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2012年6月21日 (木)

アニメ「氷菓」感想 第6話「大罪を犯す」

お久しぶりです。まだ生きています。
最近、テレビもあまり見ないのだけど、楽しみにしているのは「アキバレンジャー」。
いいよね、青ちゃんカワイイし、黄色腐っているし、赤さん年齢詐称だし。いや、もう許してあげようよ。
気になるのは、青ちゃんの「おじさん」呼ばわりに、黄腐人がスルーなところ。タイバニ的に言って看過できぬところと思うのだけど。私、気になります。
それから「リーガル・ハイ」。
士凛を男女逆転しただけで、こんなに面白くなるなんて。古沢良太の名を知ったのは映画「キサラギ」の頃からなんだけど、やっぱりすごいと思いました。
そして、今回のテーマにした、「氷菓」。以降、いつもながら、ネタバレ過酷なので、ご注意ください。


おれは昔、ミステリが苦手な若者でした。
苦手な理由はいくつかあるんだけど、多くの場合「探偵」が事件にとって第三者であるところ、がまず感情移入を妨げるし。
その立場のせいで、探偵は事件の状況や関係者に対して、よそよそしい、客観的な態度でいる。まるで科学者が研究対象を扱うような語り口で物語る、その心事についていけない。
さらに、事件が大抵、殺人なり窃盗なり、反社会的なものであることも、おれの好みではなかった。
だって、反社会的な事件は、その責任のありかを追求することを、社会的「正義」が当然の義務として励ますのだから。
探偵は事件に対して第三者であるばかりか、我々読者にもその動機を隠して、よそよそしくなろうとするように思えた。
つまりミステリという作風自体の動機が、おれには、人間同士のややこしい気持ちの絡まり合いから目を逸らして、あえて表面的な謎解きだけに注目する姿勢のように感じられていた、ということです。
 
でも、そんな、まるでパズルの問題、みたいな押し出しの割には、論理の精度は低いと感じる場合が少なくない。その名探偵のいわゆる「推理」なるものは、蓋然性はそこそこあるものの、大抵は必然性に乏しい。現実的な法学的な検討に耐えないように思われるものも、散見されると思っていました。
フェアな謎と、謎解きの知的な快感、を本気で求めるのなら、詰将棋の問題集でもやればいい。数学の良問にじゃれついてもいい。
でも、そういう問題は、やっぱりちゃんと難しい、理解することさえ修練を要することもある。そんな本当にフェアな論理の厳密さには歯が立たない、けど、謎解きの気分だけは味わいたい、そういうひと達のために、ミステリはあるのだ、と。
これは無論、偏見もひどいところだと思う。
ミステリの中には、おれが悪しざまにいうような駄作も、世の中にあるにはあるのかもしれないが、そういう少数の粗悪品をとって、そのジャンル全体を誹謗するというのは、非論理的だし、下品だし粗暴だろう。
食わず嫌いのままできた、おれの了見の狭さが我ながら、鼻持ちならない、嘆かわしい、という話ですよ。

氷菓は、おれのような偏見に満ちたミステリ食わず嫌い派に対する、一つの回答として書かれているように思えました。
なぜ、ミステリが人間の生存に必要不可欠なのか。その理由を解き明かす、ミステリ評論としての性格も強いように思った。

「氷菓」には、おれはアニメから入って、その後原作第一巻を読んだという順番なのだけど、アニメも最初からみていたわけではなく。人から勧められて、初めて見たのは第六話「大罪を犯す」。そこではまってから、いろいろ手を尽くして、第1話から見直したのでした。
これは幸運だったと思う。第6話は、これまで放送された中でも、もっとも興味深く、重要なエピソードだと思うから。
部室内で高校生4人がダベるだけ、という、京都アニメーションお家芸と呼ぶべき、血湧き肉躍る密室雑談アクションの妙が味わえるから、だけにとどまらない。
依頼者が訴える謎と、探偵が取り上げる謎と、物語自体が自ずから開示する謎は、必ずしも一致する必要はない。いや、むしろその微妙な齟齬こそが、パズルでは決して描き出せない、ミステリだけがもつ魅力なのだ。と、明快に提示してくれている、そういうエピソードだとおれは理解したからです。
 
「依頼者」千反田えるが最初に提示した謎は、「何がおこって自分はおこらなければならなかったのか」なのだが、それが何時の間にか「なぜ数学教諭は勘違いしたのか」という話に変わってしまい、結局「探偵」折木奉太郎が取り上げるのは後者の謎である。
その謎への解答となる推理は「aとdを見間違えたのではないか」というものなんだけど、恐らく、この推理に驚きや喜びを覚える人は少ないだろう。おれがさっき貶した「蓋然性はそこそこだけど必然性が」という甘い推論そのものだ。
大体、この謎自体が、かなりどうでもいい。伊原さんが呈示する謎の方がよほど重要で、本質的なものに感じられる。
そう、その謎解きの最中に、傍観者であった伊原摩耶花があたらしく第三の謎を指摘する。「数学教師が勘違いしたとして、千反田えるは何故そこまで激しく怒らなければならなかったのか」
これだろう、普通、問われるべき謎ってものはさ。
大体、このエピソードは、千反田さんが隣の教室にまで響くほどに怒っているところから始まって、ずっと「憤怒」をめぐって話が展開し続けている。ストーリー構成全体が明らかに、千反田えるは何を怒り、どのように怒るのか、そこに興味の焦点をおいているようにしか、思えない。
にもかかわらず、伊原さんの問いは「自分のことは難しいですね」とさらっと流されておしまい。いやいやいや、そっちの方がよっぽど気になります、っての。
なぜ、この当然問われるべき問いが、問われないのか。これが、この物語自体が呈示する、最後の、そして真の謎だ。おれはそう受け取った。
おれは先述のように、「氷菓」を見始めたのはこのエピソードからだから、初見ではその謎はよくわからなかった。でも、第1話から第5話までの「氷菓事件」を見直してからだと、いろいろ思い浮かぶことがある。まあ、例によって、想像のしすぎになるけど、書いてみよう。
 
千反田さんの回想で語られるところでは、彼女が怒りだす直前、黙りこくるクラスメイトの中、タムラ某という男子生徒が起立させられて、なまはげのお面かぶって激怒する尾道教諭から吊るし上げられていた。
一人、着席も許されず、そう、まるで、悲鳴をあげることさえ出来ないまま、生きながら死んでいくかのように、だ。
千反田さんはその時、感情が激するまま、声を上げた。
しかし、その自分の激情を、すぐに忘れて、思い出さない。
折木君がそのものズバリ指摘するまで、思い出さない。
部室で、まさに憤怒の話題で盛り上がってて「私だって怒ります!」と反論したりしているのに、同じ日の5時間目の自分の怒りを思い出さない。
高校生が、教師に向かって、となりの教室にまで届くような大声で抗弁するなど、そうそうあることではない、ましてや「天使のように怒らない」とまで言われる千反田さんだ、一世一代の大事件ではないか。それなのに、彼女は思い出さないのだ。
そう、優しかった伯父の言葉に驚いて泣きじゃくった、そのことにずっと傷付き続けて生きてきた。それなのに、その言葉の内容を憶えていないように、だ。
 
この第6話「大罪を犯す」は、ある側面では「氷菓事件」のダイジェストと言っても過言ではない。いや、ウソです言い過ぎましたごめんなさい。しかし、怯まずなおも言い過ぎてみよう。
おれの理解によれば、この時、千反田えるの脳裏にあったのは明らかに「関谷純」のイメージに違いない。
「氷菓事件」では、「私は生きながら死んでいくのが怖くて泣いたんです」と、彼女は記憶を取り戻す。
しかし、彼女は本当は、怖いという以上に怒っていたのではなかったか。
「大罪を犯す」は、その可能性を指摘するエピソードだと思った。
 
憤怒は必ずしもいつも悪いこととは限らない、と千反田さんは口では言う。
しかし、一方、自身の激情を、素直に出せるわけではない。忘れてしまったり、論点をずらしたり。挙げ句の果てに「勘違いは責められません。わたしは言いすぎてしまいました」と、見当違いな反省をする。
自分の怒りを正当化できない、どころか、怒りの存在を認めることさえ難しい彼女の姿が、そこにある。
我らが折木奉太郎は、その様子に驚いて「千反田えるは、本当はいつだって怒りたくないのではないか。千反田えるとはそういうやつなのではないか」と、彼女の為人について思いをめぐらしかけて……なぜか突然、いやそう考えては、傲慢の大罪を犯すというものだ、と自省して思考停止してしまう。
 
え、そうなの!? それって傲慢なの?
見ているおれは驚く。いやいや、どこが傲慢なものか、2ヶ月もの間、同じ部活で放課後の短からぬ時間を共に過ごしてきたんでしょ、相手がどんな人なのかしら、と想像するのは、傲慢どころかむしろ推奨されるべき配慮だと思うよ、おじさんは。
さらに、初見のおれは気がつかなかったけど、5話までに、彼女に幼時から暗い影を落としていた「氷菓事件」を、共に調べ、考えてきたんだよね? 下手な恋人同士以上に、彼女の深い憂悶を、彼は受け止めてきておいて、今さら彼女が何を怒り何を喜ぶか知らぬふり、という方が、無責任というか。傲慢とさえ言えるかもしれないよ。
おれはそのくらいの感覚なんだけど、変かなぁ。
 
それに第一。この件は、いやこの件「も」、折木君が自ら進んで追及したことではない。
折木君は「知らん」「分からん」「どうでもいい」で一貫しているのに、千反田さんが強引に「折木さんに考えて欲しいんです!」と名指しで迫って巻き込んだんだよね。
巻き込まれた側が、巻き込んだ方の動機を忖度するのは、当然といえばあまりに当然の反応。それがどうして「傲慢の大罪」って発想になるのかな。
 
勿論、それは、さっきも書いたように、千反田さんがその話題を流そうとするからだ。
勇敢なちびの伊原摩耶花が「どうしてわざわざひとこと言ってやろうとおもったの?」と聞いた時、にっこり笑って「自分のことは難しいですね」と言う。これが女子語で「てめーの知ったことじゃねーだろヴォケが!」という意味なのは、誤解の余地がない。
えー。
まあ、そこまで攻撃的な意味ではないにしても、「ちーちゃん」と呼び始めたばかりの、微妙な時期の女子同士として、こうまで言われたら、それ以上突っ込むことができないセリフだ。
そういう女子間のやり取りを見た上で、千反田さんの拒絶に気がつかないほど、折木奉太郎は鈍くない。
 
いや、鈍いどころか、彼には敏感すぎるところがある。
これは例によっておれの勝手な、それこそ傲慢な想像だけど、彼が省エネ主義ということになっているのも、それが理由ではないか。
折木君ほどの観察力や洞察力の過敏さがあったら、何でも無い平凡な日常生活も、他の人が受け取る数十倍の情報量をもって押し寄せてくるだろう。第1話の後半「女郎蜘蛛の会」のエピソードでも、掲示板のポスターに圧倒される彼の姿が描かれていた。普通に学校の廊下を歩くだけでも、彼は疲弊困憊するのではないか。
自然「やらなくていいことはやらない。やらなければならないことは手短かに」という原則を持たなければ、ただ毎日を生き延びていくことさえ難しいだろう。
 
そして、そういう彼だと思えばこそ、千反田さんは「気になります」と訴えかけるのだろう。
人一倍敏感で、本人さえも気づかないくらい隠された苦しみに寄り沿える折木君だから、彼女が「気になる」ことの真の意味を受け止めてくれる。
彼女は気になる、気になって仕方ない。しかし、そのことに触れたくない、触れられたくない、考えたくない、思い出したくもない。そんな気持ちも同時にある。
問題は、関谷純の過去や、数学教師の勘違いなどではない。葛藤をはらむ、彼女の傷付きなのだ。
折木君は、彼女のその傷付きを追求しない。
踏み込んでほしくない所に、踏み込んでくるような無神経さは無い。
なにも分からないまま、痛みだけを一緒に感じてくれる。
我がことのように「傲慢の大罪だ」と罪悪感を感じてくれる。

では、その千反田えるの傷付きとは、なんなのか。
果たして、その傷が癒される時は来るのか。
現時点では、おれもあまり明確に想像出来ないのだけど。
この物語は「古典部シリーズ」と称して、原作は10年以上にわたって断続的に続き、5巻の単行本が出て、なお未完だそうだ。
おれの想像だが、多分、全シリーズを通じて描き出されていくテーマが、その千反田えるの傷付きと、再生なのではないか、などとおれは思っている。
というのは、この第六話「大罪を犯す」は、1話から5話までのメインテーマをアレンジしてくり返すことで、この物語には全編を通底して流れる大河のようなテーマがあるのだよ、と宣言するエピソードだったと、おれには見えているからだ。
そういう誤解と錯覚の下で、今後のエピソードを追っていこう。そういう人が、一人くらいいてもいいかなぁ、と。

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