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2007年6月 9日 (土)

オーディンスフィア リプレイ日記 1  「ワルキューレ」序章

ネタばれする気満々で、タイトルでまで警告しておいて、結局なにもネタばれしてない自分の奥ゆかしさが、少しかわいく思えたり。

今日は、ちゃんとネタばれしたいと思います。

というわけでリプレイ日記。

最初のプレイでは先が気になってどんどん進めてしまったので、もう一度じっくり鑑賞しなおしたい。

一度クリアしてから新しくニューゲームを選ぶと難易度HELLが選べるようになる。

なんと、最大HPが増えない。って、何だそれは。事実上、ワンミス即死じゃありませんか。

ちょっと惹かれるけど、また今度の楽しみにしておこう。

久し振りの「ワルキューレ」。巻頭の言葉が懐かしい。

戦いに散ることで魂は誇り高く輝く

鳥たちは信じている

それだけが唯一

永遠の魂を得る道なのだと

いいな。

人の文章をとやかく言えるアレじゃないけどさ。このゲームの日本語が好き。

変なファンタジーとかにありがちな擬古文とかではなく、あくまで現代語、でも古式床しいというか、格調高い文語の感じ。

そうそう、グリゼルダ姉様は、出た途端に死んじゃうんだった。

死に行く姉からサイファーを手渡される妹。このシーンはすごい。平気でうそをつく人たち」の拳銃をプレゼントされる少年の挿話を思い出した。

姉の陰に隠れて、「普段は物静かで控えめ」な妹だったグウェンドリンにとって、グリゼルダって、きっと憧れと尊敬の対象だったんじゃないかな。そんな人が、戦いに傷つき、虫の息で、まだ血に塗れている武器を手渡してくる。「自分に続け」という意味なのか。自分のように殺戮し、自分のように斃れよ、というほとんど呪いのようなメッセージに感じられる。グウェンドリンもそう受け取ったから「長く寂しい思いはさせません。まもなくお側に参ります」と答えたんじゃないかな。

一面、それでも、やはり愛情なのだとも感じられる。自分の力の象徴、自分自身で運命を切り開くための武器で会ったサイファーを譲り渡すことには、自分と同じくらい妹を大事に思い、先行きを案じているという意味がこもっているのも間違いないだろう。

切ない。

全編を通してグウェンドリンの父親への思慕の強さが印象に残るけど、実はグリゼルダも相当なもの。「王とご一緒はできない」「お父様は褒めてくださる」と死に際して、何度も父親のことを言う。

妹に対しては、「優しい妹」と呼び掛けて「どうか泣かないでおくれ」と慰める様子は、姉妹の間のやわらかな感情の交流をしのばせる。

同時に、「殺せ。そして死ね。」と言わんばかりに槍を譲る。

お姉さんも、さぞ、さびしかったんだろうな。

早くに母が亡くなり、仕事人間の父親は家庭を顧みない、そんな環境で姉妹がお互いに身を寄せ合い、励ましあって生きてきた様子が目に浮かぶ。姉は、自分が母を失った寂しさを、妹には味合わせたくないと思うだろう、自分から母親らしいことをしてやりたい気持ちもあるに違いない。

「死と闇黒の剣」で、グウェンドリンが亡き母親のドレスを着て城中にあらわれる。彼女がそんな風に、女性らしさへの憧れや、そしてそれを父親にもアピールしたい気持ちを保ったまま成長してこれたのは、お姉さんが、父親からの期待やプレッシャーの多くを引き受けて、妹を守っていたからじゃないかな、って思った。オーダイン王の「少しはお前の姉を見習え」というセリフには、そういう含みがありそうだ。

しかし反面、姉に庇われたり甘えたりできる妹に、あるいは嫉妬のような気持ちさえ、持ったかもしれない。自分が、自分勝手な父親との間で、どんなに自分を殺してきたか、お前も味わってみるがいい、そんな風に言いたい気持さえ。

「呪われ王子の冒険」でグリゼルダが「グウェンドリンは甘い」と否定的な評価を下すシーンがあった。グウェンドリンのいないところで、しかも部下のワルキューレの前で、だ。かなりきつくない?

オーディンスフィアのすごさの一つには、一見ファンタジー、お伽話の体裁をとりながら、登場人物の描写に奥行きがあって、矛盾や葛藤が繊細に書きこまれていることがあると思う。

いや、一見童話のようなスタイルだからこそ、その矛盾の深みが際立つのかもしれない。

グリゼルダの、妹への愛情と、そして拭いがたい嫉妬が、同時に表現される圧倒的な序幕から物語が始まっていくわけです。

そうか、グウェンドリンの物語は、グリゼルダの死によって始まり、グリゼルダの再登場、再生によって閉じる訳なんだな。

話とぶけど、やっぱりグリゼルダと、あの青い鳥は、違うものだという気がするなぁ。

「終焉」5章3幕「姉妹の戦い(後篇)」で、レヴァンタンを倒しながら、自身も力果て共に虚無へ堕ちるグウェンドリンに鳥が囁く、ってくだりで、青い鳥がグリゼルダの姿に変わるシーンがある。だから、実は、グリゼルダは青い鳥に姿を変えて、ずっとグウェンドリンを見守っていたのだ、って解釈を、どっかネット上で見た気がする。

どうなんだろう、それは違うんじゃないか、って、ずっと引っかかっている。

グウェンドリンには、父親への思慕もある、でもそれ以上にずっと深く、母親的なものへの希求が、強くある気がする。ミリスとの関係を見ていてそう思う。

でも、それは、許されない。父親が許さない。オーダインは、グウェンドリンのドレス姿を見て「戦いを忘れ色気づきおって」と頭ごなしに怒鳴り散らす。母のことは「思い出してももらえない」。

そんな、「少しはお前の姉を見習え」という家庭環境の中で、グウェンドリンの母への思慕は、姉への気持ちの中に収斂されていったのかもな、って想像している。そして、その姉は、父の期待に沿うために「誇り高く戦士として」戦い抜いて、逝ってしまう。妹に血塗られた遺産を託して。

グウェンドリンが父を慕うのも、戦士として勇敢に戦うのも、実は、姉の遺した気持ちを代わりに満たしてあげたいため、姉の生き方が間違っていなかったと示したいため、敬愛する姉に一歩でも近づきたいため、だったりしないかなぁ、とかさ。想像しているんですよ。

でも、その一方で、姉ちゃんあんたおかしいよ、みたいな気持もあったかも知れない。「影法師」を名乗る青い小鳥は、その気持ちなんじゃないかな。姉に向かう方向には収斂しきれなかった、母親的なものを求める気持ちの表れと考えることもできるかな。

その小鳥が、レヴァンタンを倒して、予言を成就したグウェンドリンの前で、グリゼルダの姿になる。このシーン、やっぱり、小鳥は本当はお姉さんだった、というようには、感じられない。グウェンドリンが自分自身をどう思うか、姉をどう思うか、父をどう思うか、そして、母をどう思うか、そんなことの何か本質的な変化を示唆していると、そんな感じがするんだ。

まあ、その辺はまた後で、ゆっくり考えます。

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