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2013年5月24日 (金)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。の話 その4 アニメ第7話までの感想

俺ガイルに関するここの記事を読んだ奥さんから「痛々しい」と、マジ顔で憐れまれてしまった今日この頃ですが、皆様はいかがおすごしでしょうか。

もう、あと数十分で、アニメ版は、8話の放映が始まってしまうわけだが。

ここからいよいよ、アニガイルも本気出す。果たして、アニメから入った原作未読の方々は、どのようにご覧になるのだろう。

 

おれも、本気でアニガイルを褒める覚悟が決まった。

さて、アニメの話をしようか。

以下、アニメ第7話までと、原作7巻までのネタバレを含みますので、ご承知おきの程。

 

 

 

 

原作がすごく好きだ。

だから、アニメ版については、その原作からの隔たりを、どうしても落胆と失望のニュアンスで捉えがちになる。

アニメ版の最も目立つ特徴は、おそらく原作の四分の三は占めているだろう、千葉ネタとマンガ・アニメネタの大半が削られている、ということだろう。

本筋にとってどうでもいいところだから、なくてもストーリー進行には影響ないのだが、このことが、決定的にアニメ版を原作と異なるものにしてしまった。

原作の、どうでもいい要素こそ主成分、という構成が醸し出していたキッチュなニセモノぶりが、ほとんど無くなった。

アニメ版は正々堂々、鮮やかにホンモノなのである。新しい青春ドラマとして、独自の鼓動を刻んでいる。

そうすると奇妙なことに、ツッコミどころが増えてしまう。

例えば「また美少女と謎部活かよwww」とか、「川ナントカさんもスカラシップくらい知っとけよ」みたいな。

これが原作だったら、むしろツッコんだら負け、と緊張感の漂うところなのに。

コレジャナイロボに「巨大人型兵器とかwwwアリエナスwww」とかツッコむようなものだから。ガンダムやエヴァンゲリオンになら、まだ説得力あるツッコミかもしれないが、コレジャナイロボには「ネタにマジレス」系のボケとしてしか発言する意味がなくなる。

明らかにジャンルが違う。文章と映像作品というだけでない断絶がそこにある。

 

ここが実に面白い。

敢えて、ニセモノとして高度にスタイリッシュな完成度を誇る俺ガイルを、敢えて、本格文学作品であるかのようにホンモノとして真剣に読み直す作業、ぶっちゃけ不毛とおれは思っちゃうけど、いやいや、意気やよし。

いいとも、ツッコむがいい。と、製作スタッフの挑発が聞こえてくるようである。

 

ツッコミどころに対するスタンスは、おれは柳田理科雄より、長谷川祐一派でね。すごい科学で守ります。

例えば、歳ごまかしてまで夜のバイトに潜り込む工夫ができる川ナントカさんが、スカラシップも知らないのは、確かにおかしい。

つまり、俺ガイルは、雑な設定の物語なのだ。とは、おれは思わない。

口先ではなんといいながらも、川崎沙希は、ほっとかれたくなかったのだろう、とおれは想像する。わざと周囲が反応せざるを得ないやり方でサインを出しているのだろう。

ぶっきらぼうで、人を寄せ付けない「怖い系」の強がりと、その裏腹のSOS、彼女のそんな危ういアンバランスさを、むしろ、見事に描写しているのだ、とおれは読む。

そう読めば、平塚先生があっさり撤退するのも、腑に落ちるしな。

 

そんなツッコミどころの明示も含めて、全体にアニメ版の改変は、良改変だと、おれは気に入っている。

特に6話の改変は、大変良かった。

陽乃さんの登場を早めたり、材木座の出番をごっそり削ったり、雪ノ下雪乃とクレーンゲームするシーンをカットしたり。

これらによって、由比ヶ浜さんのめんどくささと、八幡がほとほと困り果てて神経をすり減らす様子が、すごく分かりやすくなって、良かった。

それまでそんなに接触なかったのに、突然「好きかも」みたいなこと言ってきたり、思わせぶりに近寄ってくる女子って、一体なんなんだろうね、ほんと。

あれ、こっちがその気になると「何勘違いしてんだよバーカバーカ」とか言い出す展開も結構多いけど、本気でひいてる場合もあるし、単に照れ隠しのときもあるし、そういうリアクションが可愛く見えると思って(ツンデレの誤解というか、お前は漫画の読みすぎだ。イテェよ)やってたりする人もいるし、って、だから、わかんねーっての。

わかんないから、無難な距離で静観していると、冷たいとか、鈍いとか責められることもある。中学生くらいまでだと、そういう時に、なんか共通の女友達とかしゃしゃってきたりすんのな。つい最近「あまちゃん」でそんな展開見て懐かしかった。

 

アニメの改変で、もう一つ大きく変わったのは、比企谷八幡のキャラクターだと思う。

例えば2話の「熊になりたい」。

八幡が、あの自分大好き八幡が、たとえそれが動物だとしても、自分以外の何者かになりたい、と表明することには、意外の感が強い。

6話で「由比ヶ浜、お前何か勘違いしてねーか?」というセリフが加わっていたのもビックリした。

原作では、八幡は、いち早く由比ヶ浜さんの誤解に気付くのは同じだけど、

「誤解は誤解。真実ではない。ならそれを俺自身が知っていればいい。誰に何を思われても構わない」

と、分かってて敢えて放置するんだよね。初めて読んだ時、なんだこいつ、って思って印象の強かったところだ。

 

 

おれ的にインパクト最大だったのは、7話の「ヒキガエルくん」のくだり。

「いつのまにか苗字と関係なくなってただの両生類扱いされてて言葉って生き物なんだなって思ったもんだぜ」

原作のこの一文が、ない……だと……!

カットされたのか……そうか……

ハムレット観てたら、例の「To be , or not to be」の独白をカットされてた、くらいの衝撃である。

原作俺ガイル全編の中で、おれが一番好きなところなんだよなぁ。

比企谷八幡という主人公を、最も端的に表す独白だと思う。

彼の憎悪と怒りが、最早、人間の平生のものではないのだ。このセリフがなにげないジョークのようにこぼれ出してくるところが怖い。

彼は、個人の悪意を問題にしていない。

八幡という個人が、ある特定の心ない子供からイジメられた、というような個別特殊の問題ではない。

言葉というもの、そしてその言葉を操る人類の、天然、自然、当然の性質が、必然的に、この差別と虐待と迫害を繰り返す。だから、目の前の、区々たる個人に罪はない。

責められるべきは、人類それ自体。この世界、すべて。

この期に及んで、彼のうそぶく「リア充爆発しろ」の真の意味を思い知らされる。単に嫉妬や、やっかみではなく、彼は文字通り、リアルと充実を爆破させ、世界を焼き尽くしたいのだ。ブギーポップ的に言って、マジ世界の敵。

謂わば、魔術刻印のない衛宮切嗣。

ホムンクルスではない蝶野攻爵。

「大嘘憑き」を持たぬ裸エプロン先輩。

ヤバ、ちょーかっこいい……おれが男なら、恋に落ちているところだ。

 

比企谷八幡の話をしていると、もう、ほんとにこの野郎、クソが、最低だ、って罵りたくなる。

でも、誰か他の人が彼を悪く書いていたりすると、悲しくて、切なくて、猛烈に言い訳したくなる。

そんなあたりが、自意識の痛々しいところをピンポイントでえぐってくる、いいキャラクターなんだと思う。

そんな原作の比企谷八幡の憎々しさに比べると、アニメ版の八幡は、ずいぶんと清々しい好青年で、ごく素直な気持ちで応援できる。これはこれで。

映像だと、どうしても客観視されちゃうからなんだろうね。主観では世界を焼き尽くす心の魔王なのだが、はたから見ると、所詮、可愛いらしい男の子なのだとよくわかる。戸塚なんかより、可愛いのはお前だ!!と萌え転がる日々である。戸塚先生の気持ちが分かりすぎてヤバい。

このかわいらし男の子が、結衣ちゃんとくっつくのかな、ゆきのんも可愛いけどなぁ、ブヒブヒー、みたいなテンションで見ていられて、新鮮でめっちゃ楽しい。

原作だと殺伐としてて、そんな甘っちょろい雰囲気ないから……

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