「風立ちぬ」を観た。
遅ればせながら、今月にはいる寸前に、観た。
宮崎駿監督の引退がアナウンスされる直前のことだ。
以下、例の如く、一切の配慮なくネタバレしまくります。
懐かしい顔に出会えた。
「ラピュタ」の頃まではお馴染みだった、アゴの四角い悪党の顔。
「風立ちぬ」を引っ張る悪童二人組、本庄と堀越が、おれにはレプカとムスカみたいに見えたんだ。
本庄はあたかも青年のレプカのごとくであり、堀越はムスカを少年にしたようであった。
レプカとムスカの二人組が、あらん限りの努力で、みずからの理性と悟性を葬り去る物語だ、と思った。
これが見たかった。
おれは、ずっと、やつらに会いたかったのだ。
彼らの作る飛行機の、醜さとおぞましさ。
「人間は大地に根ざさなければ生きられない」「誰が大地を汚したの」と、歴代の宮崎ヒロインたちが柳眉を悲しげに歪ませて、猛烈に叱りつけてくる様子が目に浮かぶようだ。
それでも、その飛行機の描写の力強さが、ヒロインたちの奇麗ごとをはねのけるように、飛び立っていく。
人の声とうめきとしわぶきを捏ね混ぜたような発動機の破裂音のフーガ。
おぞめき、わななき、体を確かに膨れ上がらせて、とたとたと一心不乱に走り出して行くのだ、まっすぐに、破裂するために、往きて帰らぬ、その空へ。
まるで赤ん坊だ。
これこそがいのちなのだ、と。
ついに宮崎が言ったのだとおれは感じた。
「生きろ。」「生まれてきてよかった。」と、ジブリ映画のコピーで繰り返される、「生」の概念。
今回も「生きねば。」である。
これまで、おれはそれらのコピーが嫌いだった。嘘っぽくて、映画に合わなくて。ポニョなんて、おれから見たらどう考えても「生まれてくるんじゃなかった」と母親を恨む映画にしか思えなかったしな。
これまで、宮崎作品では、おそらくわざとだろうけど、生命のイメージを詳述せず、ぼんやりさせた侭にしていた、とおれは思う。観客の側が勝手に、甘ったるいポジティブな生のイメージだけを重ねやすいように。
例えば、もののけ姫では、ダイダラボッチ=シシ神だったり、コダマだったりの美しさや可愛らしさが「自然」ひいては「生命」のイメージをかぶせられているような演出がなされる訳だけど、一方でその「生命」は、タタラ御前の強引かつ不自然な政治体制の中で保護されている女性たちや癩病患者を見殺しにする「自然」でもある。
宮崎はその矛盾を、どうしても無視出来ない。でもその一方で解決も出来なくて、スペクタクルの中でごまかしてしまうしかなくて、それはある意味卑劣だけど、おれは好きだった。安直な解決策をしたり顔で持ち出してくるより、誠実だと思うんだ。
しかし、今回はごまかすのをやめた。
無論、解決策を思いついた訳でもない。そんなものあるはずない。
生きるってのは、何かを侵し、殺し、奪うことなのだ。これはどうしようもない。
このことを開き直った。
誠実を通り越して、傲慢とか我侭とかいうレベルだろ。
この我侭を、我侭として、容赦なく描き尽くすために、レプカとムスカなんだ。
女神のごときタタラ御前ではダメなんだ。まるでそこに正義があるかのようになっちまう。
黒川さんに「君のエゴじゃないのか」と叱られる、カストルプに「忘れるのに良い場所ネ」と皮肉られる、妹から「菜穂子さんが可哀想」と泣かれる。
それでも、うつむいて「一日一日を大切に生きているんだ」と、図々しく言い続ける。労咳の妻の枕元で煙草を吸いながら、夜っぴて殺人兵器の図面を引く。それでも、握った妻の手を離さない。
だから庵野の声はものすごく良かった。庵野の全仕事の中で、いちばん好きだ。
雑味のある、訓練されていない、一本調子の素人の声でなくちゃダメなんだ。美し過ぎたらダメなんだよ。そこにかけらも正義はない、個人的な開き直りのつぶやきなのだから。これまで、ずっと大所高所から説教とプロパガンダを繰り返してきた宮崎が初めて、弱々しくグチを呟いた。
おれは宮崎の説教もプロパガンダも大好きだ。
でも多分、ずっとおれは宮崎の別の側面が気になっていた。
彼はトム・ソーヤーよりはずっとハックルベリィ・フィン寄りで、そう、マーク・トウェインだのサン・テグジュペリだの好きだとほざく彼は、きっと内心に腐り果てたどうしようもない愉快犯的な邪悪さが巣食っている筈なのだと。
「風立ちぬ」で、ようやくそこに出会えたと思った。
会いたかった。
おれはずっと、アゴの四角い悪党に会いたかったのだ。
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