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2007年7月28日 (土)

オーディンスフィア リプレイ日記11 「ワルキューレ」第三章 ━父殺し━

とても、書きたい所に差し掛かっています。一方、書くのがとても辛くなってきました。つい、どうでもいいSSとかに逃げてしまう。

書くのがつらいのは、なんだか、悪いことをしているような気がしてしまうから。

父殺しの罪悪感、なんだと思う。

リプレイ日記9を自分で読み返して、自分が、ものすごくオーダイン王に怒っていることに気がついて、びっくりしました。

おれは、こんなにこの人のこと、嫌いだったかな。

自分が、たとえ架空のキャラクターとはいえ、誰かを嫌っているというのはあまり愉快なことではありません。しかもそれを、見知らぬ人でも目にできるような形で、顕してしまったとあっては。

 

おれ自身の人の好み、ってのは確かにあって。でも、やっぱり、この物語での、オーダインのポジションが、何かヒットするんだよ。

捏造を自覚しない、って最悪だ。と、自分でも思うけどさ、敢えて、ここは「オーディンスフィア」のせいにしたい。

おれが、オーダインを嫌いなんじゃない。

グウェンドリンだ。

グウェンドリンが、オーダインを、心底、憎んでいるのだ。

おれは、ただ、主人公に引き込まれているのだ、って。

うーむ。おれって本当に卑劣だなぁ。自分が人を嫌っているのを、いたいけな女の子のせいにするなんて。彼女は、むしろ、お父さん大好きじゃないか、お父さんの心の痛みを救うため、自ら反逆者の汚名を被ることさえ厭わないではないか。

まあ、そうよね。

でも。

本当か?

 

子供が親を愛している、って、そういう感じなのかな。

むしろ、本当に信頼できる親ってさ、子供にとって、安心して甘えられる相手なんじゃないの?

変かな。わがままな考え方かな。

でもさ、この物語の中にも、出てくるでしょう、たとえばメルセデスとエルファリア。或いは、コルネリウスとその父エドマンド。血縁はないけど、オズワルドと、ブロムの二人を挙げてもいい。

ダメな子でも、獣でも、呪われた死の剣士でも、親だから、許す。愛する。信じる。

そして、子供の方も、信じられる、この人は、自分を見捨てはしない、と。なぜならば…特に理由はない。だって、親じゃないか。

そう盲目的に信じて、安心していられる。だから、自分のことにかまけることができる。カエル撃ちを楽しんだり、恋愛沙汰にうつつを抜かしたり、己自身でさえ憐れむ気にならない身の不幸に酔ったり。

そういう関係は、見ていて微笑ましい。

気持ちが温かくなる。癒される、みたいな感じ、っていうか?

グウェンドリンにとって、ミリスは、そういう存在みたい。

でも、オーダインは?

 

少なくとも、グウェンドリンから見たとき。

このお父さんは、自分の都合で、いつ娘を見捨てても、不思議はない。そう思えるんじゃないのかな。

現に今、ベルベットを見捨てつつある。

ブリガンの陰謀? いや、生贄の提案を黙認したのは、オーダイン王自身だよ。ブリガンの使った論理、国民の不満をおさめるため、ってのを受け入れた形だ。

しかし、本当に敵国の王女と通じるのが、王者としての資格を損なうものなら、むしろ、自ら適格者に禅譲してでも、罪なき姫を守るのが、神話的英雄というものなんじゃないの。

或いは、それがどうした、と開き直ってもいい。敵国の王女をさえ魅了する、このすぐれた雄度、とかえって誇り、ベルベットを認知して王宮に迎えてもいいじゃない。それだって、英雄っぽいですよ。

でも、そのいずれもしない。

ベルベットの殺害が、自分が王位に就く第一歩なのだと、語ったのはブリガンでした。でも、自分の王位を無難に保つため、と言い換えれば、それはそっくり、オーダインの思考であろう。

この人は、自分の身の安泰を図るために、かつて、愛したはずの女性を見捨て、そして今、その人の忘れ形見を殺そうとしている。

そして「また失うのか」と、まるで自分が被害者であるかのように、打ちひしがれて見せる。実の父親に見捨てられ、雪山の山頂で孤独に死に行こうとする娘の悲しみや憤りを何も分からない。分かろうともしない。

 

うーむ、おれは、また、怒っている。

「王を批判する軽率な言動は慎んでもらいたい」と、グウェンドリンに窘められそうだ。

しかし、へそ下まで密生する自慢の陰毛を見せつけつつ、敢えてこう答えたい。「これが言わずに居られようか」

 

この、おれのオーダインへの怒り。

おれは想像するのですよ。多分、同質の怒りが、グウェンドリンの腹中にこそ燃え盛っているのではないか、と。

しかし、彼女は、そんな風に考えない。

二幕の「お母様やお姉さまはあんな言葉を掛けてもらった事など」という台詞を聞いていると、はっきりと彼女の怒りを感じる。奥底に、冷たい父親への怒りがあると思うんだけど、でも表面的には、ベルベットへの嫉妬を語っている。

そっちの路線で考えを進めると、小鳥が出てきて「あの子が死ねば、王の愛は独占よ」と耳元に甘く囁く。父が悪いのではない、父を誘惑するあの女が悪いのよ。

そうか?

本当にそうか?

グウェンドリンはここで、立ち止まる。

ここは、大きなターニングポイントだ。

グウェンドリンの物語の中で、最大の切所の一つ、と呼んでいいのじゃないかな。

 

なぜなら、ここまで純粋に被害者と思っていた自分自身が、実は加害者でもあったことに気づく瞬間だ、と思うから。

おれの想像にすぎないが、「この人が死ねば王の娘は自分一人」、それは、グリゼルダの死に際しても、グウェンドリンは思ってしまったことではないか。

第一章で「かわいそうな私」と小鳥が言い、グウェンドリンは否定しながらも、両手で顔を覆い、立っていられなかった。

それは厳しい、つらい認識だ。しかし、その認識を受け入れることは、一方では、甘美だったのではないか。悲劇のヒロインにとって、常に苦難は外から来る。

しかし、その「かわいそうな私」は、ずっと姉に甘え、姉に守られてきたのではないか。そのために姉は死んだのではないか。姉を殺したのは、自分ではないか。「かわいそう」と言うなら、グリゼルダの方が、遙かに。

自分は、姉を殺した。自分自身の安心のため。献身の果てに、いつかは父が愛してくれる、という、自分の神話を守るために。

父と同じじゃないか。

 

だから、グウェンドリンは怒れない。怒っているけど、認められない。

いや、心のどこかでは、気づいているはずだ。

そのどこかで、小鳥が生まれ、ここまでやってきた。

なんとなく、姉とイメージの重なった小鳥。敗北した姉のみじめさを示すようにか弱く。しかし、姉を見捨てた自分の卑劣さを裁くように仮借なく。

「これで王の娘はあなた一人」

それは甘い誘いのようでいて、最も深くグウェンドリンの胸を抉る、弾劾なのではないか。

お前は再び、姉を殺すのか、と。

 

厳しい問いだ。

グウェンドリンの、ホルン山での叛乱は、その問いへの、彼女なりの、この時点での、精一杯の回答だったりしたりはしないかな、とか想像していたりするわけですよ。

 

答えを出す根拠として「お父様はもっと苦しむわ」と言う、そのお父さん、って、一体、誰だろう。無論、オーダインなんだけど。でも、なんというか、グウェンドリンビジョンで、めちゃくちゃ美化されまくっていたりしそうではないですか? 丸ペンで点描されてそうな感じで。背景に花しょって。

おれがここで繰り返し怒りを感じている、利己的、冷たい、子供っぽい、っていうようなイメージは含まれていない感じがする。そういうのは、全部ブリガン。

大人っぽい度量の表現として「清濁併せ飲む」って言いますが。

乙女的に潔癖なグウェンドリンに言わせると、お父様は清いに決まっている。もし濁って見えるとしたら、それは、どこかに濁らせた悪い奴が、必ず別に居るはずなんです。ブリガンとかな。とにかく、そいつが悪い。お父様は悪くない。むしろ、おかわいそう。

しかし、父王を濁らせた悪い奴は、果たしてブリガンだけだろうか。

グウェンドリンは自分の中に、ベルベットを、グリゼルダを殺して、取って代わりたいという濁った利己心があることを、小鳥に示されてしまった。

そう、自分は悪い子だ。…そうか。自分が悪い子だから、お父様は愛して下さらないのだわ。だから、その罪を購わなくては。罰を自分に与えなくては。もっともっと厳しく自分を律し、罪を償い、義務を果たせば、きっと。

きっと、お父様は。

それが、おそらくグウェンドリンの、慣れた思路。

父殺し、って単に父親を殺すということではない。心中に仰ぐ父の逆、信じて踏みしめる、この大地を、自ら割って崩しさるような、自己の根本の否定。まだ、自分の至らなさを責めるだけの方が、よほど。

 

そんなこんなで。

まず、もはや、姉を見殺しに出来ない。グリゼルダの本当の意味での弔い合戦である。

そして、それは同時に仇討である。姉を殺したブリガン的なもの(事実、ブリガンの故意の延着が、グリゼルダの間接的死因となっている)を退治する。

しかし、ブリガン的なものは、自分の中にもある。自分も、死ななくてはいけない。

いや。ブリガン的なものの、真の源泉は、父王オーダイン自身である。それには薄々グウェンドリンも気づいている。父をも、諫めねばならない。その恐るべき反逆の罪、自分はますます生きてはいけない。その罪悪感。

いや、死を賭して諫するならば、あるいは父も哀れと思召して下さるかも。父を思う娘の真情を、お汲み取り下さらないとも限らない。その、悲痛な愛着。

ホルン山の叛乱には、グウェンドリンの、たとえばこのように様々な、交錯する心情が煮詰められている、というのは、おれの想像にすぎないわけですが。しかし、そういう想像の余地がある、シナリオと演出が本当にすごい。

 

しかも、それに留まらない。物語はなおも問い続ける。

グウェンドリンよ、それは、そんなに濁った気持なのか、って。

彼女が、お父さんに一番かわいがってもらいたい、お姉ちゃんたちなんかみんな死んじゃえばいいのに、そしたら私が一番なのに、って思う、それは、本当に、そんなにいけないことか?

ごく自然な人情じゃないか。おそらく、そんなことを少しも思わないで生きてきた人は、この世に一人もいないんじゃないかなぁ、とかさ。

それは、悪ではない。ただ、幼いだけ。見ようによっては、微笑ましいと言ったっていい気持ちだ。きっと、ミリスならそう感じるだろう。

まあ、親の立場で、子供に対してその幼さを出されては、たまらんけども。お父様はもっと苦しむ、と自分を犠牲にして雪山を飛ぶグウェンドリン。親と子が反対じゃないの。

でも、親だって、本当は、完璧じゃなくていい。ちょっとぐらいなら、時に、親が子供に甘えたっていいじゃないか。そんなに悪いことじゃないよ。「またお父さんは下らないもの買ってきて」とか、娘の方が母親みたいになって、お父さん叱っていたりとか、悪くない景色じゃない? そういうところで、子供の方が少しずつがっかりして、親をあきらめて、自立していくんでしょう。

まあ、オーダインはちょっと、子供っぽ過ぎると思うけどさ。

でも、そこは、神話的英雄だからさ。神話の英雄といえば、裏切り、殺人、嘘、不倫、強姦、悪逆の限りつくしちゃったりすることも度々じゃないですか。娘を見殺しにするくらい、可愛いものでしょ。

っておい、さっきと言ってることが全然違うじゃないかよ、にぽぽだい。ひょっとしたら、そう思っている方いるかもしれない。どっちなんだよ、はっきりしろよ、オーダインは一体、イイモノかワルモノか。

はい、言ってること全然違います。

だって、オーディンスフィアが、そういうゲームなんだもの。

清濁、陰陽、善悪、曲直、どちらも併せ持つのが人間の現実。一方で、そのどちらかに徹底したいという理想を、それでも大切に感じてしまうのも、また人間。たとえ、理想と現実の衝突と葛藤に苦しんだとしても、どちらかだけで生きていくことはできない。

このゲームは、そういうゲームなんだ。と、おれは思ってしまっているんです。

 

すごい。

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