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2007年6月17日 (日)

オーディンスフィア リプレイ日記3 「ワルキューレ」おっとまだ序章だったよ

序章第13節 「黒い剣士の影」

お姉さんの死の直後に、オズワルドと出会うグウェンドリン、のシーン。

最初にプレイしたのがちょうど一か月前になるわけで、正直、記憶も遠いわけですが、少なくとも、このシーンを見た時には、このゲームがこんなに好きになるとは全く思っていなくって、「そなたは美しいのカヨ!」みたいなツッコミを入れながら、気楽に流していたのは覚えてます。

オズワルドの第一印象としては「ヒイロもどき出た」というくらいだったような。

ラブストーリーで、男女が最初は敵味方の陣営に分かれている、っていうのはベタというより古典の域だと思うんだけど、自分は好みなんで全然おっけーです。というより、もっとやれ。

「プリンセスクラウン」以来の神谷ファンですが、正直社会人になってゲームクリアは厳しい。よほどの引きがない限りは、途中で投げ出してしまう。序盤、このラブストーリーの魅力だけを頼りにプレイしていましたね。

大体、「プリクラ」は、ラブストーリーとしては、ちょっとさぁ、食い足りなくありませんでしたか? 当時のセガサターンのユーザーに合わせた? あの「サクラ大戦」が出たマシンだったけどねぇ。

だから、正直、今回もそんなに期待していませんでしたよ。それでも、千葉進歩さんですか、オズワルド役の声優さんの、緑川と檜山の中間みたいな声質が気に入って、まあ、再登場まではやろうかな、ってえらく傲慢にオタクっぽいことを考えていたのを思い出します。


しかし、見直しながら、しみじみ思ったのは、舞台劇的な演出、というけど、それ以上にとにかく、すごく古臭いよね。だって、例えば劇団新感線とか、そういう流行りの演劇じゃないじゃん。古典劇っていうか、日本で言うと維新後に生まれた「新劇」みたいな?(それでも、序盤では、お姉さんの亡くなるシーンでじりじりとズームしたり、オズワルドとグウェンドリンの戦闘シーンではカメラがパンしたり、カット割りがあったり、まだ、映画表現的な演出が多用されているように思う。プレイヤーの入りやすさを考えたのかな。)

ストーリーも「ヒネリありませんが、なにか」みたいな王道ファンタジーだし。

ゲームグラフィックも、一見「スプライトにドット絵描いた?」と錯覚しかねないような2Dっぷりだし。

結果として、ものすごく「古さ」を感じさせる。突き抜けた古さ、ですよ。中古じゃなくて太古。廃屋を通り越して遺跡、みたいな。


これが、オーディンスフィアの「らしさ」だと、おれは、思っているのですが。

その意図はどこにあるのかな、と想像してしまうわけです。

古代の物語や神話の登場人物って、どこか、精神の地平が瞑い、っていうか。近代の理性とか合理性とか、現実認識とか、そういうものから遠い。小さいころに見た得体の知れない悪夢の不気味さ? 臍の緒だけで繋がる胎盤のなまぐささ、っていうか。そういうものを切り落として、我らは「人間」となってきたのかな。

しかし、現代、近代に思い描かれた、プラスチックみたいに使いやすくて軽快な「人間」のイメージは、少し擦り減っているのかもしれない。嘘っぽい。腐って土に帰らないようなあり方は、清潔か知らんけど、なんだか空しい。我らの現実は、もっと生き物的に生々しい、割り切れない、一つ所に落ち着いていられない感じなんじゃないか。

むしろ、古代の神話に出てくる、矛盾と不可解な衝動に満ちた英雄の方が、現代的だったりする側面はないのか、みたいな。ジョイスとかの仕事って、そんな感じではないかと思ったり。だれか、文学に詳しい人、教えてください。

オーディンスフィアが試みているのも、人間のそういう観点からの描写なのかナ、とか。


そう言えば、冒頭で連想した「もののけ姫」も古代と神話の物語だったな、と。単にヒーローとヒロインの出会いが似ているというだけで比べてみたり。

アシタカが「みんなで話し合って仲良く共存できないのか」って考えているのが、すごく「近代」的理想というか。小学校で教師がとくとくと語りそうな「道徳」っぽい匂いがする。一方で、彼は、穢れた神の呪いを引き受けて、自身も呪われてしまい、怒りのような盲いた情動がときに暴走してしまう、という「古代」的悲劇を背負っている。一方では、その呪いは彼の超人的な力の源泉となって、彼の英雄性の保証となってるあたりが、ますます「古代」な矛盾。そこがいい。

オーディンスフィアでも、「矛盾」がキーワードになっているのかな。


3幕 「退却」

ラグナネイブル城が初めて舞台となるシーン。ここは音楽がすごくいい。

並び立つ尖塔の遠。斜めに日差しがあり、輝く白い鳥が群れなして飛んでいく。永遠の黄昏の国、というイメージだ。

「ワルキューレ部隊は多くの犠牲を出しました。」というグウェンドリンのセリフと、鳥たちの群れが飛んでいくタイミングの合い方が素晴らしい。

父王は、姉娘の死に対して、戦士に対する最大級の賛辞を献じて弔う。大抵のセリフが二行以内のこの世界では、その言葉は決して不足じゃないと思う。グリゼルダ自身もまた、戦士としての評価を望んでいた

でも、グウェンドリンには足りない。「それだけですか」と食い下がる様子は、いま見返すとかなり意外だ。

「姉を見習え」と言われて自分を抑えるシーンといい、この、姉のためと思えば父の冷たさに抗議できるシーンといい、モデルにしたという「ニーベルングの指輪」には登場しなかった、ヒロインの姉、という設定が生きているなぁ、って思います。

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