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2013年6月 6日 (木)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。の話 その6 アニメ第9話感想

由比ヶ浜さんの回だったから、由比ヶ浜さんの話をしよう。

以下、いつものように、アニメ9話、原作7巻までのネタバレありです。未読の方ご注意下さい。

 

 

 

由比ヶ浜さんは、アニメ版だと痛々しさが強調されてて、時に見てて辛い。

綺麗で可愛い子だと思うよ。東山奈央のファンタスティックなアニメティックハイトーンもキンキンにスタイリッシュだし。何言ってんだ。

でも、うちの奥さんの巡回コースに入っているブログで、架空とはいえ巨乳女子高生に「ゆいゆいprprしたいお」などと萌えられない。うちの奥さん、雪ノ下さんタイプだしな。より正確にいうと戦場ヶ原タイプ。おれの左目が真っ赤なペン立てになっちゃう。

 

「友達じゃダメかな」 って最初から言ってもらえるパターンは、失恋の形としては、一番軽傷だと思う。

むしろ自分が思い残すことなくチャレンジした結果だと思えば、清々しくも幸せな形と言ってもいい。その後一言もしゃべらなくなるパターンだとしても。

ま、あくまで、おれの個人的な経験談だけども。

おれ的にイチオシの最悪失恋体験は、ある程度ちゃんと付き合って、幸せな時間もそれなりに共有して、その上でお互いがお互いに幻滅し、失望して、その怒りと悲しみを持て余して、ぶつけ合って、傷つけあって、というパターン。

相手が一方的に浮気して、みたいな、自分は悪くないと思えるような話だったら、まだ全然ぬるいぬるい。

逆に、自分だけがひどい男なんだ、ってある種の自己陶酔に浸れるパターンも、おれの感覚では、最悪とは言いづらい。

あいつがクソなのは間違いない。そして、そのクソと番った自分も、またクソだ。憎悪と自己嫌悪のデフレスパイラルの中で、世界全体が空々しくなる。見る物全てが腐って見える。その腐臭を押し隠して何食わぬ顔を取り繕う、欺瞞と韜晦に窒息しそうだ。

これこそが、世にもありふれた、美しくも貴重な経験だろう。

一言で言えば、地獄。

 

そういう観点から言えば、由比ケ浜さん、モロ地雷。

「恋を恋する」という表現は、国木田独歩が最初でいいのかな? 或いはもっと昔から使われていたのだろうか。

本来、人類には理想的な恋人になる能力は備わっていない。 にもかかわらず、その存在しない白馬の王子様的存在を、何故か、我らは求めてやまないのだ。

結果、求めても得られないし、与えたくても与えられない、という、双方がいたずらに傷つく結末を重ねて行くだけだ。

夢見がちな恋する乙女は、可愛らしい。

然し乍ら、その切望するところは明白な不条理、決して人の身の及ぶところではない。その不可能さの程度は、所謂邪気眼の空想設定以上だろう。

由比ヶ浜さんに、現実的で堅実な大人の関係を築きうる要素が、ほとんど見出せない。彼女の思いに応えたら最後、傷つき傷つける血みどろの愁嘆場に至ることは必至だと思う。

人間同士が、穏和で長もちする関係を作るためには、相手には勿論、自分に対しても、期待しすぎないこと、そして残念要素を許すこと、の二つが基礎になるだろうと、おれは考えている。

おそらく恋愛自体には、その期待と寛容の加減を学ぶために、必須の試行錯誤みたいな意味合いがあるのかも。邪気眼と同じく。

悪夢のような失恋に至る恋愛こそが肝要。

おれは、邪気眼遊びはほとんど記憶にないけど、恋はした。より正確にいえば、失恋をした。

おれの退屈で平凡な人生の中でも、どうしても欠かせない経験を選び出せと言われたら迷わない。失恋の中でももっとも醜穢なものを、おれは選ぶ。

でも、もうお腹いっぱい。改めてもう一回とかは勘弁。本当つらいから。

 

八幡もまだ少年だし、多分、その加減のバランスはそこまでうまく取れてはいないだろう。

でも、由比ヶ浜さんよりはだいぶ大人びていて、彼女の思い描くようなラブストーリーには乗れない。材木座の中二設定に乗れないように。

まるで王子様を仰ぎ見るかのような由比ヶ浜さんの美化視線を、「個人を特定した助けた訳じゃない」と、何回となくかわし続ける八幡の気持は良く分かる。

もっとも、おれが高校生の時分など脳みそキンタマ状態だったから、ヤレるかも、とちょっとでもおもったら、ホイホイ乗ってた。根本的に気が合わないから、最後は必ず泣かせる、と分かってる相手でも。おれの性根は基本的にクズなんだ。

そんなクズだったおれが、多少なりともまともな大人になるために、さっき書いたような地獄の失恋体験が必要だったと思う。

自分が大して立派な人間じゃないことも、彼女は、おれの恋人である以外の要素の方が圧倒的に多い複雑で奥深い人間だということも。

失恋の痛みによって初めて実感した。

そんな当たり前のことさえ分かっていなかった、自分のクソさ加減を思い知るのも。痛くなければ覚えませぬ。

 

こちらは責任を問われずに、ただ一方的に注がれる愛情に甘えたい、という気持ちが、おれにはある。まるで、幼児が母親に甘やかされるみたいな心地を味わいたい。おれはクズなだけではなくガキなので。

世の中には、友達以上恋人未満の関係で、拘束や義務を負わずにふわふわした好意だけを受け取り続けるラブコメってのがあって、おれは先述の通りガキくさい甘ったれた根性だから、そういうジャンルも大好きだ。

そういう話での定番では、主人公が鈍感だったり難聴だったりして、関係を決定づけるような言葉や状況を否認し続ける、という展開が見せ場になる。

時間が流れているという事実を無視して「大人はみんな嘘つきだ」と中指立てる若気の至りのかっこよさ。数年後に思い出して死にたくなるパターン。大好き。

八幡は、自分こそそんなガキであり、判然としない好意のごときものはそれだけで十分、彼女だの恋人だのと煮詰めることでかえって失うのを恐れるヘタレなのさ、と言いたがる。

どうなんだろうね。「やはりおれの青春ラブコメはまちがっている。」とタイトルも高々と宣言している訳で。まちがっているのは、どこなのか。

 

俺ガイルのテーマは……エーと、おれはなんといったんだっけ? まあいいや。とにかく、あれは嘘だ。

このパターンで書き連ねていこうと思ってたのに、うっかり忘れてたよ。いやいや、どうでもいい。

俺ガイルのテーマは「罪悪感」だと思う。

欺瞞を憎む八幡だが、やたらスタイリッシュな地の文の語り口が、猛烈に饒舌だからごまかされてしまうけど、ヤツは全然本心を語らない。

ちらっと覗くのは、世界への怒りと、そしてそれと裏腹の人間の憧れ。

ストーリーの進展に伴い、彼が無為無能から落ちこぼれて孤立していくのではないことが、はっきりしてくる。彼は言うほど空虚な訳でもなく、無力な訳ではない。

しかし、彼は自分から世界に関わろうとしない。静かに息をひそめて、世界が自分を忘れるままにさせていく。

「ヒキタニ君」という明白な呼び間違いを敢えて訂正しようとしない態度は印象的だ。内心ではいちいち突っ込んでいるのに。

おれは、彼はぼっちどころか、実は童貞でさえないという過去をもっていたりしても驚かない。全く根拠のない想像だけど、中学生くらいで妊娠したとかしないとかで、彼女と醜いやりとりをして、さんざん傷つけ、傷付いた、ぐらいのこと、あったんじゃないか。

人間が理想や憧れを持つこと。そして、それを互いに押し付けあうこと。例えば恋愛のような人間関係。そして、その結果もたらされる、結末。 その恐ろしさと、自ら進んでそんな関係を引き受けることへの罪悪感を、彼からおれは感じている。

 

昔のニューヨーク市長だったかな「善意の人が仕事を妨害する」という旨の発言をしていた。

良いことをしたい、と思って、本当にできたら苦労はない。

善意と厚意と愛情を尽くして、なお思い通りに友好的な関係にならないのが、人間集団だ。

これを葉山に教えたのが、アニメ4話、原作2巻の話。

しかし、叶わないからと言って、善意を、憧れを、諦めきれるものでもない。

由比ケ浜さんに「これでチャラにしよう」「俺に期待するな」と言いながら、一方ではプレゼント送ったり一緒に出かけたりしてしまう。

普通に部活仲間の、ほどほど親しい知り合いでいよう、という、それは積極的な提案だ。お互いを傷付きから守ろう、という善意から来ている提案で。

理解出来ない由比ケ浜にとっては、残酷な押しつけでしかない。

このままごまかし続けるのも、きっぱりはっきりフってしまうのも、もちろん、彼女の提案を受け入れて男女交際を開始するのも、悲惨な末路という点では同じだろう。

おれたちは、どうあがいても残忍に誰かを踏みにじって生きていく罪深さを、逃れられない。

 

「気ぃ使っているから誰の迷惑にもならないように隅っこにいるんじゃねーか。ある意味救世主」というのはある意味本音なのだろう。

しかし、手をこまねいてただ見守ることでさえ、罪悪感を軽減しない、ということが、4-6巻を通じて丁寧に描かれていく。

関わらない、選択しないという行き方もまた、選択であることは間違いない。「精一杯頑張ったから仕方ない」という言い訳と同じくらい、「自分は何もしてないから関係ない」というのも卑劣な言い訳だ。

球磨川先輩のキメ台詞の一つ『僕は悪くない』が、過負荷を象徴する邪悪さに輝いて見えるのは、「僕は悪くない」じゃ通らないことが、おれの骨身に沁みているからだろう。きっと、罪悪感を軽減しようというのが、的外れな努力なのだ。

そして、いよいよ6巻。

今夜アニメ10話から、ついに自ら動く八幡がみられる筈だ。

罪悪感にただ責められ、逃げ惑い、身を小さくしていた八幡が、敢えてその譴責を受けとめようとして、逃げ場のない白昼の文化祭実行委員会に無防備な背中を曝す。

それは果たして自傷行為なのか、おれは彼の行き方をどう見るのだろうか。

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