救ってしまう、自らの尾をくわえる竜のような、閉じた円環を為す彼女の理。
誰にも救われなくても平気、受け止めてもらう必要さえない。でも、それは孤独そのものだ。それが孤独だと、意識されることもない程、徹底した孤独。
そのことを理解出来るのも、ほむらだけだ。
必要はない。まどかが求めている訳でもない。
しかし、これが最後のチャンスなのだ。
自分自身の出発点がどこだったのか、暁美ほむらとは何者か、ほむらとまどかの関係を、自分で決められる自由の最後。円環の理に導かれたら、もうおしまい。
そうして、ほむらは選ぶのだ。
わんわん泣きわめきながら、さしのべられたまどかさんの傷だらけの腕にすがりたい。
しかし、そんな幸福は求めない。
もはや、躊躇いはしない。
魔法少女も魔女も、もうやめた。
それは成長を拒んで自分の内側に立てこもる、子供っぽい、非道な、理外の所業に違いない。
全ての魔法少女が痛みにのたうちながら進んだ、成長の道を、はじめてほむらはさかのぼる。道理と時間に逆らって、やり直す。それは無論、悪だとも。魔なるもの。
自分は誰よりも誰よりも、ひとりぼっちになるだろう。
それしか、あの子の髪にリボンを結ってあげられる世界がないのだから。
長くなったから、続きはまた今度。
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