魔法少女まどか☆マギカ 感想その2 ━━ひとりじゃないよ━━
「あなたはひとりじゃない」
今年の三月以来、そんなメッセージが、果たして何回繰り返されたのかしら。
まどか☆マギカが、今、この時に放送だったのは、単なる偶然以外何物でもない筈で、本当にたまたまだった筈で。そのあまりの符合に驚く他ない。
例のごとくネタバレ全開で以下に続く。
おれの職場では、職員の中から5〜6人のチームを編成して、交替で被災地の支援に派遣する、という支援の仕方をした。阪神大震災のとき、職員が個人のボランティアの形で参加して、結果的に烏合の衆になってしまった失敗の教訓から、このやり方になったのだそうだ。
おれは、派遣チームに漏れてしまって、こっちでチームメンバーの抜けた穴を埋める役割になった。だから、ついに現地を踏むこと無く、今日に至っている訳なのですが。
そんなこんなでこの2ヶ月あまりは例年の1〜2割増しで忙しかった。勿論、被災者の方々、現地入りしている支援スタッフの苦労を思えば、お茶の子さいさいと言うべきレベルなんだけど、おれは生来怠け者で思いやりを欠くものだから、しばしばそういう方々の艱難を意識的に思いだす努力をしないと、つい、愚痴の一つもこぼしたくなる。
でも、愚痴なんか、こぼしてはいけない、とも思う。
サバイバーズギルト、という言葉があるらしいのだが。
とにかく、後ろめたい。
おれは自分にものすごく甘くて、自分の責任じゃないことが原因で多忙になったりしたら「そりゃないよ」の一言くらい、口をついて出たって、人情としてしょうがないじゃない、と言い訳したい気持ちがある。
正直、それが、そんなに間違った気持ちとは思わない。でも、やっぱり、申し訳なくて、不満など一言だって言ってはいけない、とも思っちゃう。それもまた、正直な気持ちだ。
そうして、おれは「ひとりじゃないよ」「一緒にいるよ」と、つぶやく。被災者を、或いは支援に赴く人々を思って、内心にそうつぶやくのだ。
呟きながら直ちに「欺瞞だなー」と思う。そんな訳がない。おれは、いまここにいる。苦しむ誰かを、ひとりぼっちにしたまま。安閑と、慣れた自分の居場所に居座って、アニメの感想のブログを書いている。
でも、自分を欺き瞞したい。自分が、誰かの痛みを受け止められる、と、力になれる、と。誰かの、そばに寄り添い、その孤独の痛みを癒す人でありうる、と。
おれが「まどかマギカ」を見始めたのは4月の末からで、非常時体制も軌道に乗ってようやく一息ついた時期だった。無論、課題は山積していて、一息ついている場合じゃないとも言える時期で。おれはそういう現実を忘れたかった。普段ならタイトルさえ目にはいらない魔法少女モノを選んだのも、おそらくそんな気持ちからだったんだろう。
だからキュゥべえが画面の中で「願い事をなんでも一つ叶えよう」と言ってくれたとき、おれが真っ先に思ったのは「この震災をなかったことにして欲しい」という願いのことで。
同時に気づかされずにはいられない。おれは、そんな現実を忘れたくて、こんなアニメとか見ているんだ、ってこと。ほんとうに震災の被害を何とかしたいなら、架空の白い動物に願いをかけてる場合かよ。おれがそれ以上に望んでいるのは、自分を騙すことなだと。おれは誰かの役に立っている、傷ついている誰かをひとりっきりのまま、放り出したりしていない、と。自分は悪くない、って、自分でそう思いたい。
「まどかマギカ」の中で、繰り返し「一緒にいるよ、ひとりじゃないよ」という思いがあふれ、まどかのキュゥべえに突きつける願いも、まさにそれだったと思う。全ての、魔法少女に会いに行く。ひとりじゃないよ、と伝えに行く。
おれが、そういう気持ちで見ていたからかもしれないんだけど、おれには「ひとりじゃない」ってどういう意味なのかを、どこまでも突き詰めて求めていく物語のように思えた。
そして、突き詰めれば突き詰めるほど「あなたはひとりじゃない」って思いは結局、どこまでもひとりよがりなものでしかない、と思い知って行く物語のように思った。そりゃマミさんは喜んでくれたし、 言われる方だって「ひとりじゃないよ」って言ってもらいたいと思ってくれてると思いますよ。でも、「まどかマギカ」はやっぱり言いたい方の側の物語だと、おれには感じられる。まあ、おれが今そっち側に立っているから、そう思っちゃうだけなんだろうけど。
「あなたはひとりじゃないよ」って言ってあげられる側って、要するに恵まれている側だ。一人じゃない。既に助けられていて、力を貸してもらっていて、だから、誰かを助けに行ってあげられる余裕がある。
「どうして私なんだろう」とさやかちゃんも言ってたけど、そう、おれは恵まれているのだけど、恵まれているべき理由は分からない。無論、それなりの努力はしてきたし、いま得ているものの代価も正当に支払って来た。そうなんだけど、そういう話じゃないんだ。おれは目が見える。耳が聞こえる。手も足も動く。自分一人で便所に行って尻が拭ける。家があって、アマツユがしのげる。仕事があって、安定した収入とそれなりの社会的地位がある。素敵な奥さんだって、そばに生きていてくれる。なんと恵まれていることか。何もかもそろっていると言っていい。
そこに理由はない。
何故、今回の震災で被害を受けたのが、おれではないのか。それまでの生活のあらゆるを奪われた被災者の運命が不条理である以上に、おれが、その一方でうっかりのんきに暮らしていることが、理不尽だと思う。
事実では全くないんだけど、いつもおれの脳裏に、ぼろぼろに傷付き疲弊した被災者が何人も現れて、おれを指差して「何故お前は無事なのか」と「何故自分がお前よりひどい目に遭わなくては行けないのか」と、難詰してくるイメージが浮かんでいる。
そして、その幻想の責めに、おれには返す言葉が無い。
黙り込むおれは、それでもわかっている。おれに人差し指突き付けて糾弾してくる被災者は、実在しない。おれが被災の現地を踏んでいないだけに、想像だけが突っ走ってしまうのだが、たぶん、被災されて本当に大変な毎日を送られている方々は、おれのことなんか構っておられる余裕は無くておられるだろう。
それなのに、どうして、おれは、自分が怒られているところを想像してしまうのかな。
自分の幸運を意識するとき、それをありのままに喜ぶ、だけで何故か終わらない。その幸運を失う自分を想像してしまう。そうなったら嫌だ、どうしても失いたくないと、しがみつくような自分の醜い執着を感じてしまう。その醜さが、恵まれた幸運に相応しくないのは明らかで、自分が、より相応しい人々から、不当にも幸運を盗み奪っているような感覚に陥る。その罪悪感。
そして、自分に幸運を偸まれた不運な人から、嫉み妬みを買ってしまうのではないか、いつか復讐されるのではないか、「お前も同じような不幸に苦しめ」と呪われるのではないか、という虞れ。
おれもわかっているつもりだ、と、しつこくもう一度書こう、それはあくまでおれの勝手な想像だ。
これがたぶん、リアルなドラマなら、おれのこんな悪夢のような、普段は全く表に出て来れない想像に、触れることなどなかったんじゃないだろうか。
「魔法少女まどか☆マギカ」という、ものすごくファンタスティックなアニメ映像だから、ダイレクトにヒットした。
「あたしの指なんていくら動いたって何の役にも立たないのに」って自分の指の自由を喜べない少女の罪悪感と、虞れが、おれをわしづかみにする。
そこから逃れようともがき、呪いと戦って、自分の善良さを証明しようとして、そして。
その試み自体が、自分と世界を呪うことだと、気がついてしまうのだ。
呪いとは、誰かの不幸を願うことだと思う。その幸運を、その能力を否定して、意味がない、役に立たないと、踏みにじることだと思う。それが、自分自身についてのことであっても、だ。「あたしの指なんていくら動いたって何の役にも立たないのに」自分の恵まれた可能性を、そんな風に放り投げる時、その祈りはもはや呪いだ。
呪うように祈ること。
祈りを通じて、自分を呪うこと。
それって、でも、そんなに変なことではない、って、おれは思っちゃう。おれには、人情としてわかる。っていうか、まさにおれ自身の気持ちの動きだからなんだけど。それは悲しく、惨めで、苦しい心持ちだ。卑しい、クズみたいな心境だ。それでも、なお図々しくおれは言い訳したい。人間なんだもの。そういう気持ちになることは、あるよ。
そんな、卑劣な心持ちさえ、一方で、おれに恵まれた、心の自由だと言えるのではないか。
その気持ちを「卑劣」と言ってしまうのは、さやかちゃんが自分の指を「役に立たない」と言うような、既に呪いの始まりなのではないか。
だから、まどかは、呪いを否定しないのだと思う、ということは前回書きました。つまり「いっそ思い切って、間違えちゃうのも手なんだよ」ってことで、ひとつ。
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