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2012年7月 8日 (日)

アニメ「氷菓」感想 "Why didn't she ask EBA" + 第11.5話「持つべきものは」


やっぱり、おれは結果論ばかり語っている卑怯なポジションが自分に合っていると思うんだ。
だって、ほら、おれって卑怯者じゃん。
だから、ここは放映終了済みのところを振り返ってみたい。八話から十一話までの、"Why didn't she ask EBA"のあたりで、これまで書き残したこととか。
特に第十一話では、熱くなって入須先輩のことしか書けなかったから、折木君のことを少し書きたい。
 
あ、そういえばさっき第11.5話「持つべきものは」も見たんだよね。ちょっとその話も。
 
それでは例によって、ネタバレ全開にて失礼。


劇中劇って、好きなんだ。
いろいろ理由はあるんだけど、フィクションとはなにか、という自己規定を敢えて行なって手札をさらす、勇気というか、フェアネスというか。潔さがかっこいいと思うし。
その物語が、どういうイメージの現実観を持っているか、そこがはっきりするんだよね、劇中劇で。
その物語の荒唐無稽さというか、ご都合主義の威力というか、ファンタジー度というか、なんか絶対、専門用語があると思うんだけど、浅学にして知らない。とにかく、そういうもののクビに鈴をつける感じ。
ググっていたら「フィクションレベルの調節」ってのが出てきたんだけど、それでいいのかな。でも余り一般に通用する言葉でもない印象だったけど。
 
例えば、福部君が「普通だったらさ、全員で行動すると思わないかい?」と、2-Fの映画にツッコミ入れたりする。
これは、その映画の不自然さを指摘することで、「氷菓」の物語世界での「普通」を定義している、とも言える。
この"Why didn't she ask EBA"は、その観点から見れば、リアリティに関してずっと自己言及しつづける作業が八話と九話の間続いていたことになる。
そうやって描き出される「この世界の現実」は、かなり情け容赦ない。
「氷菓」の世界は、ミステリという分野のフィクションがあり、娯楽として享受されている。
つまり、探偵が密室殺人の謎をとくなど、この世界では「現実」には「普通」はあり得ない、と言うことだ。
 
おれは、この「ご都合主義」への自己言及的な眼差し、みたいな話が大好物なんだ。でも、今回はそっちはパス。
 
サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話、と人は言うけど。
おれはそうでもないと思う。結構大事な話だよ、と思う。
サンタクロースも邪鬼眼も、全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で黒歴史になっていく。
「中二病」という言葉もずいぶんと、本来の意味を拡大されてきたものだが、「黒歴史」と同じく、誰だって「認めたくない」んだよね、自分自身の若さゆえの過ちを、っていう問題提起なんだと、おれは受け取る。
自分の過去を批判的に、それでいて連続的に継承して行くのが、人間という精神が形成される仕方だ、と。ヘーゲルが弁証法と呼ぼうぜ、と言い出したのはそういう話なのかな、とかな。
そして、そういうかたち作られ方をしてきた人間ならでは、歴史という発想を持てるんだ、ってヘーゲルは続けるかもしれない。これがハイデガーなら、そもそも時間が「流れる」という感じ方自体が、人間のありようそのものなんだ、みたいなことになるのかもしれないね。
いや自分から言い出しておいてなんだが、よその人の意見は、この際どうでもいいんだ。
人間である以上、誰だって、昔の自分は恥ずかしかろう、と。おれはその辺りでFAにしとくよ、という話だ。
 
それで、最初の「現実観」の話に戻る。
フィクションが調節可能の現実観を持つのは、おれらが、人間が、自分の現実観を調節できるからだろう。
その機能が備わっているのは、その必要があるからで、つまり、現実というやつが、捉えどころなくて、こっちの認識の方を、常に微調整、あるいは大改訂していく必要があるから。
「成長」と呼ばれる例の現象は、そういうバージョンアップのある一つの側面なのではないか、とおれは思っている。
 
で、今エピソード"Why didn't she ask EBA"ですよ。
「氷菓」自体が、ホームズみたいな超人的名探偵の存在という「ご都合主義」を許す物語かどうか、というメタレベルの構造と、折木君が、自分は「名探偵」だという子どもっぽい空想を、どこまで信じられるのか、という邪鬼眼私小説的な内容が、見事なハーモニーを奏でる二重性。
あまりにも美しい。
おれ、そもそも、田中ロミオの「AURA」とか、黒歴史を直視して肺腑をえぐるような自己嫌悪に喘ぐ、そんな中二病テーマの私小説が大好きなので。そういえば、いよいよ「AURA」劇場版公開ですな。wktk止まりませんな。
 
で、更に、このエピソードの和音は「氷菓」全体の旋律の中で、どう位置づけられるのだろうか、と思う。
おれは、当初はきわめて単純に、女帝紹介ばなし、くらいの感覚だったんだけど、ぜんぜんちがう、それどころじゃない。勿論、女帝のキャラクターは、とても印象深く描かれていたけど。
やはり、「氷菓」の縦糸の非常に重要な一本として、千反田えるの傷付きを描き出していくというのがあると思う。おれの思い込みだけど。
その千反田えるの両価性がくり返し強調されていることは前にも書いたけど、重要なキーワードとしてくり返す薔薇色と灰色の対概念は、その両価性と同義なのだろうか。
千反田えるもまた、薔薇色と灰色の衝突の中で傷ついたのだろうか。

薔薇色と灰色という軸の設定は、大変、挑戦的だと思う。
対概念としては陳腐で通俗的な取り合わせで、つまり、多彩でパワフルな含みを持っている。
余りにも広汎で、つかみ所が無い。対になる物なら、ほとんど薔薇色と灰色に分類できるんじゃないかというくらい。巨人と阪神とかさ。
物語で扱うとなったらすごい大変だろう。どういう解釈をオチにしても、どうしたってギクシャクするだろうと思うよ。
まあ「答えはあなたの心の中に」式でやっていく、ってあたりが普通なんだろうけど。
さていよいよこっからおれの想像だ。
決めつけてみよう。薔薇色は両価的であることで、灰色というのがシンプルな回答を持っている、ということなのではないかな。両価性についてメタに両価的、という。まあ、単におれがそういう好きなだけなんだけど!

ただ、氷菓事件でも、万人の死角事件でも、折木君と福部君の対話が、意味ありげでいて、しかしその事件とは直接関係ないのが気になってて。
「だれかがぼくを薔薇色に染めようとしたってダメさ。染まってあげない」(第四話)
「言わなかったっけ? ぼくには才能が無いって」(第十一話)
福部君は否定的な自己言及を繰り返し、自分の可能性を限定する。
「お前は疑わないな、自分を」と感心する折木君を、福部君は「ホータローは灰色だね」と決めつけて、そして「でも、ぼくは別にホータローを貶めるつもりはないよ」そして。
「ぼくが貶めるなら、君は無色だと言うよ」
どうも、福部君は、頑なさに価値があるという考え方らしいのだ。
 
しかし、福部君の折木評には、おれは異論がある。
思えば、第一話の最初の会話から、折木君と福部君のあいだでは、折木君が灰色かどうか、微妙な齟齬が見られていたように思う。
おれの印象を言えば、折木君は頑なとはほど遠い。
むしろ、敏感で繊細で、周囲や他人に影響されまくっちゃうから、自分自身の同一性を維持するだけのことにさえ、多大なエネルギーを消費するタイプだろう。
だから、掲示板の勧誘ポスターからも溢れ出る情報量に圧倒され、千反田さんから放射される好奇心に押し流され、女帝の「特別よ」に惑わされ、押し込まれ、引きずり回されてしまう。
一方で、その感受性が些細な情報を捉え、依頼者の無意識のニーズを捉えてそこを納得させる回答を用意出来る。
「大事なのは真実ではない。千反田が納得することなのだ」
別にこの態度は千反田さんにだけの物ではない。
女帝に対しても変わらぬ折木クオリティ。それがザイルが無視された理由だろう。女帝はそれを望んでいなかったのだ。
彼が女帝に対して示した回答は、いや、献策は、何度も強調するように、単にストーリーとして面白いだけではなく、2-Fのスタッフの実力や女帝の政治的立場や目的までも配慮した、全方位的に完成度の高いもの(女帝にとって)になっている。
これを意識せずやってのけたのだから、「特別」どころではない。天才的だ。彼は無意識の裡に、女帝の隠された真意を読み取り、それを迎えたのだ。
この感性の鋭さと柔軟さ、それは福部君が誇る頑迷な孤高と、全く異なる特性であろう。
むしろ、折木君の色は、どんな色でも素直に迎え入れ、寄り沿ってしまう、無色こそが近いのかも、と俺は想像している。 
「おれはお前に好かれたいと思っていない」
「ハハハ、違いないや」
 
そして、アニメ「氷菓」の映像を見る限り、薔薇色は、その無色が他者と出会い、お互いがお互いを染めあう、その瞬間、画面に溢れ出、輝くのだ。
だから、おれは思うのだ。薔薇色とは変化のことであり、他者と交じりあうことなのではないか。
自分の枠を超え、他者と出会い、交わり、お互いに影響を与え合い、お互いに色を染めあって、変えて行く、その運動と過程。
その相互の変化は、時に危険なほどになる時もある。強烈な薔薇色は、ある少年を高校退学に追い込み、ある少女を脚本家として追い詰めたかもしれない。
そして、ある少年の、よちよち歩きし始めたばかりの自信を打ち砕いた。
対して灰色は、安全だ。一言で言えば、ひきこもり。自分の枠の中に閉じこもって、他者との関わりを絶ち、安定と平穏と無難と無事。
 
以前、折木君の仕事は、探偵のそれではなく、むしろ作家か詐欺師のそれではないか、と書いた。
つまり、人間には二種類ある、と。
「真実は一つ」と客観的な真理を追求する立場なのか。
それとも、異なる人達の様々な主観の間で、一応の諒解を共有しうるストーリーを作り上げる立場なのか。
「氷菓」が描き出そうとしているのは、そういう人間観なんじゃないか、とおれは想像している。
もっと言えば、「真実は一つ」と信じることができる人々と、そんな無邪気さに酔いしれることが難しい人々がいるのだ、という人間観なのかもしれない。
前者が灰色で、後者が薔薇色なんじゃネ?というのが、おれの想像だ。
 
しかし、無邪気な「客観」を持ち得ぬ人々は、自分の主観で世界を歪め、他者に影響し続ける重みと痛みを、常に自分の意志で択び続けることになる。
このエピソードをミステリに喩えるなら、犯人は折木君で、被害者もまた、折木君だった。
まず明らかに、美女のおだてにのって調子に乗った男が、イージーなミスを犯して、うぬぼれを挫かれる話だと思う。
まあ、それなら「やらかしちゃった☆」テヘペロで済む話、だ。要するに、たかだか文化祭の演し物くらいの話じゃないか。いつものように「氷菓」の事件は、現実的な影響は軽い。
でも、それだけではすまない話と、おれは思った。
「志半ばで筆を折った本郷さんの無念が、叫びが、隠されていると思うんです」
しかし、折木君はその叫びに耳を傾けなかった。
彼が自分の作品の読者に選んだのは、女帝であって、千反田さんではなかったからだ。
その選択は、折木君がどんなに女帝の誘惑を主張しても、やはり折木君の下したものだ。他の、誰の物でもない。
本郷さんは女帝に助けを求めていた。彼女の無念も叫びも、聞き届けられて、ある種の形で救われた。結局、千反田さんが懸念するほど、無念に苦しんだ「生きたまま死んでいく犠牲」はいなかった。
しかし、それは結果論に過ぎない。
折木君は、本郷さんの思いを、気にもとめなかった。ただ、自分の才能をふるうことに酔って、それを褒めてくれるヒトのためだけに芸をした。
折木君は、自分のために本郷さんを見捨てたのだ。その罪に自らを落とした。
 
この辺から第11.5話「持つべきものは」のネタバレになるんだけど。
彼は、薔薇色である限り、その罪から、逃れられない。
だから、彼はまた灰色のリニアな価値観に逃げ込む。
彼は、自分が敢えて本郷を見捨てたのではない、と。自分は無能であったため女帝に騙されて、失念させられたのだ、と。信じようとする。
無理もない。
罪悪感に青ざめているよりは、ぬるい自己憐憫に浸る方が快適だろう。
果たして、彼は、このまま灰色に固定されてしまうのか?
 
無論、そんな筈は無い。そうなら、第2クールやる筈無い。
おれの想像、というより希望的願望だが(100%妄想かよ)、折木君の無色をめぐって、福部君との対決があってほしい。その前に伊原さん中心のエピソードかな。里まやのカップル話とともに、二人同時メインというのもあり得るな。
なんとなく、福部君がラスボス的ポジションをとりそうな気がするんだけど。
伊原さんは、福部君のキャラ描写のためだけに使われてしまいそうな薄幸感が仄見えて、ちょっと心配になる。
折木vs福部のときには、是非女帝に再登場して絡んでほしい。折木君に、ちゃんと女帝に謝って欲しいんだよな。あのひとに謝ることが出来る男に、育ってほしい。
ああ、いや、11.5話で帰朝した重要人物を忘れていた。折木姉。
結局顔出ないとか、まんま「男子高校生の日常」ワロタ。いや、確かに男子高校生の日常だけど。
折木姉ラスボス……と見せかけて、やっぱり締めは千反田さんメインのエピソードだろうな、JK。
姉の帰国が、千反田えるの傷付きを巡る物語の流れを、大きく解決に向けて動かしていくインパクトなんだろうな。
例によっておれの想像だけど、多分、千反田さんとお姉さんって、知り合いなんでしょう、ずっと前から。だから千反田さんは、折木君のこと知っていた。「私はきょうだいが欲しいんです。尊敬できる姉とかわいい弟が」って、折木姉弟のことでしょ。
 
おれは恋愛脳のカップル廚だから、折木君と千反田さんのラブラブ展開とか、どうしても考えないわけにはいかないぜ、ヒャッハー!!みたいなテンションなんですが、しかし、このエピソードの前まで、どうしても悲恋の結末しか思いつかなかった。
でも、このエピソードの折木君の「失敗」っていうか、このへこみ体験は、なんかすごいハッピーエンドフラグっぽくねー? ラブ的に? みたいな。
今夜の十二話が楽しみだ。

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