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2013年6月27日 (木)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。の話 その9 アニメ12話の感想

アニメ12話は、衝撃的だった。

これまでは、基本的に原作に忠実な映像化だったと思うんだけど、最後の最後になって、独自解釈とまでいかないものの、アニメの自己主張というか、強く感じた。

今までは、おれも、アニメを原作相似のものと見て、原作の相当部分とダブらせて感想書いてきたけど、自分の思い込みを恥じている。

アニメのスタッフを舐めていた。

例によって、以下、アニメ12話、原作7巻までのネタバレありです。未読の方ご注意下さい。

 

 

 

「アニガイルは客観に重きを置いた映像作品であり、原作俺ガイルは八幡の主観に根ざした小説ですが、合わせてご覧いただくと二倍楽しめると思います!八幡が見えていないものをアニメでは描くことができ、八幡にしか見えないものが小説では描くことができる。それがメディアミックスの良さだと思います。」 https://twitter.com/watariwataru/status/347782050557882369

12話放映直後の原作者渡航先生のツイートである。

きゃっフーンおれもおれもそう思ってたよ! おれもおれもおれも!!

とミーハー的なノリでおれは賛同する訳だけど、ああ、この12話での八幡の姿が、八幡自身には見えていない、周囲から客観的に見た彼の姿……

それはおれにとって、苦い認識だ。

 

原作では、八幡が「本当に最低だな」って台詞をぶつけて相模を動かすやり方が、時間が迫っている中の、止むを得ない非常手段なんだというエクスキューズがあった。

でも、アニメ版で、おれはそれを感じなかった。

いつものように、おれの誤解の話なんだけど、ぶっちゃけ「あれ、八幡いらなくね?」って。おれはそう思ってしまったんだ。

八幡が探さなくても、たいした遅れも無く葉山が相模を見つけて、友達と一緒に説得して、無難に連れ戻して間に合ったんじゃないかな、って、おれにはそう見えた。

相模さんが戻るのを渋るシーンもあったけど、まあ、一級拒絶鑑定士の眼鏡にかなう程にきっぱりした拒絶ではなかったし、時間もさして切迫して不足している印象でもない。実際、戻ってみたら、バンド演奏がたっぷり続くくらいの時間が余っていた。

原作では、屋上での八幡の台詞が、相模を動かす必要最低限にシャープに練り込まれているんだけど、アニメ版では「本当は雪ノ下みたいになりたかったんだろう?」と、原作では八幡の内心の思考として地の文に書かれた文章を、口に出している。そのために必要以上にサディスティックな、底意地の悪い台詞になっていると思ったし、まとまりも悪くだらだらと長く、時間を短縮出来た感じがしない。

 

つまり、これが、八幡なのだ。

原作では、彼は事態を再短時間で解決する方法を、冷静に計算づくで立案・実行している、つもりでいる。

しかし、それは本人の主観。「つもり」に過ぎなかった。

実際は、客観的には、突然なんの必要も無くブチ切れて身勝手な悪口を喚きだすだけの男だったのだ。

 

このおれの感想は、原作未読のアニメ視聴者には、あまりピンと来ないのかもしれない。或いは、おれが原作を読んだ時感じたような「全然時間がない」という追いつめられた感じや、そのピンチを逆転していく爽快を感じておられる人も多いのかもしれない。

だが、おれは原作で、八幡が主観的に感じていた焦燥感と、彼の介入によって劇的に状況が動いたカタルシスを、覚えている。

だから、アニメ版の緊迫感の薄さ、八幡の台詞の必要性のなさ、の表現が胸に刺さるようだ。

原作を読んでおれが陶酔した、あの焦燥も、あのカタルシスも、比企谷八幡という空気読めないぼっちの、ひとりよがりなヒーロー気取りに過ぎなかったのか、と。

夜中に書いたラブレターを、翌日の昼休みに読み返した時みたいな、愕然と羞恥を、おれは今、感じている。

 

一部では、アニメ制作者の演出が下手なのだ、とか、尺が足りない、とか、そういう意見もあるようで、ネット上でちょっと見かけた。

そう言いたくなる気持ちは、分かる。正直おれ自身、そんな気持ちになった瞬間がある。

しかし。 タイムリミットが迫るピンチの演出、そこを切り抜ける逆転のカタルシス。作劇の基本中の基本だろう。アニメ版のスタッフが非常に優秀なのは、11話までを見ていれば明らかなことで、まさかそんな基本の部分が技術的な理由で出来ないとは、おれは、やっぱり考えられない。

あと数分ののちには委員長の不在のエンディングセレモニーを迎えざるをえないかもしれない、瀬戸際の舞台裏。相当な緊迫感と焦燥感が立ちこめている筈なのに、敢えて選択されるのんきなBGM。

八幡がその舞台裏を去って、ひとり相模の捜索をはじめて以降、原作では、つねよりも空転気味の過剰に長いモノローグが地の文を埋めていて、それでいていつものような小ネタも無く。それがさしもの八幡が思考のまとまりを維持出来ない程に焦っている描写になっているんだけど、アニメではむしろざっくりモノローグを削り、シーンは静かに淡々と進んでいく。

屋上に上がって来た八幡が息を切らしているとかでもなく、なんだよ、のんびり歩いて来たのかよ、と。

屋上で葉山がちらりと腕時計を気にする、ほんのかすかな芝居はあるけれど、それ以外、残り時間が残り少ないことを強調する演出は乏しい。

一つくらいならまだしも、ここまで様々な要素が同じ傾向を示しているのだから、おそらく、全てが意図的なのだ。

これこそが客観的な事実なんだ、と。八幡の上にロマンティックなヒーローのイメージを重ねたくなる、おれのだらしないナルキシズムに冷水をぶっかける演出なのではないか、と思う。

 

尺が足りない、というのも、おれは違うと思う。 12話はOPやEDもバッチリついていた上に、バンド演奏に74秒は使われていた。優に4分は、本編にまわせた筈。それに、八幡の屋上の台詞にいたっては、原作よりわざわざ引き延ばしている

 

原作6巻と、アニメ12話の印象はかくのごとく異なるのだけれど、しかし一方、そこに描き出される比企谷八幡像には、おれは、深いところで通底するものを感じて、どこかで納得してもいる。

八幡の6巻での行動を、「自己犠牲」という言葉で表現するファンの言辞を、ときどきネットで見ることがある。 その点では、おれは全く違う感想を持っている。

「まったく、本当に嫌になる。こんなことばかり考えついてしまう自分と、それを案外嫌っていない自分に」

その瞬間、その方法を思いついて、なお、八幡が押し黙ったとしよう。事態の推移をいつものように、他人事のように淡々と見送るだけだったとしよう。

そうだとしたら、八幡は自己犠牲していない?

おれはむしろ逆に思う。そこで敢えて黙ったとしたら、それこそ、自分自身の何か、他に替え難いものを押し殺し、犠牲にすることだったのではないか、と。

これまで、ずっと、八幡は言いたいことも言わず、やりたいこともせず、ただ身を低くして息をひそめて、生き延びて来たのではなかったか。生きるために、彼の意思も、願いも、思いも、ただ周囲の流れが踏みにじるままにさせて来たはずだ。

しかし、初めて、ここ、6巻の屋上のシーンで、彼は。

 

「なら、俺は。 俺のやり方を貫くしかないだろう。 正々堂々、真正面から卑屈に最低に陰湿に」

何言ってんだ、八幡、それはお前のやり方じゃないだろう。

「お前の今までのやり方と違っているだろうが」

それは、雪ノ下雪乃のマンションで、八幡自身が雪乃に贈った言葉ではなかったか。

あの時、その言葉には、世界を変えるために自分から変わろうとする雪乃を、いさめる思いも込められていたかもしれない。

しかし、苦しみながら自分を変えてでも何かを求める雪乃のあり方は、誤解を超えてさらに新しく問い直すことに他ならないのではないか。

雪乃のそんなもがきを許容せず「今までのやり方」を強要する。

おれは想像する。そんな真似を、八幡は、もう一回、自分自身に許せるか。

許すはずがない。

だから、雪乃の変化を許容する。今までの雪乃のやり方を外れ、今、まさに渾身の力で大間違いの方向へ突進する暴走副委員長を、何をおいてでも許容しきってみせよう。断じて勝手な理想を押しつけなどするものか。

 

平塚先生好みのたとえをあげよう。

「SLAMDUNK」という名作がある。バスケ漫画の金字塔だ。万が一知らない人がいたら、すぐ読むべき。

主人公桜木花道が、県内最高のプレーヤーとされる牧紳一と1on1で向き合った時、無謀にもダンクシュートを試みる。

チームメイトも、観客も、口々に「待て!!」「止まれっ!!」と叫ぶ中。

仙道だけが言うんだよね。

「行け」と。

あれだ。

ごめん、分かりやすくしようと例を挙げてますます分かりにくくなる、いつものパターンになってしまった。

 

八幡は、八幡の言い方で「行け」と、雪乃の無謀にうなずく。

「……ならなくていいだろ。そのままで」

そうやって、雪乃は誤解を問い直して来たのだ。こちらも、同じく真剣に問い返さないで、どうするというのだ。

だから、それがつまり「正々堂々、真正面から卑屈に最低に陰湿に自分を貫く」ことの意味だと、おれは理解している。うん、やっぱりおれの誤解だ。

そう考えると、アニメ版みたいに、なんのために突然相模を罵倒し始めたのか、一見して分からないような演出の方が、より比企谷八幡の独自のスタンスを強烈に読み取れるのかもしれない。

 

でも、原作の描写も、好きだ。

さっき書いたように、原作では「時間内に相模をステージまで連れ戻す」という課題の、もっとも合理的な解決法をとったかのように書いてある。

だから、比企谷八幡の目的がそれであるかのように見える。陽乃さんが「そのヒールっぷり、わたし、好きだなー」と評価するのは、多分そういう見方に立ってのことだろう。

でも、原作では、その陽乃さん含め4人の女性がそれぞれの所感を述べるため登場する。

最初は城廻生徒会長。「やっぱり君は不真面目で最低だね」

次は雪ノ下雪乃。「……本当に、誰でも救ってしまうのね」

そして陽乃さん。「そのヒールっぷり、わたし、好きだなー」

最後に、平塚先生。

「君が傷付くのを見て、痛ましく思う人間がいることにそろそろ気付くべきだ、君は」

おれの勝手な感想だが、わざわざ立て続けに4つ異なる意見を並べるのは、どれもが主人公の心情とは異なっているという描写だと思うんだ。渡航先生は俺ガイルの5巻でもそういう書き方していたし。

まわりはいろいろ言う。悪口ばかりではなくて、わかったつもりで褒めそやすものもいる。どの言葉ももっともなところがあって、的外れな訳じゃない。しかし。

「他人に俺の『自分』をかたられたくないんだっつの」

他人に分かられ、語られる範囲に自分はない。自分ってものの主成分は、もっと言葉にならない、口に出すのもはばかられるようなおぞましい矛盾と混乱の筈だ。

 

城廻先輩の「やっぱり君は不真面目で最低だね」は、全くもって正解なので、何も反論出来ない。城廻先輩自身は普通に善良な先輩だから、ご不快な思いをさせてしまったことに罪悪感パない。

八幡はそう思いながら、でも、やはり釈然としないところもあるだろう、とおれは想像する。不真面目で最低なのは、自分だけじゃないですよね、みたいな、それこそ最低の反論をしたい気持ちだって、あってもおかしくない。

 

陽乃さんが、比企谷八幡を政治的な合理性の観点から、優れたマキャベリアンとして評価するのも、適切な評価だと思う。

それが陽乃さんの価値基準なのだろう。八幡の話をしているようでいて、自己主張になっているところが陽乃さんらしい。

さすが雪乃と仲良し姉妹なだけに、陽乃さんも負けず嫌いさんのようなのだが、雪乃がワムウタイプだとしたら、陽乃さんはカーズ様タイプ、勝てばよかろうなのだ、と思われる。

それはやっぱり八幡は納得しないだろうとおれは想像する。言い返したくなるんじゃないか、あんたの同類じゃない、と。

 

雪乃が「誰でも救ってしまう」と言ってしまうのは、悲しい。

彼女が例に挙げるのは相模さんが救われたという事実なんだけど、誰よりも雪乃自身が救われたんだ、って本当は伝えたいようにおれは感じた。

1巻で、八幡のやる気のない態度に「それじゃ誰も救われないじゃない」と赫怒していた雪乃さんだったことを思い出す。

「救う」という言葉の、彼女の中の重さ。

おれは想像する。おそらく雪乃自身が、これまでずーっと救われない状態に陥り続けていて、そこからなんとか救われようと、必死のあがきを続けているのだ。

そして、今、求め続けて来た「救い」にきわめて近い何かが、一瞬、彼女の前をよぎった。

全く予想だにしないやり方で、全く期待できる可能性がなかった筈の、この目の腐った男から、それはやって来た。

これまでの自分のやり方では、どんなに努力しても得られなかったものが。

それは、確かにそうなのだ。

しかし、雪乃は気付いていない。八幡が救った訳じゃない。八幡のありようから、雪乃自身が救いの手がかりを見出しただけだ。八幡自身は、雪乃が求め志すような「救い」など、その意味を理解さえしていないし、その価値も認めないだろう。

その誤解が、7巻の「あなたのやり方、嫌いだわ」につながっていくのだろうと思う。

 

最後の平塚先生の見解は興味深い。

平塚先生だけは、「私は痛ましく思っている」と、一人称単数の個人的な感想をもらすだけなんだよな。

他の三人が「比企谷八幡はこんな人間だ」と、「勝手に期待して勝手に理想を押し付けて勝手に理解した気になって」毀誉褒貶するのに対して。

平塚先生の言っている内容自体は、八幡の実感とはそんなに合わないだろう。それでいい。大事なところはそこじゃない。

平塚先生はそれこそ身勝手な彼女自身の思いを一方的に告げるだけなんだけど、でも、そのことが、八幡には、彼のことをそれだけ大事に思ってくれる人が、ここにいる、という事実を深く伝える。

比企谷八幡は、大切に思う価値がある人間なのだ、と。

だから染みるんだよな。

 

原作だとこんな感じで、比企谷八幡がいかに理解されず、本質的に孤独であるかを丁寧に描いている。おれはそう読んでいる。

敵のみならず、味方的な立ち位置の人たちさえ、実は身勝手な理解を押し付けてくるだけだ、と。

平塚先生は大事に思ってくれているけど、そこまでだ。やはり八幡の真意は、誰にも届かない。

いや、一人いた。

おそらく、彼に触れて誰よりも傷付いた人だ。

葉山隼人。

 

やっと本題だよ。前置き長過ぎ。疲れちゃった。

という訳で、待望のはやはち壁ドン回ですよ。

これだ。日本よ、これが壁ドンだ。おれは初めて、真の壁ドンを見た。

胸ぐら掴んで、壁に叩き付け。

近藤隆さん、凄くうまかった(小並感)。

もちろん「……どうして、そんなやり方しかできないんだ」は、本当凄く良かった。

でも、それ以上に壁ドンしながらの「比企谷、少し黙れよ」がものっそい良かった。こんな良い台詞だったか、って、目から鱗だよ。作画も力入ってたし、嬉しかった。

比企谷の言動を見て、勝手に不快になったり、勝手に気に入ったり、勝手に救われたり、痛ましい思いになったり、色んな人がいるけど、傷付いてくれる人は葉山だけだと思った。

八幡には怒りが、悲しみが、苦しみが、刃のように、青白い炎のように、鋭く立ち上っている。その切っ先の最も鋭いところに触れて、傷付かぬものがいる筈ない。

でも、誰も触れようとしない。誰一人、襟首掴んででも立ちふさがろうとは、しなかったのだ。

葉山以外は。

 

葉山が、6巻では、海老名さんとかクラスメイトの前ではまだ「ヒキタニくん」って呼んでいるんだよね。

でも、二人きりでシリアスな雰囲気になると「比企谷」って。

っきゃああああああああああああああああああ

(ノ゚Д゚)ノヽ(Д゚ )ノヽ(゚ )ノヽ(  )ノヽ( ゚Д)ノヽ(゚Д゚)ノ

あああああああああああああああああああああ

だめになるぅだめになっちゃううう

どうして、人前だとヒキタニくん呼び、ってシーンをカットしちゃうかなぁ。 アニメは凄く良かったけど、唯一の不満点だよ。ふ、二人きりだと呼び名違うとかさ、もう意識しまくりで腐適切だと、エビナもエビナも溢れ出る鼻血を拭うことも忘れて大注目ですよ(6.25巻買いましたよアピール)

 

さて、今夜はついに、最終回だ。 原作者書き下ろしということで楽しみなんだが、なんと言っても予告編で一瞬映っていた「オレが君をマークしないわけないだろ」って台詞が、あれなんですか、公式隼人君攻めという理解でよろしいか。

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三年も前の記事にコメント失礼します
原作ファンなのですが
そういう見方もあるのか!!と驚きました
とても面白くて興味深い記事でしたありがとうございました

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